中庸
子曰:「吾說夏禮,杞不足徵也。吾學殷禮,有宋存焉;吾學周禮,今用之,吾從周。」王天下有三重焉,其寡過矣乎!上焉者雖善無徵,無徵不信,不信民弗從;下焉者雖善不尊,不尊不信,不信民弗從。故君子之道本諸身,徵諸庶民,考諸三王而不繆,建諸天地而不悖,質諸鬼神而無疑,百世以俟聖人而不惑。質諸鬼神而無疑,知天也;百世以俟聖人而不惑,知人也。是故君子動而世為天下道,行而世為天下法,言而世為天下則。遠之則有望,近之則不厭。《詩》曰:「在彼無惡,在此無射;庶幾夙夜,以永終譽!」君子未有不如此而蚤有譽於天下者也。
新字:子曰:「吾説夏礼,杞不足徴也。吾學殷礼,有宋存焉;吾學周礼,今用之,吾従周。」王天下有三重焉,其寡過矣乎!上焉者雖善無徴,無徴不信,不信民弗従;下焉者雖善不尊,不尊不信,不信民弗従。故君子之道本諸身,徴諸庶民,考諸三王而不繆,建諸天地而不悖,質諸鬼神而無疑,百世以俟聖人而不惑。質諸鬼神而無疑,知天也;百世以俟聖人而不惑,知人也。是故君子動而世為天下道,行而世為天下法,言而世為天下則。遠之則有望,近之則不厭。《詩》曰:「在彼無悪,在此無射;庶幾夙夜,以永終誉!」君子未有不如此而蚤有誉於天下者也。
書き下し
子曰く、「吾夏(か)の礼を説けども、杞(き)は徴(ちょう)とするに足らざるなり。吾殷(いん)の礼を学べば、宋の存する有り。吾周の礼を学べば、今之を用う。吾は周に従わん」と。天下に王たるに三重有り。其れ過ち寡(すく)なからんか。上(かみ)なる者は善なりと雖も徴無し。徴無ければ信ぜられず。信ぜられざれば民従わず。下(しも)なる者は善なりと雖も尊からず。尊からざれば信ぜられず。信ぜられざれば民従わず。故に君子の道は、諸を身に本づけ、諸を庶民に徴し、諸を三王に考えて繆(あやま)らず、諸を天地に建てて悖(もと)らず、諸を鬼神に質(ただ)して疑い無く、百世以て聖人を俟(ま)ちて惑わず。諸を鬼神に質して疑い無きは、天を知るなり。百世以て聖人を俟ちて惑わざるは、人を知るなり。是の故に君子は動きて世々(よよ)天下の道と為り、行いて世々天下の法と為り、言いて世々天下の則(のり)と為る。之を遠ざかれば則ち望む有り、之に近づけば則ち厭(いと)わず。詩に曰く、『彼に在りて悪(にく)まるること無く、此に在りて射(いと)わるること無し。庶幾(こいねがわ)くは夙夜(しゅくや)、以て永く誉れを終えん』と。君子未だ此(かく)の如くならずして、蚤(はや)く誉れを天下に有する者は有らざるなり。
現代語訳
孔子は言われた。「私は夏王朝の礼を説くことができるが、その末裔である杞の国には裏付けとなるものが十分に残っていない。私は殷の礼を学んだが、その末裔である宋の国に手がかりが残っている。私は周の礼を学んだが、これは今まさに用いられている。だから私は周に従おう」と。天下に王たる者には、三つの重要なことがある。それを守れば過ちは少ないだろう。古すぎる時代のものは、たとえ立派でも裏付けがない。裏付けがなければ信じてもらえない。信じてもらえなければ民は従わない。低い立場の者の説は、たとえ立派でも権威がない。権威がなければ信じてもらえない。信じてもらえなければ民は従わない。だから君子の道とは、自分自身に根拠を置き、民衆によって検証し、三代の王に照らして誤りがなく、天地に立ててみて背かず、目に見えぬものに問うても疑いがなく、百代の後に聖人が現れて評価しても揺るがないものである。目に見えぬものに問うて疑いがないのは、天を知っているからである。百代後の聖人を待っても揺るがないのは、人を知っているからである。だから君子は、その一挙一動が代々の天下の道となり、その行いが代々の天下の手本となり、その言葉が代々の天下の規範となる。遠く離れた者はその人を慕い、近くにいる者もその人を嫌がらない。『詩経』に「あちらにいても憎まれず、こちらにいても嫌われない。願わくは朝な夕なに励み、いつまでも誉れを全うしたい」とある。君子でこのようであることなくして、天下に早くから誉れを得た者など、いまだかつていないのである。