礼記 / 礼器
禮之以多為貴者,以其外心者也;德發揚,詡萬物,大理物博,如此,則得不以多為貴乎?故君子樂其發也。禮之以少為貴者,以其內心者也。德產之致也精微,觀天下之物無可以稱其德者,如此,則得不以少為貴乎?是故君子慎其獨也。
新字:礼之以多為貴者,以其外心者也;徳発揚,詡万物,大理物博,如此,則得不以多為貴乎?故君子楽其発也。礼之以少為貴者,以其内心者也。徳産之致也精微,観天下之物無可以称其徳者,如此,則得不以少為貴乎?是故君子慎其独也。
書き下し
礼の多きを以て貴しと為す者は、其の心を外にするを以てなり。徳の発揚して、万物に詡(あまね)く、大いに物を理(おさ)めて博し。此の如くなれば、則ち多きを以て貴しと為さざるを得んや。故に君子は其の発するを楽しむなり。礼の少なきを以て貴しと為す者は、其の心を内にするを以てなり。徳の産の致(いた)りや精微にして、天下の物を観るに以て其の徳に称(かな)うべき者無し。此の如くなれば、則ち少なきを以て貴しと為さざるを得んや。是の故に君子は其の独りを慎むなり。
現代語訳
礼で数の多いことを尊いとするのは、心を外に向けるからである。徳が外に発して広がり、万物にあまねく行きわたり、大いに物事を治めて広く及ぶ。そうであれば、どうして多いことを尊いとしないでいられようか。だから君子は徳が外に発することを楽しむのである。礼で数の少ないことを尊いとするのは、心を内に向けるからである。徳が生まれてくるところの極みは精妙で微かであり、天下の物を見わたしても、その徳に釣り合うものは何もない。そうであれば、どうして少ないことを尊いとしないでいられようか。だから君子は、ひとりでいるときの自分をつつしむのである。
解説
前の数段で並べた多きを貴しとする礼と、少なきを貴しとする礼の理由を説き明かす段である。多きを貴しとするのは、心を外に向け、徳を広く万物に及ぼすからで、君子はその発露を楽しむ。少なきを貴しとするのは、心を内に向けるからで、内なる徳は精微で、天下のどんな品物もそれに釣り合わない。だから物を減らし、むしろ内面に向き合う。その結論が「君子は其の独りを慎む」である。慎独の語は『大学』と『中庸』にも見え、人が見ていないときにこそ自分をつつしむという、儒家の修養の要となる考えである。礼器篇ではそれが、外に物を並べる礼と、内に心を向ける礼との対比から導かれているのが興味深い。人前で立派に振る舞うことと、誰も見ていないところで自分を律することの両方がそろって、はじめて礼は完成する。
この章句が説くこと
礼記慎独内と外徳礼器
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