礼記 / 郊特牲
天子存二代之後,猶尊賢也,尊賢不過二代。諸侯不臣寓公。故古者寓公不繼世。君之南鄉,答陽之義也。臣之北面,答君也。大夫之臣不稽首,非尊家臣,以辟君也。大夫有獻弗親,君有賜不面拜,為君之答己也。鄉人禓,孔子朝服立于阼,存室神也。孔子曰:「射之以樂也,何以聽,何以射?」孔子曰:「士,使之射,不能,則辭以疾。縣弧之義也。」孔子曰:「三日齊,一日用之,猶恐不敬;二日伐鼓,何居?」孔子曰:「繹之於庫門內,祊之於東方,朝市之於西方,失之矣。」
新字:天子存二代之後,猶尊賢也,尊賢不過二代。諸侯不臣寓公。故古者寓公不継世。君之南郷,答陽之義也。臣之北面,答君也。大夫之臣不稽首,非尊家臣,以辟君也。大夫有献弗親,君有賜不面拝,為君之答己也。郷人禓,孔子朝服立于阼,存室神也。孔子曰:「射之以楽也,何以聴,何以射?」孔子曰:「士,使之射,不能,則辞以疾。県弧之義也。」孔子曰:「三日斉,一日用之,猶恐不敬;二日伐鼓,何居?」孔子曰:「繹之於庫門内,祊之於東方,朝市之於西方,失之矣。」
書き下し
天子、二代の後を存するは、猶お賢を尊ぶがごときなり。賢を尊ぶも二代を過ぎず。諸侯は寓公を臣とせず。故に古者(いにしえ)は寓公世を継がず。君の南郷(なんきょう)するは、陽に答うるの義なり。臣の北面するは、君に答うるなり。大夫の臣の稽首(けいしゅ)せざるは、家臣を尊ぶに非ず、以て君を辟(さ)くるなり。大夫献ずること有るも親(みずか)らせず、君賜うこと有るも面拝せざるは、君の己に答えんが為なり。郷人の禓(しょう)するに、孔子、朝服して阼に立つは、室神を存するなり。孔子曰く、「これを射るに楽を以てす、何を以てか聴き、何を以てか射ん」と。孔子曰く、「士、これをして射しむるに、能わざれば、則ち辞するに疾を以てす。弧を県(か)くるの義なり」と。孔子曰く、「三日斉(ものいみ)し、一日これを用うるも、猶お敬ならざるを恐る。二日鼓を伐(う)つは、何ぞや」と。孔子曰く、「これを庫門の内に繹(えき)し、これを東方に祊(ほう)し、朝市(ちょうし)をこれを西方にするは、これを失えり」と。
現代語訳
天子が前の二代の王朝の子孫を諸侯として存続させるのは、賢者を尊ぶのと同じ意味である。ただし賢者を尊ぶといっても二代までで、それ以上はさかのぼらない。諸侯は、国を失って身を寄せている寓公(亡命の君)を臣下としない。だから昔は、寓公の地位はその子に世襲させなかった。君が南を向いて座るのは、陽に応える意味である。臣が北を向くのは、君に応えるのである。大夫の家臣が大夫に稽首(頭を地につける最敬礼)をしないのは、家臣を尊ぶからではなく、君と同じ礼を受けるのを避けるためである。大夫が君に献上するものがあっても自分では持参せず、君から賜り物があっても直接に対面して拝礼しないのは、君がそのたびに自分に答礼しなくてはならなくなるのを避けるためである。村人が禓(疫病を払う儺の行事)を行ったとき、孔子が朝服を着て阼階(東の階)に立ったのは、家の神を驚かせないよう安んじるためであった。孔子はいった。「射礼は楽に合わせて射るものだ。楽をどうやって聴き、どうやって射るのか(両方を合わせるのは難しいことだ)」。孔子はいった。「士が射るよう求められて、もしできないなら、病気を理由に辞退する。男子が生まれると門に弧(弓)を懸けるのは、射ることが男子の務めだという意味だからだ」。孔子はいった。「三日間斎戒して一日の祭に臨んでも、なお敬を欠くことを恐れるものだ。それなのに斎戒の間の二日も太鼓を打ち鳴らすとは、どういうことか」。孔子はいった。「繹の祭(祭の翌日の祭)を庫門の内で行い、祊の祭(門内での祭)を東方で行い、朝の市を西方で開くのは、みな本来の場所を失っている」。
解説
この章句が説くこと
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礼記・郊特牲旅幣(りょへい)に方無きは、土地の宜しきを別ちて遠邇(えんじ)の期を節する所以なり。亀を前列と為すは、先知なればなり。鐘を以てこれに次ぐは、和を以て参(まじ)わりに居るなり。虎豹の皮は、猛を服するを示すなり。束帛に璧を加うるは、徳に往(ゆ)くなり。庭燎(ていりょう)の百は、斉の桓公由り始まるなり。大夫の《肆夏》を奏するは、趙文子由り始まるなり。朝覲(ちょうきん)に、大夫の私覿(してき)するは、礼に非ざるなり。大夫圭を執りて使いするは、信を申ぶる所以なり。敢えて私覿せざるは、敬を致す所以なり。而るに庭実私覿す、何為(なんす)れぞ諸侯の庭においてせんや。人臣たる者は外交無し、敢えて君に弐(ふたごころ)あらざるなり。大夫にして君を饗するは、礼に非ざるなり。大夫強くして君これを殺すは、義なり。三桓由り始まるなり。天子には客礼無し、敢えて主と為る莫ければなり。君其の臣に適けば、阼階(そかい)より升る、敢えて其の室を有せざればなり。覲礼に、天子は堂を下らずして諸侯を見る。堂を下りて諸侯を見るは、天子の失礼なり、夷王由り以下なり。諸侯の宮県(きゅうけん)にして、祭るに白牡を以てし、玉磬を撃ち、朱干に錫(せき)を設け、冕(べん)して《大武》を舞い、大路に乗るは、諸侯の僭礼なり。台門にして旅樹し、反坫(はんてん)し、繡黼(しゅうほ)、丹朱の中衣するは、大夫の僭礼なり。故に天子微にして諸侯僭し、大夫強くして諸侯脅(おびや)かさる。ここにおいて相貴ぶに等を以てし、相覿(み)るに貨を以てし、相賂(まいな)うに利を以てして、天下の礼乱る。諸侯は敢えて天子を祖とせず、大夫は敢えて諸侯を祖とせず。而るに公廟の私家に設けらるるは、礼に非ざるなり、三桓由り始まるなり。
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礼記・郊特牲冠義。始めてこれに冠するは、緇布(しふ)の冠なり。大古は布を冠し、斉(ものいみ)すれば則ちこれを緇(くろ)くす。其の緌(ずい)は、孔子曰く、「吾未だこれを聞かざるなり。冠してこれを敝(す)つるも可なり」と。適子、阼に冠するは、以て代を著すなり。客位に醮(しょう)するは、成有るを加うるなり。三たび加えて弥々(いよいよ)尊きは、其の志を諭すなり。冠してこれに字(あざな)するは、其の名を敬するなり。委貌(いぼう)は、周の道なり。章甫(しょうほ)は、殷の道なり。毋追(ぶつい)は、夏后氏の道なり。周は弁、殷は冔(く)、夏は収。三王共に皮弁素積す。大夫の冠礼無くして、其の昏礼有り。古者、五十にして後に爵す、何の大夫の冠礼かこれ有らん。諸侯の冠礼有るは、夏の末に造れるなり。天子の元子も、士なり。天下に生まれながらにして貴き者無きなり。世を継ぎて以て諸侯を立つるは、賢に象るなり。官を以て人を爵するは、徳の殺(さい)なり。死して諡(おくりな)するは、今なり。古者は生きて爵無く、死して諡無し。礼の尊ぶ所は、其の義を尊ぶなり。其の義を失いて、其の数を陳ぬるは、祝史の事なり。故に其の数は陳ぬべきも、其の義は知り難きなり。其の義を知りて敬しんでこれを守るは、天子の天下を治むる所以なり。
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孔子家語・郊問公曰わく:「天子の郊、其の禮儀聞くを得べきか。」孔子對えて曰わく:「臣聞く、天子郊を卜するには、則ち命を祖廟に受け、龜を禰宮に作す、祖を尊び考に親しむの義なり。卜する日、王親ら澤宮に立ちて、以て誓命を聽く、教諫を受くるの義なり。既に卜すれば、命を庫門の內に獻ず、百官を誡むる所以なり。將に郊せんとすれば、則ち天子皮弁して以て報を聽く、民に上を嚴にするを示すなり。郊の日、喪者敢て哭せず、凶服の者敢て國門に入らず。路を汜掃して清め、行く者必ず止まる。命ぜずして民聽く、敬の至りなり。天子大裘に之を黼し、袞を被りて天に象り、素車に乘る、其の質を貴べばなり。旗十有二旒、龍章にして設くるに日月を以てす、天に法る所以なり。既に泰壇に至れば、王裘を脫ぐ。袞を服して以て臨み、柴を燔きて冕を戴く。璪十有二旒は、則ち天の數なり。臣之を聞く:詩三百を誦するも、以て一獻に足らず。一獻の禮も、以て大饗に足らず。大饗の禮も、以て大旅に足らず。大旅具わるも、以て帝を饗するに足らず。是を以て君子は敢て禮を輕議する者無きなり。」
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礼記・郊特牲郊は特牲(とくせい)にして、社稷(しゃしょく)は大牢(たいろう)なり。天子、諸侯に適(ゆ)けば、諸侯膳するに犢(こうし)を用う。諸侯、天子に適けば、天子これに礼を賜うに大牢をもってす。誠を貴ぶの義なり。故に天子は牲の孕めるを食らわず、帝を祭るにも用いざるなり。大路は繁纓(はんえい)一就、先路は三就、次路は五就。郊は血、大饗は腥(せい)、三献は爓(せん)、一献は熟。至敬は味を饗せずして気臭を貴ぶなり。諸侯賓と為れば、灌(かん)するに鬱鬯(うっちょう)を用う。灌するに臭を用うるなり。大饗は腶修(だんしゅう)を尚ぶのみ。大饗には、君は三重の席にして酢(さく)す。三献の介には、君は専席にして酢す。これ尊を降して以て卑に就くなり。饗・禘(てい)には楽有りて、食・嘗には楽無し、陰陽の義なり。凡そ飲は陽気を養うなり、凡そ食は陰気を養うなり。故に春は禘して秋は嘗す。春は孤子を饗し、秋は耆老(きろう)に食(し)す、その義一なり。而して食・嘗には楽無し。飲は陽気を養う、故に楽有り。食は陰気を養う、故に声無し。凡そ声は陽なり。鼎俎(ていそ)は奇にして籩豆(へんとう)は偶なるは、陰陽の義なり。籩豆の実は、水土の品なり。敢えて褻味(せつみ)を用いずして多品を貴ぶは、旦明(しんめい)に交わる所以の義なり。賓、大門に入りて《肆夏(しか)》を奏するは、易(やわら)ぎて以て敬するを示すなり。爵を卒(お)えて楽闋(や)む、孔子屡(しばしば)これを嘆ず。奠酬(てんしゅう)して工升(のぼ)りて歌うは、徳を発するなり。歌う者は上に在り、匏竹(ほうちく)は下に在るは、人の声を貴ぶなり。楽は陽由り来たる者なり、礼は陰由り作る者なり、陰陽和して万物得。
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礼記・坊記子云う、「客階より升り、弔を賓位に受くるは、民に追孝を教うるなり。未だ喪を没(お)えざれば君と称せざるは、民に争わざるを示すなり。故に魯の《春秋》に晋の喪を記して曰く、『其の君の子奚齊(けいせい)と其の君卓とを殺す』と。此を以て民を坊ぐも、子猶お其の父を弑する者有り」と。 子云う、「孝以て君に事え、弟(てい)以て長に事うるは、民に貳(ふたごころ)あらざるを示すなり。故に君子は君有れば仕えんことを謀らず、唯だ卜するの日に二君と称す。父に喪すること三年、君に喪すること三年なるは、民に疑わざるを示すなり。父母在せば、敢えて其の身を有せず、敢えて其の財を私せざるは、民に上下有るを示すなり。故に天子は四海の内に客礼無く、敢えて主と為る莫し。故に君其の臣に適けば、阼階より升り、堂に位に即くは、民に敢えて其の室を有せざるを示すなり。父母在せば、饋献車馬に及ばざるは、民に敢えて専らにせざるを示すなり。此を以て民を坊ぐも、民猶お其の親を忘れて其の君に貳す」と。
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孔子家語・禮運言偃曰わく:「今の位に在る者、禮に由るを知る莫し。何ぞや。」孔子曰わく:「嗚呼哀しいかな!我周の道を觀るに、幽厲傷えるなり。吾魯を舍きて何くにか適かん。夫れ魯の郊及び禘は、皆禮に非ず。周公其れ已に衰えたるなり。杞の郊するや、禹たり。宋の郊するや、契たり。是れ天子の事守なり。天子杞宋二王の後たるを以て、周公政を攝りて太平を致せば、天子と同じきは是れ禮なり。諸侯社稷宗廟を祭るに、上下皆其の典を奉じ、祝嘏敢て其の常法を易えざれば、是を大嘉と謂う。今祝嘏の辭說をして、徒に宗祝巫史に藏せしむるは、禮に非ざるなり。是を幽國と謂う。醆斝尸君に及ぶは、禮に非ず。是を僭君と謂う。冕弁兵車、私家に藏するは、禮に非ず。是を脅君と謂う。大夫官を具え、祭器假らず、聲樂皆具わるは、禮に非ず。是を亂國と爲す。故に公に仕うるを臣と曰い、家に仕うるを僕と曰う。三年の喪、與新たに婚有る者は、期使わざるなり。衰裳を以て朝に入り、家僕と雜居して齊しく齒するは、禮に非ず。是を臣と君と國を共にすと謂う。天子田有り、以て其の子孫を處らしめ、諸侯國有り、以て其の子孫を處らしめ、大夫采有り、以て其の子孫を處らしむ、是を制度と謂う。天子諸侯に適けば、必ず其の宗廟に舍り、禮もて入るを籍らざれば、是を天子法を壞り紀を亂すと謂う。諸侯疾を問い喪を吊うに非ずして、諸臣の家に入れば、是を君臣謔を爲すと謂う。」
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