礼記 / 曽子問
曾子問曰:「葬引,至于堩,日有食之,則有變乎?且不乎?」孔子曰:「昔者吾從老聃助葬於巷黨,及堩,日有食之,老聃曰:『丘!止柩,就道右,止哭以聽變。』既明反而后行。曰:『禮也。』反葬,而丘問之曰:『夫柩不可以反者也,日有食之,不知其已之遟數,則豈如行哉?』老聃曰:『諸侯朝天子,見日而行,逮日而舍奠;大夫使,見日而行,逮日而舍。夫柩不蚤出,不莫宿。見星而行者,唯罪人與奔父母之喪者乎?日有食之,安知其不見星也。且君子行禮,不以人之親痁患。』吾聞諸老聃云。」
新字:曽子問曰:「葬引,至于堩,日有食之,則有変乎?且不乎?」孔子曰:「昔者吾従老聃助葬於巷党,及堩,日有食之,老聃曰:『丘!止柩,就道右,止哭以聴変。』既明反而后行。曰:『礼也。』反葬,而丘問之曰:『夫柩不可以反者也,日有食之,不知其已之遟数,則豈如行哉?』老聃曰:『諸侯朝天子,見日而行,逮日而舎奠;大夫使,見日而行,逮日而舎。夫柩不蚤出,不莫宿。見星而行者,唯罪人与奔父母之喪者乎?日有食之,安知其不見星也。且君子行礼,不以人之親痁患。』吾聞諸老聃云。」
書き下し
曾子問いて曰く、「葬引(そういん)して、堩(こう)に至り、日之を食する有らば、則ち変有るか。且つ不(いな)か」と。孔子曰く、「昔者、吾、老聃に従いて巷党(こうとう)に葬を助く。堩に及びて、日之を食する有り。老聃曰く、『丘よ、柩を止め、道の右に就き、哭を止めて以て変を聴け』と。既に明らかにして反りて而る后に行く。曰く、『礼なり』と。葬より反りて、丘之に問いて曰く、『夫れ柩は以て反るべからざる者なり。日之を食する有らば、其の已むことの遟数(ちそく)を知らず、則ち豈に行くに如かんや』と。老聃曰く、『諸侯の天子に朝するは、日を見て行き、日に逮(およ)びて舎(やど)りて奠す。大夫の使いするは、日を見て行き、日に逮びて舎る。夫れ柩は蚤(はや)く出でず、莫(く)れて宿らず。星を見て行く者は、唯だ罪人と父母の喪に奔る者とか。日之を食する有らば、安んぞ其の星を見ざるを知らんや。且つ君子の礼を行うや、人の親を以て痁患(てんかん)せず』と。吾、諸を老聃に聞けりと云う」と。
現代語訳
曾子が尋ねた。「葬列が柩を引いて道中にあるときに日食が起こったら、何か変更があるのでしょうか。それともないのでしょうか。」孔子は答えた。「むかし、わたしは老聃に従って巷党(こうとう、村の名)で葬儀を手伝ったことがある。道中に差しかかったとき、日食が起こった。老聃は言った。『丘(孔子の名)よ、柩を止めて道の右側に寄せ、哭をやめて異変の成り行きを見守れ。』日がもとどおり明るくなると、また葬列を進めた。そして『これが礼である』と言った。葬儀から帰ってきて、わたしは老聃に尋ねた。『柩というものは引き返せないものです。日食が起こっても、それがいつ終わるのか、早いか遅いかはわかりません。それならそのまま進んだほうがよいのではありませんか。』老聃は言った。『諸侯が天子に朝見するときは、日が出てから出発し、日のあるうちに宿に着いて供え物をする。大夫が使者に立つときも、日が出てから出発し、日のあるうちに宿に着く。柩は朝早くに出さず、日が暮れてから野宿させない。星を見ながら行くのは、罪人と、父母の喪に急ぎ駆けつける者だけであろう。日食が起これば、星が見えるような暗さにならないとどうしてわかろう。それに君子が礼を行うときには、他人の親を危うい目にあわせることはしないものだ。』わたしは老聃からそう聞いたのである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「祭に当たりて日食し、大廟の火あれば、其の祭や之を如何せん」と。孔子曰く、「接祭(せっさい)するのみ。如し牲至りて未だ殺さずんば、則ち廃す」と。 天子崩じて、未だ殯せざれば、五祀の祭は行わず。既に殯して祭るに、其の祭や、尸(し)入り、三飯して、侑(すす)めず、酳(いん)して酢(さく)せざるのみ。啓より反哭に至るまで、五祀の祭は行わず。已に葬りて祭るには、祝畢(ことごと)く献ずるのみ。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「諸侯旅(とも)に天子に見え、門に入りて礼を終うるを得ず、廃する者幾(いく)ばくぞ」と。孔子曰く、「四」と。之を請い問う。曰く、「大廟の火、日食、后の喪、雨霑(うるお)いて服容を失えば、則ち廃す。如し諸侯皆在りて日食すれば、則ち天子に従いて日を救い、各々其の方色と其の兵とを以てす。大廟の火あれば、則ち天子に従いて火を救い、方色と兵とを以てせず」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「諸侯相見え、揖譲して門に入り、礼を終うるを得ず、廃する者幾ばくぞ」と。孔子曰く、「六」と。之を請い問う。曰く、「天子崩じ、大廟の火、日食、后・夫人の喪、雨霑いて服容を失えば、則ち廃す」と。 曾子問いて曰く、「天子の嘗・禘・郊・社・五祀の祭、簠簋(ほき)既に陳(つら)ね、天子崩じ、后の喪あれば、之を如何せん」と。孔子曰く、「廃す」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「古者(いにしえ)師行くに、必ず遷廟の主を以て行くか」と。孔子曰く、「天子巡守(じゅんしゅ)するに、遷廟の主を以て行き、斉車(さいしゃ)に載す、必ず尊有るを言うなり。今や七廟の主を取りて以て行くは、則ち之を失えり。七廟五廟に当たりては虚主無し。虚主なる者は、唯だ天子崩じ、諸侯薨じ、其の国を去ると、祖に祫祭(こうさい)するとに、主無しと為すのみ。吾、諸(これ)を老聃(ろうたん)に聞けり、曰く、『天子崩じ、国君薨ずれば、則ち祝は群廟の主を取りて諸を祖廟に蔵す、礼なり。卒哭(そつこく)して事を成して而る后に、主各々其の廟に反る。君其の国を去れば、大宰は群廟の主を取りて以て従う、礼なり。祖に祫祭すれば、則ち祝は四廟の主を迎う。主の廟を出で廟に入るには必ず蹕(ひつ)す』と。老聃云う」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「諸侯の社稷を祭るに、俎豆(そとう)既に陳ね、天子の崩、后の喪、君の薨、夫人の喪を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「廃す。薨より殯に比(およ)ぶまで、啓より反哭に至るまで、天子に奉帥(ほうすい)す」と。 曾子問いて曰く、「大夫の祭、鼎(かなえ)・俎既に陳ね、籩(へん)・豆既に設け、礼を成すを得ず、廃する者幾ばくぞ」と。孔子曰く、「九」と。之を請い問う。曰く、「天子崩じ、后の喪、君薨じ、夫人の喪、君の大廟の火、日食、三年の喪、斉衰、大功には、皆廃す。外喪は斉衰より以下行うなり。其の斉衰の祭や、尸入り、三飯して、侑めず、酳して酢せざるのみ。大功には、酢するのみ。小功・緦には、室中の事のみ。士の異なる所以の者は、緦には祭らず。祭る所、死者に於いて服無ければ、則ち祭る」と。曾子問いて曰く、「三年の喪に、弔うか」と。孔子曰く、「三年の喪は、練して、群立せず、旅行せず。君子は礼以て情を飾る。三年の喪にして弔哭するは、亦た虚ならずや」と。曾子問いて曰く、「大夫士に私喪有り、以て之を除くべきに、而も君服有らば、其の之を除くや之を如何せん」と。孔子曰く、「君の喪服身に有れば、敢えて私服せず、又何ぞ除かん。是に於いてか時を過ぐるも除かざること有るなり。君の喪服除きて而る后に殷祭(いんさい)するは、礼なり」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「女を取るに吉日有りて女死すれば、之を如何せん」と。孔子曰く、「壻は斉衰して弔い、既に葬りて之を除く。夫死すれば亦た之の如くす」と。曾子問いて曰く、「喪に二孤有り、廟に二主有るは、礼か」と。孔子曰く、「天に二日無く、土に二王無し。嘗(しょう)・禘(てい)・郊・社は、尊に二上無し。未だ其の礼為るを知らざるなり。昔者、斉の桓公亟(しばしば)兵を挙げ、偽主(ぎしゅ)を作りて以て行く。反るに及びて、諸を祖廟に蔵す。廟に二主有るは、桓公より始まるなり。喪の二孤は、則ち昔者衛の霊公魯に適き、季桓子の喪に遭う。衛君弔わんことを請い、哀公辞すれども、命を得ず、公主と為り、客入りて弔う。康子は門の右に立ち、北面す。公は揖譲して東階より升り、西郷す。客は西階より升りて弔う。公拝し、興(た)ちて哭す。康子は位に拝して稽顙し、有司辯ぜざるなり。今の二孤は、季康子の過ちよりするなり」と。
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