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礼記 / 玉藻

天子玉藻,十有二旒,前後邃延,龍卷以祭。玄端而朝日於東門之外,聽朔於南門之外,閏月則闔門左扉,立於其中。皮弁以日視朝,遂以食,日中而餕,奏而食。日少牢,朔月大牢;五飲:上水、漿、酒、醴、酏。卒食,玄端而居。動則左史書之,言則右史書之,御瞽幾聲之上下。年不順成,則天子素服,乘素車,食無樂。諸侯玄端以祭,裨冕以朝,皮弁以聽朔於大廟,朝服以日視朝於內朝。朝,辨色始入。君日出而視之,退適路寢,聽政,使人視大夫,大夫退,然後適小寢寢,釋服。又朝服以食,特牲三俎祭肺,夕深衣,祭牢肉,朔月少牢,五俎四簋,子卯稷食菜羹,夫人與君同庖。

新字:天子玉藻,十有二旒,前後邃延,竜巻以祭。玄端而朝日於東門之外,聴朔於南門之外,閏月則闔門左扉,立於其中。皮弁以日視朝,遂以食,日中而餕,奏而食。日少牢,朔月大牢;五飲:上水、漿、酒、醴、酏。卒食,玄端而居。動則左史書之,言則右史書之,御瞽幾声之上下。年不順成,則天子素服,乗素車,食無楽。諸侯玄端以祭,裨冕以朝,皮弁以聴朔於大廟,朝服以日視朝於内朝。朝,弁色始入。君日出而視之,退適路寝,聴政,使人視大夫,大夫退,然後適小寝寝,釈服。又朝服以食,特牲三俎祭肺,夕深衣,祭牢肉,朔月少牢,五俎四簋,子卯稷食菜羹,夫人与君同庖。

書き下し

天子は玉藻(ぎょくそう)、十有二旒(りゅう)、前後邃延(すいえん)にして、龍巻(りょうこん)して以て祭る。玄端(げんたん)して日を東門の外に朝し、朔を南門の外に聴く。閏月には則ち門の左扉を闔(と)じ、其の中に立つ。皮弁(ひべん)して以て日に朝を視、遂に以て食し、日中にして餕(しゅん)し、奏して食す。日に少牢(しょうろう)、朔月には大牢。五飲は、上水、漿(しょう)、酒、醴(れい)、酏(い)。食を卒(お)えて、玄端して居る。動けば則ち左史これを書し、言えば則ち右史これを書し、御瞽(ぎょこ)は声の上下を幾(うかが)う。年順成せざれば、則ち天子は素服し、素車に乗り、食するに楽無し。諸侯は玄端して以て祭り、裨冕(ひべん)して以て朝し、皮弁して以て朔を大廟に聴き、朝服して以て日に朝を内朝に視る。朝は、色を辨じて始めて入る。君は日出でてこれを視、退きて路寝に適(ゆ)きて政を聴き、人をして大夫を視しむ。大夫退き、然る後に小寝に適きて寝(い)ね、服を釈(と)く。又朝服して以て食す。特牲三俎にして肺を祭る。夕には深衣して、牢肉を祭る。朔月には少牢、五俎四簋(き)。子卯(しぼう)には稷食(しょくし)菜羹。夫人は君と庖(ほう)を同じくす。

現代語訳

天子の冕(べん、礼冠)には玉藻(玉を貫いた飾り紐)が十二旒(りゅう、垂れ飾りの本数)あり、前後に深く垂れて冠の板を覆う。龍を描いた袞衣(こんい、天子の礼服)を着て祭祀を行う。玄端(げんたん、黒い礼服)を着て、春分の朝に東門の外で日を拝し、毎月の朔日には南門の外で朔の政令を聴く(聴朔)。閏月には、明堂の門の左の扉を閉じ、その門の中に立って政を聴く。皮弁(ひべん、白鹿の皮で作った冠)をつけて毎日朝廷に臨み、そのまま同じ装いで食事をとる。正午にはその残りを食べ、食事のときには音楽を奏でる。日々の膳は少牢(しょうろう、羊と豚)、朔日には大牢(牛・羊・豚)を用いる。飲み物は五種で、上等の水、漿(しょう、酸味のある飲料)、酒、醴(れい、甘酒)、酏(い、薄い粥)である。食事が終わると玄端を着てくつろぐ。天子の行いは左史が記し、ことばは右史が記す。側に仕える盲目の楽師は音楽の調子の高低をうかがって、政の良し悪しを察する。その年の作物が実らなければ、天子は白い素服を着て、飾りのない車に乗り、食事の際に音楽を奏でない。諸侯は玄端を着て祖先を祭り、裨冕(ひべん、天子に朝見するときの礼服と冠)を着て天子に朝見し、皮弁をつけて大廟で朔の政令を聴き、朝服を着て毎日内朝に臨む。群臣の朝見は、夜が明けて物の色が見分けられるころに初めて門を入る。君は日が出てから群臣に会い、退いて路寝(ろしん、正殿)に行って政務を聴き、人を遣わして大夫たちの様子を見させる。大夫たちが退出してから、君は小寝(しょうしん、私室)に行って朝服を脱ぐ。食事にはまた朝服を着る。平日の膳は特牲(とくせい、豚一頭)を三つの俎(そ、まないた状の台)に載せ、まず肺を供えて祭る。夕方には深衣(しんい、上下一続きの普段着)を着て、朝の牲の残りの肉を祭って食べる。朔日には少牢を用い、五つの俎と四つの簋(き、穀物を盛る器)を並べる。子の日と卯の日(忌日)には、稷(きび)の飯と野菜の汁だけを食べる。夫人は君と同じ厨房の食事をとり、別に牲を殺さない。

解説

玉藻篇は冒頭の二字を篇名とし、天子・諸侯・大夫・士の衣服、冠、帯、佩玉、立ち居振る舞いの細目を集めた篇である。この段は天子と諸侯の一日を、祭祀・朝見・政務・食事の順に描く。着るものが場面ごとに替わるのは、服が単なる装いではなく、いまどの務めに就いているかを示す標識だからである。鄭玄は子卯の日を、殷の紂王が甲子の日に、夏の桀王が乙卯の日に滅んだ忌日と注し、その日に膳を落とすのは亡国を戒めるためだと説く。天子の行いを左史が、ことばを右史が記すという制度は、鄭玄が『春秋』『尚書』はその記録の残ったものだと注している。凶作の年に素服を着て音楽をやめるのは、民の苦しみを上に立つ者がわが身に引き受ける作法である。権限のある者ほど記録と自制の中に置かれるという発想は、いまの組織の長にもそのまま当てはまる。

この章句が説くこと

礼記玉藻天子服制左史右史

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