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孔子家語 / 問禮

言偃問曰:「夫子之極言禮也,可得而聞乎?」孔子言:「我欲觀夏,是故之杞,而不足征也,吾得夏時焉;我欲觀殷道,是故之宋,而不足征也,吾得乾坤焉。乾坤之義,夏時之等,吾以此觀之。夫禮,初也始於飲食。太古之時,燔黍擘豚,汙罇杯飲,蕢桴土鼓,猶可以致敬鬼神。及其死也,升屋而號告曰:高,某復。然後飲腥苴熟,形體則降,魂氣則上,是謂天望而地藏也。故生者南向,死者北首,皆從其初也。昔之王者,未有宮室。冬則居營窟,夏則居櫓巢。未有火化,食草木之實,鳥獸之肉。飲其血,茹其毛;未有絲麻,衣其羽皮。後聖有作,然後修火之利,範金合土,以為宮室戶牖;以炮以燔,以烹以炙,以為醴酪;治其絲麻,以為布帛,以養生送死,以事鬼神。故玄酒在室,醴醆在戶,粢醍在堂,澄酒在下。陳其犧牲,備其鼎俎,列其琴瑟,管磬鐘鼓,以降上神。與其先祖,以正君臣,以篤父子,以睦兄弟,以齊上下,夫婦有所,是謂承天之佑。作其祝號,玄酒以祭,薦其血毛,腥其俎,熟其殽,越席以坐。布以羃,衣其浣帛,醴醆以獻,薦其燔炙,君與夫人,交獻以嘉魂魄,然後退而合烹,體其犬豕牛羊,實其簠簋,籩豆铏羹。祝以孝告,嘏以慈告,是為大祥,此禮之大成也。」

新字:言偃問曰:「夫子之極言礼也,可得而聞乎?」孔子言:「我欲観夏,是故之杞,而不足征也,吾得夏時焉;我欲観殷道,是故之宋,而不足征也,吾得乾坤焉。乾坤之義,夏時之等,吾以此観之。夫礼,初也始於飲食。太古之時,燔黍擘豚,汙罇杯飲,蕢桴土鼓,猶可以致敬鬼神。及其死也,升屋而号告曰:高,某復。然後飲腥苴熟,形体則降,魂気則上,是謂天望而地蔵也。故生者南向,死者北首,皆従其初也。昔之王者,未有宮室。冬則居営窟,夏則居櫓巣。未有火化,食草木之実,鳥獣之肉。飲其血,茹其毛;未有糸麻,衣其羽皮。後聖有作,然後修火之利,範金合土,以為宮室戶牖;以炮以燔,以烹以炙,以為醴酪;治其糸麻,以為布帛,以養生送死,以事鬼神。故玄酒在室,醴醆在戶,粢醍在堂,澄酒在下。陳其犠牲,備其鼎俎,列其琴瑟,管磬鐘鼓,以降上神。与其先祖,以正君臣,以篤父子,以睦兄弟,以斉上下,夫婦有所,是謂承天之佑。作其祝号,玄酒以祭,薦其血毛,腥其俎,熟其殽,越席以坐。布以羃,衣其浣帛,醴醆以献,薦其燔炙,君与夫人,交献以嘉魂魄,然後退而合烹,体其犬豕牛羊,実其簠簋,籩豆铏羹。祝以孝告,嘏以慈告,是為大祥,此礼之大成也。」

書き下し

言偃問いて曰く、「夫子の礼を極言せらるるや、得て聞くべきか。」孔子言えらく、「我夏を観んと欲し、是の故に杞に之くも、征するに足らざるなり、吾夏時を得たり。我殷道を観んと欲し、是の故に宋に之くも、征するに足らざるなり、吾乾坤を得たり。乾坤の義、夏時の等、吾此を以て之を観る。夫れ礼は、初めや飲食に始まる。太古の時、黍を燔き豚を擘き、罇を汙ちて杯飲し、蕢桴土鼓すれども、猶お以て鬼神を敬するに致すべし。其の死するに及びてや、屋に升りて号び告げて曰く、皋、某復べ、と。然る後腥を飲み苴を熟し、形体は則ち降り、魂気は則ち上る。是を天望地蔵と謂うなり。故に生者は南向し、死者は北首す、皆其の初めに従うなり。昔の王者、未だ宮室有らず。冬は則ち営窟に居り、夏は則ち櫓巣に居る。未だ火化有らず、草木の実、鳥獣の肉を食らう。其の血を飲み、其の毛を茹らう。未だ絲麻有らず、其の羽皮を衣る。後聖作有りて、然る後火の利を修め、金を範して土を合わせ、以て宮室戸牖を為り、以て炮し以て燔き、以て烹し以て炙り、以て醴酪を為り、其の絲麻を治め、以て布帛を為り、以て生を養い死を送り、以て鬼神に事う。故に玄酒室に在り、醴醆戸に在り、粢醍堂に在り、澄酒下に在り。其の犠牲を陳べ、其の鼎俎を備え、其の琴瑟を列ね、管磬鐘鼓もて、以て上神を降す。其の先祖と与に、以て君臣を正し、以て父子を篤くし、以て兄弟を睦じくし、以て上下を斉しくし、夫婦所有り。是を天の佑を承くと謂うなり。其の祝号を作り、玄酒以て祭り、其の血毛を薦め、其の俎を腥にし、其の殽を熟し、席を越えて坐す。羃を以て布き、其の浣帛を衣、醴醆以て献じ、其の燔炙を薦め、君と夫人と、交献して以て魂魄に嘉し、然る後退きて合烹し、其の犬豕牛羊を体し、其の簠簋を実たし、籩豆铏羹す。祝は孝を以て告げ、嘏は慈を以て告ぐ。是を大祥と為す。此れ礼の大成なり。」

現代語訳

言偃が「先生が礼について極めて詳しく語られるのを、お聞かせいただけますか」と尋ねると、孔子は語った。「私は夏の礼を見てみたいと思い、そのために杞の国に行ったが、十分な証拠を得ることはできず、ただ『夏時』(夏の暦法)を得ることができた。私は殷の道を見てみたいと思い、そのために宋の国に行ったが、十分な証拠を得ることはできず、ただ『乾坤』(易の乾坤二卦)を得ることができた。乾坤の意味、夏時の体系、私はこれをもって古の礼を推し量るのだ。そもそも礼というものは、その最初は飲食から始まった。太古の時代、人々はキビを焼き豚を裂いて食べ、地面に穴を掘って酒を溜め手ですくって飲み、土のかたまりを桴に見立て土を叩いて太鼓の代わりとしたが、それでもなお鬼神を敬うことはできた。人が死んだときには、屋根に登って『ああ、某よ、帰ってこい』と魂を呼び戻す儀式を行った。その後、生の肉を捧げ、穀物を煮て供え、遺体は地に降ろされ、魂気は天に昇っていくとされた。これを『天望地蔵』(魂は天を望み、身体は地に蔵める)という。だから生きている者は南を向き、死者は北に頭を向けて葬られる。これらはみな、最初の素朴なやり方に従っているのである。昔の王者たちには、まだ宮殿というものがなかった。冬は洞穴に住み、夏は木の上に組んだ巣のような住まいに住んだ。まだ火を使う術がなく、草木の実や鳥獣の肉を食べ、その血をすすり、その毛のついたままの肉をかじった。まだ絹や麻もなく、鳥獣の羽や皮を身にまとった。後の世に聖人が現れて、火を使う技術を修め、金属を型に流し土をこねて宮殿や戸口・窓を作り、食物を焼いたり炙ったり、煮たり炙ったりして甘酒や乳製品を作り、絹や麻を紡いで布帛を作り、これによって生者を養い死者を送り、鬼神に仕えるようになった。だから今でも、水を代用した玄酒を室内に、甘い醴醆を戸口に、濁った粢醍を堂に、澄んだ酒を下座に置く。犠牲を並べ、鼎や俎を備え、琴瑟を配置し、管楽器・磬・鐘・太鼓を用いて、天の神々を降臨させる。先祖の霊と共に、これによって君臣の関係を正し、父子の情を篤くし、兄弟を睦まじくし、上下を等しくし、夫婦それぞれの居場所を定める。これを『天の助けを受け継ぐ』というのである。祝詞の言葉を定め、玄酒で祭り、生の血と毛を捧げ、生肉を俎に載せ、煮た肉を供え、席を離れて座る。覆いの布をかけ、洗い清めた絹の衣を着て、醴醆を献上し、炙った肉を供え、君主と夫人が代わる代わる献酒して先祖の魂魄をもてなし、その後で下がって肉を煮合わせ、犬・豚・牛・羊の肉を分け、器に盛り、汁物を供える。祝官は孝の心を込めて祈りを告げ、それに応えて幸いを告げる嘏辞が唱えられる。これを『大祥』という。これこそ礼の完成された姿である。」

解説

言偃(子游)の問いに応えて、孔子が礼の起源を太古の素朴な飲食の儀礼から説き起こし、住居も火の使用もなかった原始の暮らしから、聖人の出現による文明の発展を経て、宗廟祭祀の精緻な体系にまで至る壮大な礼の発展史を語る章です。夏の暦法や殷の易理を手がかりに古の礼を推測する姿勢からは、孔子の実証的な探究心もうかがえます。礼とは天から一方的に与えられた規則ではなく、人間が生活の必要から生み出し、時代とともに洗練させてきた文化の蓄積であるという歴史観は、伝統や制度の意味をその成立の経緯にまで遡って理解しようとする視点として、現代にも通じる示唆を与えます。

この章句が説くこと

礼の起源言偃太古宗廟祭祀乾坤

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