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礼記 / 玉藻

朝玄端,夕深衣。深衣三袪,縫齊倍要,衽當旁,袂可以回肘。長中繼掩尺。袷二寸,祛尺二寸,緣廣寸半。以帛裹布,非禮也。士不衣織,無君者不貳采。衣正色,裳間色。非列采不入公門,振絺綌不入公門,表裘不入公門,襲裘不入公門。纊為繭,縕為袍,襌為絅,帛為褶。朝服之以縞也,自季康子始也。孔子曰:「朝服而朝,卒朔然後服之。」曰:「國家未道,則不充其服焉。」唯君有黼裘以誓省,大裘非古也。君衣狐白裘,錦衣以裼之。君之右虎裘,厥左狼裘。士不衣狐白。君子狐青裘豹褎,玄綃衣以裼之;麑裘青豻褎,絞衣以裼之;羔裘豹飾,緇衣以裼之;狐裘,黃衣以裼之。錦衣狐裘,諸侯之服也。犬羊之裘不裼,不文飾也不裼。裘之裼也,見美也。吊則襲,不盡飾也;君在則裼,盡飾也。服之襲也,充美也,是故尸襲,執玉龜襲,無事則裼,弗敢充也。

新字:朝玄端,夕深衣。深衣三袪,縫斉倍要,衽当旁,袂可以回肘。長中継掩尺。袷二寸,祛尺二寸,縁広寸半。以帛裹布,非礼也。士不衣織,無君者不貳采。衣正色,裳間色。非列采不入公門,振絺綌不入公門,表裘不入公門,襲裘不入公門。纊為繭,縕為袍,襌為絅,帛為褶。朝服之以縞也,自季康子始也。孔子曰:「朝服而朝,卒朔然後服之。」曰:「国家未道,則不充其服焉。」唯君有黼裘以誓省,大裘非古也。君衣狐白裘,錦衣以裼之。君之右虎裘,厥左狼裘。士不衣狐白。君子狐青裘豹褎,玄綃衣以裼之;麑裘青豻褎,絞衣以裼之;羔裘豹飾,緇衣以裼之;狐裘,黄衣以裼之。錦衣狐裘,諸侯之服也。犬羊之裘不裼,不文飾也不裼。裘之裼也,見美也。吊則襲,不尽飾也;君在則裼,尽飾也。服之襲也,充美也,是故尸襲,執玉亀襲,無事則裼,弗敢充也。

書き下し

朝には玄端、夕には深衣。深衣は三袪(さんきょ)、縫齊(ほうし)は要(よう)に倍し、衽(じん)は旁らに当たり、袂は以て肘を回らすべし。長中は継ぎて尺を掩(おお)う。袷(きょう)は二寸、袪は尺二寸、縁(ふち)の広さは寸半。帛を以て布を裹(つつ)むは、礼に非ざるなり。士は織を衣ず、君無き者は采を貳にせず。衣は正色、裳は間色。列采に非ざれば公門に入らず、絺綌(ちげき)を振(ひとえ)にしては公門に入らず、裘を表しては公門に入らず、裘を襲(おお)いては公門に入らず。纊(こう)を繭と為し、縕(うん)を袍と為し、襌(たん)を絅(けい)と為し、帛を褶(ちょう)と為す。朝服の縞を以てするや、季康子より始まるなり。孔子曰く、「朝服して朝し、朔を卒えて然る後に之を服す」と。曰く、「国家未だ道あらざれば、則ち其の服を充たさず」と。唯君のみ黼裘(ほきゅう)有りて以て誓省(せいせい)す。大裘は古に非ざるなり。君は狐白裘を衣、錦衣以て之を裼(せき)す。君の右は虎裘、厥(そ)の左は狼裘。士は狐白を衣ず。君子は狐青裘に豹褎(ひょうしゅう)、玄綃衣(げんしょうい)以て之を裼す。麑裘(げいきゅう)に青豻褎(せいかんしゅう)、絞衣以て之を裼す。羔裘に豹飾、緇衣以て之を裼す。狐裘は、黄衣以て之を裼す。錦衣狐裘は、諸侯の服なり。犬羊の裘は裼せず、文飾せざるなり、裼せず。裘の裼するや、美を見(あらわ)すなり。弔すれば則ち襲す、飾を尽くさざるなり。君在(いま)せば則ち裼す、飾を尽くすなり。服の襲するや、美を充(おお)うなり。是の故に尸は襲し、玉亀を執るものは襲す。事無ければ則ち裼す、敢えて充わざるなり。

現代語訳

朝は玄端(げんたん、黒い礼服)を着て、夕方は深衣(しんい、上衣と裳を一続きに縫った服)を着る。深衣は裾まわりが袖口の三倍あり、裾の縫い合わせは腰まわりの倍の広さにする。衽(じん、おくみ)は脇に当て、袂は肘を回せるほどの幅にする。長衣・中衣は袖を継ぎ足して手を一尺覆う長さにする。襟の幅は二寸、袖口は一尺二寸、縁取りの幅は一寸半である。帛(はく、絹)で布の衣を包むように仕立てるのは礼にかなわない。士は先に染めた糸で織った布を着ない。仕える君をもたない者は二色を交えた服を着ない。上衣は正色(青・赤・黄・白・黒)、裳(も、下衣)は間色(正色を混ぜた色)とする。正しい色の礼服でなければ公門を入らない。葛布の単衣だけで公門を入らない。裘(かわごろも)をむき出しにして公門を入らない。裘の上に上衣をきっちり重ねて覆い隠したままでも公門を入らない。新しい真綿を入れたものを繭(けん、綿入れ)といい、古綿を入れたものを袍(ほう)といい、裏のない単衣を絅(けい)といい、帛の袷を褶(ちょう)という。朝服に縞(こう、白絹)を用いるのは、季康子(きこうし、魯の大夫)から始まった。孔子は言った。「朝服を着て朝廷に出るのは、朔日の政令を聴き終えてから着るのである」。また言った。「国に道が行われていないときは、礼服をすべて整えて着ることはしない」。君だけが黼裘(ほきゅう、斧の模様をあしらった裘)を着て、兵を誓い、狩りに臨む。大裘(たいきゅう、天子が天を祭るときの黒い羊皮の裘)を用いるのは古えの制ではない。君は狐の白い裘を着て、その上に錦の衣を裼(せき、上衣の前を開けて下の裘を見せる)として着る。君の右に立つ者は虎の裘、左に立つ者は狼の裘を着る。士は狐の白い裘を着ない。君子は青みのある狐の裘に豹皮の袖口をつけ、黒い生絹の衣を裼として着る。子鹿の裘には青い豻(かん、野犬)の皮の袖口をつけ、薄い青黄色の衣を裼として着る。子羊の裘には豹皮の飾りをつけ、黒い衣を裼として着る。狐の裘には黄色の衣を裼として着る。錦の衣に狐の裘は諸侯の服である。犬や羊の裘には裼をしない。飾り立てるものではないので裼をしないのである。裘に裼を着るのは、裘の美しさを見せるためである。弔問のときは襲(しゅう、上衣を閉じて裘を覆う)にする。飾りを尽くさないためである。君の前では裼にする。飾りを尽くすためである。服を襲にするのは、美しさを覆い隠すためである。だから祭りの尸(し、祖先の身代わり)は襲にし、玉や亀甲を捧げ持つ者も襲にする。そうした事がなければ裼にするのは、君の前であえて美を覆い隠さないためである。

解説

深衣の寸法、衣と裳の色、公門に入るときの服装、そして裘の上に着る衣の組み合わせを定めた段である。裘の美しさを見せる裼は、君の前で飾りを尽くして敬意を表す形であり、覆い隠す襲は、弔いや祭りの尸、玉を執る者のように、自分を飾るよりも厳粛さを優先すべき場面の形である。同じ一着の服でも、場に応じて見せるか隠すかを変えることが、そのまま相手への心の表現になる。狐裘に黄衣、羔裘に緇衣、麑裘の組み合わせは、『論語』郷党篇の「緇衣には羔裘、素衣には麑裘、黄衣には狐裘」とよく重なり、孔子の身なりの記録とこの篇が同じ礼の世界に属することを示す。季康子が朝服に縞を用いた記事は、魯の権臣による変更を名指しで書き残したものである。祝いの場と弔いの場で装いを変える感覚は、いまの冠婚葬祭の服装にそのまま受け継がれている。

この章句が説くこと

礼記玉藻深衣裼襲服制

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