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礼記 / 玉藻

凡侍於君,紳垂,足如履齊,頤溜垂拱,視下而聽上,視帶以及袷,聽鄉任左。凡君召,以三節:二節以走,一節以趨。在官不俟屨,在外不俟車。士於大夫,不敢拜迎而拜送;士於尊者,先拜進面,答之拜則走。士於君所言,大夫沒矣,則稱謚若字,名士。與大夫言,名士字大夫。於大夫所,有公諱無私諱。凡祭不諱,廟中不諱,教學臨文不諱。古之君子必佩玉,右徵角,左宮羽。趨以《采齊》,行以《肆夏》,周還中規,折還中矩,進則揖之,退則揚之,然後玉鏘鳴也。故君子在車,則聞鸞和之聲,行則鳴佩玉,是以非辟之心,無自入也。

新字:凡侍於君,紳垂,足如履斉,頤溜垂拱,視下而聴上,視帯以及袷,聴郷任左。凡君召,以三節:二節以走,一節以趨。在官不俟屨,在外不俟車。士於大夫,不敢拝迎而拝送;士於尊者,先拝進面,答之拝則走。士於君所言,大夫没矣,則称謚若字,名士。与大夫言,名士字大夫。於大夫所,有公諱無私諱。凡祭不諱,廟中不諱,教学臨文不諱。古之君子必佩玉,右徴角,左宮羽。趨以《采斉》,行以《肆夏》,周還中規,折還中矩,進則揖之,退則揚之,然後玉鏘鳴也。故君子在車,則聞鸞和之声,行則鳴佩玉,是以非辟之心,無自入也。

書き下し

凡そ君に侍するには、紳は垂れ、足は斉(し)を履むが如く、頤(い)は溜(した)たり垂れ拱(きょう)し、視ることは下にして聴くことは上にし、帯を視て以て袷(きょう)に及び、聴くことは郷(むか)いて左に任ず。凡そ君の召すに三節を以てす。二節には以て走り、一節には以て趨(はし)る。官に在りては屨(くつ)を俟たず、外に在りては車を俟たず。士は大夫に於いて、敢えて拝迎せずして拝送す。士は尊者に於いて、先ず拝して進みて面し、之に答拝すれば則ち走る。士は君の所に於いて言うに、大夫の没すれば、則ち謚(おくりな)若しくは字(あざな)を称し、士を名いう。大夫と言うには、士を名いい大夫を字いう。大夫の所に於いては、公諱(こうき)有りて私諱無し。凡そ祭には諱まず、廟中には諱まず、教学して文に臨みては諱まず。古の君子は必ず玉を佩ぶ。右は徴角(ちかく)、左は宮羽(きゅうう)。趨るには《采斉》(さいし)を以てし、行くには《肆夏》(しか)を以てし、周還(しゅうせん)は規に中(あた)り、折還(せつせん)は矩に中る。進めば則ち之を揖し、退けば則ち之を揚げ、然る後に玉鏘鳴(そうめい)するなり。故に君子車に在れば、則ち鸞和(らんか)の声を聞き、行けば則ち佩玉を鳴らす。是を以て非辟(ひへき)の心、自りて入ること無きなり。

現代語訳

およそ君のそばに侍るときは、紳(しん、帯の垂れ)が垂れ下がるように身をかがめ、足は裳の裾を踏むかのように小さく歩み、あごは軒から雨が垂れるように下げ、両手を胸の前で組む。目は下に向け、耳は上に向けて君のことばを聴く。視線は君の帯のあたりから襟もとまでにとどめる。聴くときは君の方に向いて、左の耳に任せる。およそ君が臣を召すときは、使者に三つの節(せつ、しるしの札)を持たせる。二つの節で召されたときは走って行き、一つの節のときは小走りで行く。役所にいるときは履物をはき終えるのを待たずに行き、外にいるときは車の用意を待たずに行く。士は大夫に対しては、あえて出迎えの拝礼はせず、見送りの拝礼をする。士は尊い人に対しては、まず拝礼してから進み出て顔を合わせ、相手が答礼すれば、恐縮して小走りに退く。士が君の前で話すとき、亡くなった大夫のことは謚(おくりな)か字(あざな、通り名)で呼び、士のことは名で呼ぶ。大夫と話すときは、士は名で、大夫は字で呼ぶ。大夫の所では、君の家の諱(いみな)は避けるが、大夫自身の家の諱は避けない。およそ祭りでは諱を避けず、廟の中では諱を避けず、教えたり学んだりして書物を読むときは諱を避けない。古えの君子は必ず玉を身に佩びた。右には徴と角の音を出す玉、左には宮と羽の音を出す玉をつけた。小走りするときは『采斉』(さいし、楽曲名)の調子で、歩くときは『肆夏』(しか、楽曲名)の調子で歩み、ぐるりと回るときはコンパスで描くように円く、折れ曲がるときは曲尺のように直角にする。進むときは身をやや前に傾け、退くときは身をやや起こす。そうしてはじめて玉がほどよく鳴る。だから君子は車に乗れば鸞和(らんか、車の鈴)の音を聞き、歩けば佩玉を鳴らす。そのため、よこしまな心が入り込む隙がないのである。

解説

君に侍るときの姿勢と視線、召されたときの急ぎ方、人の名の呼び分け、そして佩玉と歩み方を述べた段である。視線を帯から襟までにとどめるのは、君の顔をじっと見据えれば不遜になり、足もとばかり見ればうわの空になるからで、その中間に目を置く。名と字と謚の使い分けは、相手と話題の人物の上下を同時に考えて呼び方を選ぶ技術で、祭りや学問の場では諱を避けないとするのは、神と文字の前では人の名への遠慮が優先されないからである。佩玉のくだりは、歩みの調子を音楽に合わせ、その音を自分の耳で聞き続けることで心の乱れを防ぐという発想である。自分の足音に気を配るような小さな習慣が、心を整える手がかりになるということは、今でも十分に試してみる価値がある。

この章句が説くこと

礼記玉藻佩玉侍君諱

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