孔子家語 / 郊問
公曰:「天子之郊,其禮儀可得聞乎?」孔子對曰:「臣聞天子卜郊,則受命於祖廟,而作龜於禰宮;尊祖親考之義也。卜之日,王親立於澤宮,以聽誓命,受教諫之義也。既卜,獻命庫門之內,所以誡百官也。將郊,則天子皮弁以聽報,示民嚴上也。郊之日,喪者不敢哭,凶服者不敢入國門。汜掃清路,行者必止。弗命而民聽,敬之至也。天子大裘以黼之,被袞象天,乘素車,貴其質也。旗十有二旒,龍章而設以日月,所以法天也。既至泰壇,王脫裘矣。服袞以臨,燔柴戴冕。璪十有二旒,則天數也。臣聞之:誦詩三百,不足以一獻;一獻之禮,不足以大饗;大饗之禮,不足以大旅;大旅具矣,不足以饗帝;是以君子無敢輕議於禮者也。」
新字:公曰:「天子之郊,其礼儀可得聞乎?」孔子対曰:「臣聞天子卜郊,則受命於祖廟,而作亀於祢宮;尊祖親考之義也。卜之日,王親立於沢宮,以聴誓命,受教諫之義也。既卜,献命庫門之内,所以誡百官也。将郊,則天子皮弁以聴報,示民厳上也。郊之日,喪者不敢哭,凶服者不敢入国門。汜掃清路,行者必止。弗命而民聴,敬之至也。天子大裘以黼之,被袞象天,乗素車,貴其質也。旗十有二旒,竜章而設以日月,所以法天也。既至泰壇,王脫裘矣。服袞以臨,燔柴戴冕。璪十有二旒,則天数也。臣聞之:誦詩三百,不足以一献;一献之礼,不足以大饗;大饗之礼,不足以大旅;大旅具矣,不足以饗帝;是以君子無敢軽議於礼者也。」
書き下し
公曰わく:「天子の郊、其の禮儀聞くを得べきか。」孔子對えて曰わく:「臣聞く、天子郊を卜するには、則ち命を祖廟に受け、龜を禰宮に作す、祖を尊び考に親しむの義なり。卜する日、王親ら澤宮に立ちて、以て誓命を聽く、教諫を受くるの義なり。既に卜すれば、命を庫門の內に獻ず、百官を誡むる所以なり。將に郊せんとすれば、則ち天子皮弁して以て報を聽く、民に上を嚴にするを示すなり。郊の日、喪者敢て哭せず、凶服の者敢て國門に入らず。路を汜掃して清め、行く者必ず止まる。命ぜずして民聽く、敬の至りなり。天子大裘に之を黼し、袞を被りて天に象り、素車に乘る、其の質を貴べばなり。旗十有二旒、龍章にして設くるに日月を以てす、天に法る所以なり。既に泰壇に至れば、王裘を脫ぐ。袞を服して以て臨み、柴を燔きて冕を戴く。璪十有二旒は、則ち天の數なり。臣之を聞く:詩三百を誦するも、以て一獻に足らず。一獻の禮も、以て大饗に足らず。大饗の禮も、以て大旅に足らず。大旅具わるも、以て帝を饗するに足らず。是を以て君子は敢て禮を輕議する者無きなり。」
現代語訳
定公は言った。「天子の郊祀の礼儀について、詳しく聞かせてもらえますか。」孔子は答えた。「私が聞くところでは、天子が郊祀の吉凶を占う際には、祖廟で占いの命を受け、父廟で亀甲による占いを行います。これは祖先を尊び、父を親しむ意味です。占いを行う日、王は自ら沢宮に立って誓いの言葉を聞きます。これは臣下からの教えや諫言を受け入れる意味です。占いが終わると、その結果を庫門の内側で発表します。これは百官を戒めるためです。まさに郊祀を行おうとする時、天子は皮弁の冠をつけて占いの報告を聞きます。これは民に上位者への厳粛さを示すためです。郊祀の当日は、喪中の者は決して哭泣せず、喪服を着た者は都の門に入りません。道を隅々まで掃き清め、行き交う人は必ず立ち止まります。命令せずとも民が自然に従うのは、敬意が極まっているからです。天子は大裘に黼(白黒の模様)を施し、袞衣をまとって天に象り、飾り気のない素の車に乗ります。これは質朴さを貴ぶからです。旗には十二本の房飾りをつけ、龍の文様に日と月の意匠を加えます。これは天に則るためです。祭壇に到着すると、王は裘を脱ぎます。袞衣を着て儀式に臨み、薪を焚いて冕(冠)をかぶります。冕の玉飾りが十二本あるのは、天の数(十二か月)に象るのです。私はこう聞いています。詩経三百篇を誦じても一度の献酒の礼には及ばない。一度の献酒の礼も、盛大な饗宴の礼には及ばない。盛大な饗宴の礼も、大規模な旅祭(山川の祭り)には及ばない。大規模な旅祭が整っていても、上帝を饗する郊祀には及ばない。だから君子は決して礼を軽々しく論じたりしないのです。」
解説
この章句が説くこと
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『十七条憲法』第四条四に曰わく、群臣(まえつきみ)百寮(もものつかさ)、礼を以て本(もと)と為(せ)よ。其れ民を治むるの本、要(かなめ)は礼に在り。上(かみ)礼無くんば下(しも)斉(ととの)わず。下(しも)礼無くんば以て必ず罪有り。是(ここ)を以て、群臣礼有れば、位次(くらい)乱れず。百姓(ひゃくせい)礼有れば、国家(こっか)自(おのずか)ら治まる。
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)へ町方(まちかた)の何某が訴状(そじょう)を渡すべしと申し候時、請け取るまじきと申し候を、何某が居合わせ、「まず請け取り置き候て、無用と候わば返し申され候えかし」と申し候に付いて、「さらば請け取り置くべし」と申し候時、「請け取らせる物を請け取らずに置く事がなるものか」と、いやしめ申され候由、話す人あり。役所々々(やくしょやくしょ)にて慇懃に取り合うのが士の作法にてあらずとなり。
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孟子・離婁章句上樂正子、子敖に從いて齊に之く。樂正子、孟子に見ゆ。孟子曰く、「子も亦た來たりて我を見るか。」曰く、「先生何為れぞ此の言を出だすや。」曰く、「子來たること幾日ぞ。」曰く、「昔者なり。」曰く、「昔者ならば、則ち我、此の言を出だすも、亦た宜ならずや。」曰く、「舍館未だ定まらざればなり。」曰く、「子、之を聞けりや。舍館定まりて、然る後に長者に見ゆることを求むるか。」曰く、「克、罪有り。」 <語釈> ○「樂正子」、趙注:魯の人樂正克、孟子の弟子なり、齊の右師子敖に從う、子敖、使いして魯に之く、樂正子、之に随い、來たりて齊に之く。○「昔者」、趙注:「昔者」は往なり、數日の閒を謂う。
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孟子・離婁章句下公行子、子の喪有り。右師往きて弔す。門に入るや、進みて右師と言う者有り。右師の位に就きて右師と言う者有り。孟子、右師と言わず。右師悅ばずして曰く、「諸君子皆、驩と言う、孟子獨り驩と言わず。是れ驩を簡にするなり。」孟子、之を聞きて曰く、「禮に、『朝廷には位を歷て相與に言わず、階を踰えて相揖ぜず。』と。我、禮を行わんと欲するに、子敖は我を以て簡なりと為す。亦た異ならずや。」
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「恭者は人を侮らず、儉者は人より奪わず。人を侮り奪うの君は、惟だ順わざらんことを恐る。惡くんぞ恭儉を為すを得んや。恭儉は豈に聲音笑貌を以て為す可けんや。」
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『武士道』第六章 禮儀・絶えず移りゆく流行を追う愚宜なり、衣食足りて礼節を知ると謂ひ、又たヴェブレン氏が多趣味の著『有閑階級論』に於て、礼は『有閑階級者の生活の産む所にして、又た之を表するものなり』と云ふこと。欧人ややもすれば我が礼儀の委曲繊巧に流るるを嗤ひ、思慮を役する大にして、之を固守すること其愚及ぶべからずと評す。予も亦た礼儀の繁縟なるよりして、徒に無用の細節に泥むことあるを知る。されど、泰西の絶えず移りゆく流行を追ふの愚に比するに、予は、にはかに其優劣を判ずるに苦しむものなり。然るに予は彼の流行すらも、なお之を目して、虚栄の癖好なりとせざるのみならず、反つて之を認めて、人心の断えず美を慕ふ所以なりとす。されば何すれぞ、繊巧なる儀礼を以て全く取るに足らずとせんや。