荀子 / 礼論篇
郊止乎天子,而社止於諸侯,道及士大夫,所以別尊者事尊,卑者事卑,宜大者巨,宜小者小也。
書き下し
郊は天子に止まり、社は諸侯に止まり、道は士大夫に及ぶは、尊き者は尊きに事え、卑しき者は卑しきに事え、大なるに宜しき者は巨いにし、小なるに宜しき者は小なるを別つ所以なり。
現代語訳
天を祭る郊の祭りは天子だけが行い、土地の神を祭る社の祭りは諸侯までにとどまり、道の神を祭る儀礼は士大夫にまで及ぶ。これは、尊い立場の者は尊い対象に仕え、低い立場の者は身近な対象に仕え、大きくあるべきものは大きく、小さくあるべきものは小さくする、という区別を示すためである。
解説
祭りの対象と身分とを対応させた一段です。天を祭る郊は天子だけ、土地の神を祭る社は諸侯まで、道の神の祭りは士大夫にまで及ぶ。上に立つ者ほど大きな対象に仕え、身分が下がるほど身近な対象に仕えるという段階づけで、荀子が繰り返し語る別、つまり区別の考え方が祭祀の場に現れたものです。ここで大事なのは、上下の差をつけること自体が目的ではなく、大きくあるべきものは大きく、小さくあるべきものは小さくという、釣り合いを取ることが狙いだという点でしょう。分不相応に大きな儀礼を行えば秩序が崩れ、逆に小さすぎれば敬意が伝わりません。私たちの仕事でも、自分の立場と責任の範囲に見合った動き方があります。背伸びも手抜きもせず、いま担うべき大きさを正しく見積もること。それが荀子の言う宜しきにかなうということです。
この章句が説くこと
郊と社身分と祭祀分に応じた区別釣り合い天子
関連する章句
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荀子・礼論篇大路の素にして未だ集らざるや、郊の麻絻や、喪服の先ず麻を散ずるや、一なり。
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礼記・郊特牲社は土を祭りて陰気を主(つかさど)るなり。君、北墉(ほくよう)の下に南郷するは、陰に答うるの義なり。日は甲を用う、日の始めを用うるなり。天子の大社は必ず霜露風雨を受け、以て天地の気を達す。是の故に喪国の社はこれを屋(おお)い、天陽を受けざらしむるなり。薄社(はくしゃ)は北に牖(まど)あり、陰をして明らかならしむるなり。社は地を神とする所以の道なり。地は万物を載せ、天は象を垂る。財を地に取り、法を天に取る、是を以て天を尊びて地に親しむなり、故に民に教えて美(よ)く報ぜしむ。家は中霤(ちゅうりゅう)を主とし国は社を主とするは、本を示すなり。唯社の事の為には、単(ことごと)く里を出(い)ず。唯社の田の為には、国人畢(ことごと)く作(おこ)る。唯社には、丘乗粢盛(しせい)を共(きょう)す、本に報い始めに反る所以なり。季春に火を出だすは、焚(や)くが為なり。然る後に其の車賦を簡(えら)び、其の卒伍を歴(かぞ)え、而して君親ら社に誓い、以て軍旅を習う。これを左にしこれを右にし、これを坐せしめこれを起たしめ、以て其の変に習うを観るなり。而して流れにこれに禽を示し、而してこれを利に塩(こころ)み、以て其の命を犯さざるを観るなり。其の志を服せしむるを求め、其の得るを貪らず、故に以て戦えば則ち克ち、以て祭れば則ち福を受く。
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『新論』長計夫れ天子天神地祇を祭り、其の敬して天祖を祭るは、天に報い祖を尊ぶ所以なり。地主・保食の神を祀るは、国土を鎮め民生を厚くするなり。(唐虞三代の祀典を秩するに、重んずる所は則ち嘗禘郊社なり。嘗とは新穀を嘗むるなり。禘とは其の祖の自りて出づる所を禘し、其の祖を以て之に配するなり。郊とは天を祀り、其の祖を以て之に配するなり。社とは后土の功有る者を祀り、又田正の功有る者を祀るを稷と曰ふ。中庸に曰く、郊社の礼は、上帝に事ふる所以なり。宗廟の礼は、其の先を祀る所以なり。郊社の礼、禘嘗の義に明らかなれば、国を治むること其れ諸を掌に示すが如きかと。論語に禘の説を知る者の天下に於けるは、諸を掌に視るが如しと称し、孝経も亦周公の后稷を郊祀し文王を宗祀するを以て、厳父の至りと為す。其の意皆相同じければ、則ち亦其の最も重んずる所此に在るを見るべきなり。而して天朝大嘗の礼は、天祖を祀りて、天に事へ先を祀るの意並び存す、亦猶ほ郊禘の義のごときなり。新穀を嘗めて之を薦むるは、即ち嘗の義なり。故に大神宮の祀は是れ宗廟なり、明堂なり、郊なり、一祀にして数義存す。而して地主神を祭るは猶ほ社のごとく、保食神は猶ほ稷のごときなり。大神・大倭等は即ち社なり、渡会・稲荷等は即ち稷なり。郊廟社稷天地の祭、其の大なる者符節を合するが如し。蓋し亦神州と漢土と風気相同じきを以て、其の事暗合する者此くの如きなり。)
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孔子家語・郊問公曰わく:「天子の郊、其の禮儀聞くを得べきか。」孔子對えて曰わく:「臣聞く、天子郊を卜するには、則ち命を祖廟に受け、龜を禰宮に作す、祖を尊び考に親しむの義なり。卜する日、王親ら澤宮に立ちて、以て誓命を聽く、教諫を受くるの義なり。既に卜すれば、命を庫門の內に獻ず、百官を誡むる所以なり。將に郊せんとすれば、則ち天子皮弁して以て報を聽く、民に上を嚴にするを示すなり。郊の日、喪者敢て哭せず、凶服の者敢て國門に入らず。路を汜掃して清め、行く者必ず止まる。命ぜずして民聽く、敬の至りなり。天子大裘に之を黼し、袞を被りて天に象り、素車に乘る、其の質を貴べばなり。旗十有二旒、龍章にして設くるに日月を以てす、天に法る所以なり。既に泰壇に至れば、王裘を脫ぐ。袞を服して以て臨み、柴を燔きて冕を戴く。璪十有二旒は、則ち天の數なり。臣之を聞く:詩三百を誦するも、以て一獻に足らず。一獻の禮も、以て大饗に足らず。大饗の禮も、以て大旅に足らず。大旅具わるも、以て帝を饗するに足らず。是を以て君子は敢て禮を輕議する者無きなり。」
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礼記・礼器高きを以て貴しと為す者有り。天子の堂は九尺、諸侯は七尺、大夫は五尺、士は三尺。天子諸侯は台門す。此れ高きを以て貴しと為すなり。 下きを以て貴しと為す者有り。至敬は壇せず、地を埽(はら)いて祭る。天子諸侯の尊は禁(きん)を廃し、大夫士は棜(よ)・禁す。此れ下きを以て貴しと為すなり。
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荀子・礼論篇饗には、玄尊を尚びて而も酒醴を用い、黍稷を先にして而も稲粱を飯らう。祭には、大羹を斉えて而も庶羞に飽く。本を貴びて用に親しむなり。本を貴ぶ、之を文と謂い、用に親しむ、之を理と謂う。両者合して文を成し、以て大一に帰す。夫れ是れを大隆と謂う。
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