礼記 / 礼運
言偃復問曰:「夫子之極言禮也,可得而聞與?」孔子曰:「我欲觀夏道,是故之杞,而不足徵也;吾得《夏時》焉。我欲觀殷道,是故之宋,而不足徵也;吾得《坤乾》焉。《坤乾》之義,《夏時》之等,吾以是觀之。
新字:言偃復問曰:「夫子之極言礼也,可得而聞与?」孔子曰:「我欲観夏道,是故之杞,而不足徴也;吾得《夏時》焉。我欲観殷道,是故之宋,而不足徴也;吾得《坤乾》焉。《坤乾》之義,《夏時》之等,吾以是観之。
書き下し
言偃復た問いて曰く、「夫子の礼を極言すること、得て聞くべきか」と。孔子曰く、「我夏の道を観んと欲し、是の故に杞(き)に之(ゆ)けども、徴(しょう)とするに足らず。吾夏時を得たり。我殷の道を観んと欲し、是の故に宋に之けども、徴とするに足らず。吾坤乾(こんけん)を得たり。坤乾の義、夏時の等、吾是を以て之を観る。
現代語訳
言偃がさらに尋ねた。「先生が礼について極めて説かれるところを、お聞かせいただけますか」。孔子は言った。「私は夏の王朝の道を見たいと思い、そのために夏の子孫の国である杞へ行ったが、証拠とするに足るものは残っていなかった。ただ『夏時』(夏の暦)を得た。私は殷の王朝の道を見たいと思い、そのために殷の子孫の国である宋へ行ったが、やはり証拠とするに足るものはなかった。ただ『坤乾』(殷の易)を得た。『坤乾』の意味するところと、『夏時』の季節の次第によって、私は古の礼を観察するのである」。
解説
子游がさらに礼の根本を問い、孔子が夏と殷の礼を尋ねた経験を語る段である。夏の子孫の国杞、殷の子孫の国宋を訪ねても文献が乏しく確かめられなかったが、夏の暦と殷の易とを手に入れ、それを手がかりに古の礼を観たという。『論語』八佾篇にも、夏の礼は言えるが杞は証するに足らず、殷の礼は言えるが宋は証するに足らず、文献が足りないからだ、という孔子の言葉があり、この段はそれと響き合う。鄭玄は『夏時』を夏の四時の書、『坤乾』を殷の陰陽の書と注し、後者の伝わるものとして『帰蔵』を挙げている。孔子が礼を語るとき、伝聞ではなく残された資料を求めて足を運び、証拠の不足を正直に認めていたことがわかる。確かめられないことは確かめられないと言い、残った手がかりから慎重に考える態度は、今の調べものにも欠かせない。
この章句が説くこと
礼記夏時坤乾孔子礼運
関連する章句
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孔子家語・問禮言偃問いて曰く、「夫子の礼を極言せらるるや、得て聞くべきか。」孔子言えらく、「我夏を観んと欲し、是の故に杞に之くも、征するに足らざるなり、吾夏時を得たり。我殷道を観んと欲し、是の故に宋に之くも、征するに足らざるなり、吾乾坤を得たり。乾坤の義、夏時の等、吾此を以て之を観る。夫れ礼は、初めや飲食に始まる。太古の時、黍を燔き豚を擘き、罇を汙ちて杯飲し、蕢桴土鼓すれども、猶お以て鬼神を敬するに致すべし。其の死するに及びてや、屋に升りて号び告げて曰く、皋、某復べ、と。然る後腥を飲み苴を熟し、形体は則ち降り、魂気は則ち上る。是を天望地蔵と謂うなり。故に生者は南向し、死者は北首す、皆其の初めに従うなり。昔の王者、未だ宮室有らず。冬は則ち営窟に居り、夏は則ち櫓巣に居る。未だ火化有らず、草木の実、鳥獣の肉を食らう。其の血を飲み、其の毛を茹らう。未だ絲麻有らず、其の羽皮を衣る。後聖作有りて、然る後火の利を修め、金を範して土を合わせ、以て宮室戸牖を為り、以て炮し以て燔き、以て烹し以て炙り、以て醴酪を為り、其の絲麻を治め、以て布帛を為り、以て生を養い死を送り、以て鬼神に事う。故に玄酒室に在り、醴醆戸に在り、粢醍堂に在り、澄酒下に在り。其の犠牲を陳べ、其の鼎俎を備え、其の琴瑟を列ね、管磬鐘鼓もて、以て上神を降す。其の先祖と与に、以て君臣を正し、以て父子を篤くし、以て兄弟を睦じくし、以て上下を斉しくし、夫婦所有り。是を天の佑を承くと謂うなり。其の祝号を作り、玄酒以て祭り、其の血毛を薦め、其の俎を腥にし、其の殽を熟し、席を越えて坐す。羃を以て布き、其の浣帛を衣、醴醆以て献じ、其の燔炙を薦め、君と夫人と、交献して以て魂魄に嘉し、然る後退きて合烹し、其の犬豕牛羊を体し、其の簠簋を実たし、籩豆铏羹す。祝は孝を以て告げ、嘏は慈を以て告ぐ。是を大祥と為す。此れ礼の大成なり。」
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論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
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中庸子曰く、「吾夏(か)の礼を説けども、杞(き)は徴(ちょう)とするに足らざるなり。吾殷(いん)の礼を学べば、宋の存する有り。吾周の礼を学べば、今之を用う。吾は周に従わん」と。天下に王たるに三重有り。其れ過ち寡(すく)なからんか。上(かみ)なる者は善なりと雖も徴無し。徴無ければ信ぜられず。信ぜられざれば民従わず。下(しも)なる者は善なりと雖も尊からず。尊からざれば信ぜられず。信ぜられざれば民従わず。故に君子の道は、諸を身に本づけ、諸を庶民に徴し、諸を三王に考えて繆(あやま)らず、諸を天地に建てて悖(もと)らず、諸を鬼神に質(ただ)して疑い無く、百世以て聖人を俟(ま)ちて惑わず。諸を鬼神に質して疑い無きは、天を知るなり。百世以て聖人を俟ちて惑わざるは、人を知るなり。是の故に君子は動きて世々(よよ)天下の道と為り、行いて世々天下の法と為り、言いて世々天下の則(のり)と為る。之を遠ざかれば則ち望む有り、之に近づけば則ち厭(いと)わず。詩に曰く、『彼に在りて悪(にく)まるること無く、此に在りて射(いと)わるること無し。庶幾(こいねがわ)くは夙夜(しゅくや)、以て永く誉れを終えん』と。君子未だ此(かく)の如くならずして、蚤(はや)く誉れを天下に有する者は有らざるなり。
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礼記・礼運言偃復た問いて曰く、「此の如きか礼の急なるや」と。孔子曰く、「夫れ礼は、先王以て天の道を承け、以て人の情を治む。故に之を失う者は死し、之を得る者は生く。詩に曰く、『鼠を相(み)るに体有り、人にして礼無し。人にして礼無くんば、胡(なん)ぞ遄(すみ)やかに死せざる』と。是の故に夫れ礼は必ず天に本づき、地に殽(なら)い、鬼神に列し、喪・祭・射・御・冠・昏・朝・聘に達す。故に聖人礼を以て之に示す。故に天下国家得て正すべきなり」と。
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礼記・礼運孔子曰く、「於呼(ああ)哀しいかな。我周の道を観るに、幽・厲之を傷(そこな)えり。吾魯を舎(す)てて何(いず)くにか適かん。魯の郊・禘(てい)は、礼に非ざるなり。周公其れ衰えたるかな。杞の郊や、禹なり。宋の郊や、契(せつ)なり。是れ天子の事守なり。故に天子は天地を祭り、諸侯は社稷を祭る。
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孔子家語・禮運言偃曰わく:「今の位に在る者、禮に由るを知る莫し。何ぞや。」孔子曰わく:「嗚呼哀しいかな!我周の道を觀るに、幽厲傷えるなり。吾魯を舍きて何くにか適かん。夫れ魯の郊及び禘は、皆禮に非ず。周公其れ已に衰えたるなり。杞の郊するや、禹たり。宋の郊するや、契たり。是れ天子の事守なり。天子杞宋二王の後たるを以て、周公政を攝りて太平を致せば、天子と同じきは是れ禮なり。諸侯社稷宗廟を祭るに、上下皆其の典を奉じ、祝嘏敢て其の常法を易えざれば、是を大嘉と謂う。今祝嘏の辭說をして、徒に宗祝巫史に藏せしむるは、禮に非ざるなり。是を幽國と謂う。醆斝尸君に及ぶは、禮に非ず。是を僭君と謂う。冕弁兵車、私家に藏するは、禮に非ず。是を脅君と謂う。大夫官を具え、祭器假らず、聲樂皆具わるは、禮に非ず。是を亂國と爲す。故に公に仕うるを臣と曰い、家に仕うるを僕と曰う。三年の喪、與新たに婚有る者は、期使わざるなり。衰裳を以て朝に入り、家僕と雜居して齊しく齒するは、禮に非ず。是を臣と君と國を共にすと謂う。天子田有り、以て其の子孫を處らしめ、諸侯國有り、以て其の子孫を處らしめ、大夫采有り、以て其の子孫を處らしむ、是を制度と謂う。天子諸侯に適けば、必ず其の宗廟に舍り、禮もて入るを籍らざれば、是を天子法を壞り紀を亂すと謂う。諸侯疾を問い喪を吊うに非ずして、諸臣の家に入れば、是を君臣謔を爲すと謂う。」
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