孔子家語 / 禮運
言偃曰:「今之在位,莫知由禮。何也?」孔子曰:「嗚呼哀哉!我觀周道,幽厲傷也。吾舍魯何適?夫魯之郊及禘,皆非禮。周公其已衰矣。杞之郊也,禹;宋之郊也,契;是天子之事守也。天子以杞宋二王之後,周公攝政致太平,而與天子同是禮也。諸侯祭社稷宗廟,上下皆奉其典,而祝嘏莫敢易其常法,是謂大嘉。今使祝嘏辭說,徒藏於宗祝巫史,非禮也;是謂幽國。醆斝及尸君,非禮也;是謂僭君;冕弁兵車,藏於私家,非禮也;是謂脅君。大夫具官,祭器不假,聲樂皆具,非禮也;是為亂國。故仕於公曰臣,仕於家曰僕。三年之喪,與新有婚者,期不使也。以衰裳入朝,與家僕雜居齊齒,非禮也;是謂臣與君共國。天子有田,以處其子孫;諸侯有國,以處其子孫;大夫有采,以處其子孫;是謂制度。天子適諸侯,必舍其宗廟,而不禮籍入;是謂天子壞法亂紀。諸侯非問疾吊喪,而入諸臣之家;是謂君臣為謔。
新字:言偃曰:「今之在位,莫知由礼。何也?」孔子曰:「嗚呼哀哉!我観周道,幽厲傷也。吾舎魯何適?夫魯之郊及禘,皆非礼。周公其已衰矣。杞之郊也,禹;宋之郊也,契;是天子之事守也。天子以杞宋二王之後,周公摂政致太平,而与天子同是礼也。諸侯祭社稷宗廟,上下皆奉其典,而祝嘏莫敢易其常法,是謂大嘉。今使祝嘏辞説,徒蔵於宗祝巫史,非礼也;是謂幽国。醆斝及尸君,非礼也;是謂僭君;冕弁兵車,蔵於私家,非礼也;是謂脅君。大夫具官,祭器不仮,声楽皆具,非礼也;是為乱国。故仕於公曰臣,仕於家曰僕。三年之喪,与新有婚者,期不使也。以衰裳入朝,与家僕雑居斉齒,非礼也;是謂臣与君共国。天子有田,以処其子孫;諸侯有国,以処其子孫;大夫有采,以処其子孫;是謂制度。天子適諸侯,必舎其宗廟,而不礼籍入;是謂天子壊法乱紀。諸侯非問疾吊喪,而入諸臣之家;是謂君臣為謔。
書き下し
言偃曰わく:「今の位に在る者、禮に由るを知る莫し。何ぞや。」孔子曰わく:「嗚呼哀しいかな!我周の道を觀るに、幽厲傷えるなり。吾魯を舍きて何くにか適かん。夫れ魯の郊及び禘は、皆禮に非ず。周公其れ已に衰えたるなり。杞の郊するや、禹たり。宋の郊するや、契たり。是れ天子の事守なり。天子杞宋二王の後たるを以て、周公政を攝りて太平を致せば、天子と同じきは是れ禮なり。諸侯社稷宗廟を祭るに、上下皆其の典を奉じ、祝嘏敢て其の常法を易えざれば、是を大嘉と謂う。今祝嘏の辭說をして、徒に宗祝巫史に藏せしむるは、禮に非ざるなり。是を幽國と謂う。醆斝尸君に及ぶは、禮に非ず。是を僭君と謂う。冕弁兵車、私家に藏するは、禮に非ず。是を脅君と謂う。大夫官を具え、祭器假らず、聲樂皆具わるは、禮に非ず。是を亂國と爲す。故に公に仕うるを臣と曰い、家に仕うるを僕と曰う。三年の喪、與新たに婚有る者は、期使わざるなり。衰裳を以て朝に入り、家僕と雜居して齊しく齒するは、禮に非ず。是を臣と君と國を共にすと謂う。天子田有り、以て其の子孫を處らしめ、諸侯國有り、以て其の子孫を處らしめ、大夫采有り、以て其の子孫を處らしむ、是を制度と謂う。天子諸侯に適けば、必ず其の宗廟に舍り、禮もて入るを籍らざれば、是を天子法を壞り紀を亂すと謂う。諸侯疾を問い喪を吊うに非ずして、諸臣の家に入れば、是を君臣謔を爲すと謂う。」
現代語訳
言偃は言った。「今、地位にある者たちは、礼によって政治を行うということを知りません。それはなぜですか。」孔子は言った。「ああ、悲しいことだ。私が周の道を見るに、幽王・厲王の代に周の徳は傷つけられてしまった。私は魯を措いて他のどこに行けるだろうか(魯にこそ周の遺風が残っている)。しかし、その魯における郊祀や禘祭も、みな礼にかなっていない。周公の定めた礼の伝統もすでに衰えてしまった。杞の国が郊祀を行うのは始祖である禹を祀るゆえであり、宋の国が郊祀を行うのは始祖である契を祀るゆえであって、これは本来天子だけが行うべき祭祀を特別に守り伝えているのである。天子が杞と宋を夏・殷二王朝の後継として遇し、魯には周公が摂政として太平の世をもたらした功績があるゆえに天子と同じ礼を行うことを許した、これが本来の礼のあり方であった。諸侯が社稷や宗廟を祭る際、上下の者が皆その決まりを奉じ、祝(祭祀の言葉を司る者)や嘏(祝福の言葉を述べる者)が決してその通常の作法を変えないならば、これを『大嘉』と呼ぶ。ところが今、祝嘏の言葉を、ただ祭祀を司る役人たちの間だけに秘め隠しているのは、礼にかなっていない。これを『幽國(暗愚な国)』と呼ぶ。本来天子だけに許される酒器を、尸(祭祀で先祖の代わりを務める者)や君主(諸侯)にまで用いるのは、礼にかなっていない。これを『僭君(分不相応な君主)』と呼ぶ。冕(冠)や弁(冠)、兵車を私邸に蔵しているのは、礼にかなっていない。これを『脅君(君主を脅かす者)』と呼ぶ。大夫が官職をすべて備え、祭器を借りずに自前で揃え、音楽までも完備しているのは、礼にかなっていない。これを『乱国』とする。だから公(君主)に仕えることを『臣』といい、大夫などの家に仕えることを『僕』という。三年の喪に服している者や、新たに婚姻をあげたばかりの者は、一年の間は使役してはならない。喪服を着たまま朝廷に入ったり、家臣の身分の者と同席して年齢の順で並んだりするのは、礼にかなっていない。これを『臣下が君主と国を共有する(僭越な状態)』と呼ぶ。天子には直轄の田があり、それによって子孫を処遇し、諸侯には国があり、それによって子孫を処遇し、大夫には采地があり、それによって子孫を処遇する。これを『制度』と呼ぶ。天子が諸侯のもとへ赴く際には、必ずその宗廟に宿泊し、勝手な形式で入るようなことはしない。もしそうしなければ、これを『天子が自ら法を壊し綱紀を乱す』と呼ぶ。諸侯が、病を見舞ったり喪を弔ったりするのでもないのに、家臣の家に立ち入るのは、これを『君臣が戯れごとをする(節度を失う)』と呼ぶ。」