礼記 / 曽子問
曾子問曰:「下殤:土周葬于園,遂輿機而往,塗邇故也。今墓遠,則其葬也如之何?」孔子曰:「吾聞諸老聃曰:『昔者史佚有子而死,下殤也。墓遠,召公謂之曰:「何以不棺斂於宮中?」史佚曰:「吾敢乎哉?」召公言於周公,周公曰:「豈不可?」史佚行之。』下殤用棺衣棺,自史佚始也。」
新字:曽子問曰:「下殤:土周葬于園,遂輿機而往,塗邇故也。今墓遠,則其葬也如之何?」孔子曰:「吾聞諸老聃曰:『昔者史佚有子而死,下殤也。墓遠,召公謂之曰:「何以不棺斂於宮中?」史佚曰:「吾敢乎哉?」召公言於周公,周公曰:「豈不可?」史佚行之。』下殤用棺衣棺,自史佚始也。」
書き下し
曾子問いて曰く、「下殤(かしょう)は、土周(どしゅう)して園に葬り、遂に機(き)を輿(か)きて往くは、塗邇(ちか)きが故なり。今、墓遠ければ、則ち其の葬や之を如何せん」と。孔子曰く、「吾、諸を老聃に聞けり、曰く、『昔者、史佚(しいつ)に子有りて死す、下殤なり。墓遠し。召公之に謂いて曰く、「何を以てか宮中に棺斂せざる」と。史佚曰く、「吾敢えてせんや」と。召公、周公に言う。周公曰く、「豈に不可ならんや」と。史佚之を行う』と。下殤に棺衣の棺を用うるは、史佚より始まるなり」と。
現代語訳
曾子が尋ねた。「下殤(かしょう、八歳から十一歳で亡くなった子)は、焼き固めた土の囲いの中に入れて家の園に葬り、遺体を機(き、遺体を載せる台)に載せて担いで行きます。道のりが近いからです。いま墓が遠い場合、その葬りはどうすればよいのでしょうか。」孔子は答えた。「わたしは老聃からこう聞いた。『むかし史佚(しいつ、周初の史官)に子があって亡くなった。下殤であった。墓は遠かった。召公(しょうこう、周の重臣)が史佚に言った。「どうして家の中で棺に納めないのか。」史佚は言った。「わたしがどうしてそのようなことをできましょうか。」召公がこのことを周公に話すと、周公は「どうしていけないことがあろう」と言った。史佚はそのとおりにした。』下殤を棺に納め、衣を着せて葬ることは、史佚から始まったのである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
礼記・曽子問曾子問いて曰く、「祭るに必ず尸有るか。厭祭の若きも亦た可なるか」と。孔子曰く、「成喪を祭るには必ず尸有り、尸は必ず孫を以てす。孫幼なれば、則ち人をして之を抱かしむ。孫無くんば、則ち同姓に取りて可なり。殤(しょう)を祭るには必ず厭す、蓋し成らざればなり。成喪を祭りて尸無きは、是れ之を殤とするなり」と。孔子曰く、「陰厭有り、陽厭有り」と。曾子問いて曰く、「殤は祔祭(ふさい)せず、何をか陰厭・陽厭と謂う」と。孔子曰く、「宗子殤と為りて死すれば、庶子後と為らざるなり。其の吉祭は、特牲なり。殤を祭るには肺を挙げず、肵俎(きそ)無く、玄酒無く、利成を告げず、是れを陰厭と謂う。凡そ殤と、後無き者とは、宗子の家に祭り、室の白(はく)に当たり、東房に尊す、是れを陽厭と謂う」と。
-
礼記・檀弓上曾子曰く、「始死の奠(てん)は、其れ余閣(よかく)なるか」と。曾子曰く、「小功に位を為さざるは、是れ委巷の礼なり。子思の嫂(あによめ)を哭するや位を為し、婦人倡(とな)えて踊(よう)す。申祥の言思を哭するも亦然り」と。 古は冠縮縫(しゅくほう)し、今や衡縫(こうほう)す。故に喪冠の吉に反するは、古に非ざるなり。曾子子思に謂いて曰く、「伋(きゅう)、吾親の喪を執るや、水漿(すいしょう)口に入らざること七日」と。子思曰く、「先王の礼を制するや、これに過ぐる者は俯(ふ)してこれに就き、至らざる者は跂(つまだ)ちてこれに及ぶ。故に君子の親の喪を執るや、水漿口に入らざること三日、杖つきて后に能く起つ」と。
-
礼記・喪服小記器を陳ぬるの道は、多く之を陳ねて省きて之を納るるも可なり。省きて之を陳ねて尽く之を納るるも可なり。兄弟の喪に奔(はし)るには、先ず墓に之(ゆ)きて而る後に家に之き、位を為して哭す。知る所の喪には、則ち宮に哭して而る後に墓に之く。父は衆子の為に外に次(じ)せず。諸侯と兄弟たる者は斬を服す。下殤(かしょう)の小功は、帯は、澡麻(そうま)して本を絶たず、詘(くっ)して反し以て之を報(むす)ぶ。
-
礼記・曽子問賤は貴を誄(るい)せず、幼は長を誄せざるは、礼なり。唯だ天子は天を称して以て之を誄す。諸侯相誄するは、礼に非ざるなり。 曾子問いて曰く、「君、疆(さかい)を出づるに、三年の戒を以てし、椑(へい)を以て従う。君薨ずれば、其の入ること之を如何せん」と。孔子曰く、「殯服を共(きょう)すれば、則ち子は麻の弁絰(べんてつ)、疏衰(そさい)、菲(ひ)、杖。闕(けつ)より入り、西階より升る。如し小斂すれば、則ち子は免(ぶん)して柩に従い、門より入り、阼階(そかい)より升る。君・大夫・士、一節なり」と。曾子問いて曰く、「君の喪既に引きて、父母の喪を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「遂(と)ぐ。既に封(へん)して帰り、子を俟(ま)たず」と。曾子問いて曰く、「父母の喪既に引きて、塗に及び、君の薨を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「遂ぐ。既に封して、服を改めて往く」と。
-
礼記・曽子問曾子問いて曰く、「宗子去りて他国に在り、庶子爵無くして居る者は、以て祭るべきか」と。孔子曰く、「祭らんかな」と。「請い問う、其の祭や之を如何せん」と。孔子曰く、「墓を望みて壇を為り、時を以て祭る。若し宗子死すれば、墓に告げて而る后に家に祭る。宗子死すれば、名を称して『孝』と言わず、身没するのみ。子游の徒、庶子の祭る者有り、此を以て義に若(したが)うなり。今の祭る者は、其の義を首(もと)づかず、故に祭に誣(し)うるなり」と。
-
礼記・曽子問曾子問いて曰く、「君薨(こう)じて世子生まるれば、之を如何(いかん)せん」と。孔子曰く、「卿・大夫・士は摂主(せっしゅ)に従いて西階の南に北面す。大祝(たいしゅく)は裨冕(ひべん)し、束帛(そくはく)を執り、西階より升り、等を尽くして、堂に升らず、哭する毋(な)からしむ。祝、声すること三たび、告げて曰く、『某の子生まる、敢えて告ぐ』と。升りて、幣を殯(ひん)の東の几上に奠(お)き、哭して降る。衆主人・卿・大夫・士・房中皆哭し、踊(よう)せず。一哀を尽くして、位に反る。遂に朝奠(ちょうてん)す。小宰升りて幣を挙ぐ。三日にして、衆主人・卿・大夫・士は初めの位の如くし、北面す。大宰・大宗・大祝皆裨冕す。少師(しょうし)子を奉ずるに衰(さい)を以てす。祝先んじ、子従い、宰・宗人従う。門に入れば、哭する者止み、子は西階より升る。殯前に北面す。祝は殯の東南隅に立つ。祝、声すること三たび、曰く、『某の子某、執事に従いて敢えて見(まみ)ゆ』と。子は拝して稽顙(けいそう)し、哭す。祝・宰・宗人・衆主人・卿・大夫・士哭し、踊すること三たびする者三たびにして、降り、東して位に反り、皆袒(たん)す。子踊し、房中も亦た踊すること三たびする者三たびなり。衰を襲(き)、杖つき、奠して出づ。大宰は祝・史に命じて名を以て徧(あまね)く五祀・山川に告げしむ」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る