礼記 / 礼器
祀帝於郊,敬之至也。宗廟之祭,仁之至也。喪禮,忠之至也。備服器,仁之至也。賓客之用幣,義之至也。故君子欲觀仁義之道,禮其本也。君子曰:「甘受和,白受采;忠信之人,可以學禮。苟無忠信之人,則禮不虛道。是以得其人之為貴也。」
新字:祀帝於郊,敬之至也。宗廟之祭,仁之至也。喪礼,忠之至也。備服器,仁之至也。賓客之用幣,義之至也。故君子欲観仁義之道,礼其本也。君子曰:「甘受和,白受采;忠信之人,可以学礼。苟無忠信之人,則礼不虚道。是以得其人之為貴也。」
書き下し
帝を郊に祀るは、敬の至りなり。宗廟の祭は、仁の至りなり。喪礼は、忠の至りなり。服器を備うるは、仁の至りなり。賓客の幣を用うるは、義の至りなり。故に君子仁義の道を観んと欲せば、礼其の本なり。君子曰く、「甘は和を受け、白は采を受く。忠信の人は、以て礼を学ぶべし。苟(いやし)くも忠信の人無ければ、則ち礼虚しく道(おこな)われず。是を以て其の人を得るを之れ貴しと為すなり」と。
現代語訳
郊外で天帝を祭るのは、敬の極みである。宗廟の祭りは、仁の極みである。喪礼は、まごころの極みである。死者のために衣服や副葬の器を備えるのは、仁の極みである。賓客に幣帛を贈るのは、義の極みである。だから君子が仁義の道を見ようとするなら、礼こそがその根本である。君子は言う。「甘みはさまざまな味の調和を受け入れ、白はさまざまな彩りを受け入れる。まごころと信義のある人こそ、礼を学ぶことができる。もしまごころと信義のある人がいなければ、礼はむなしく行われることがない。だから、その人を得ることを貴いとするのである」。
解説
礼器篇の結びの段である。郊祀は敬、宗廟の祭りは仁、喪礼は忠、服器の備えは仁、賓客への幣帛は義の極みとし、仁義の道を見るには礼がその根本だとまとめる。続く「甘は和を受け、白は采を受く」は、甘みがあらゆる味の土台になり、白地があらゆる色を受け入れるように、忠信という素地があってはじめて礼が載るという比喩である。これは篇の冒頭近くで、忠信を礼の本、義理を礼の文としたことと呼応している。『論語』八佾篇で、子夏が「素以て絢を為す」の意味を問い、孔子が「絵事は素より後にす」と答え、子夏が「礼は後か」と悟った問答と同じ考えである。礼がどれほど細かく整えられていても、それを行う人に忠信がなければ虚しい。だから結局は人を得ることが貴いと結ぶ。仕組みや手順をいくら整えても、担う人の誠実さがなければ機能しないというのは、今の組織にもそのまま当てはまる。
この章句が説くこと
礼記忠信素地仁義礼器
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