礼記 / 曽子問
曾子問曰:「諸侯旅見天子,入門不得終禮,廢者幾?」孔子曰:「四。」請問之。曰:「大廟火,日食,后之喪,雨霑服失容,則廢。如諸侯皆在而日食,則從天子救日,各以其方色與其兵。大廟火,則從天子救火,不以方色與兵。」
新字:曽子問曰:「諸侯旅見天子,入門不得終礼,廃者幾?」孔子曰:「四。」請問之。曰:「大廟火,日食,后之喪,雨霑服失容,則廃。如諸侯皆在而日食,則従天子救日,各以其方色与其兵。大廟火,則従天子救火,不以方色与兵。」
書き下し
曾子問いて曰く、「諸侯旅(とも)に天子に見え、門に入りて礼を終うるを得ず、廃する者幾(いく)ばくぞ」と。孔子曰く、「四」と。之を請い問う。曰く、「大廟の火、日食、后の喪、雨霑(うるお)いて服容を失えば、則ち廃す。如し諸侯皆在りて日食すれば、則ち天子に従いて日を救い、各々其の方色と其の兵とを以てす。大廟の火あれば、則ち天子に従いて火を救い、方色と兵とを以てせず」と。
現代語訳
曾子が尋ねた。「諸侯がそろって天子に謁見するとき、門に入ってから儀礼を最後まで行えずに取りやめることが何通りあるのでしょうか。」孔子は答えた。「四つある。」曾子がその内容を尋ねると、孔子は答えた。「太祖の廟の火事、日食、王后の喪、雨に濡れて衣服や容儀が乱れた場合には、取りやめる。もし諸侯がみな集まっているときに日食が起これば、天子に従って太陽を救う儀式を行い、それぞれの国の方角の色の服を着て、その方角の武器を持つ。太祖の廟が火事になれば、天子に従って火を消すが、方角の色の服や武器は用いない。」
解説
諸侯が天子に朝見する儀式の最中に、それを中止すべき四つの事態を挙げる。廟の火災、日食、王后の喪、そして雨で衣服が濡れて威儀が整わない場合である。日食のときは、諸侯がそれぞれの方角の色の服を着て兵器を持ち、天子に従って太陽を救う。鄭玄は方色を、東は青、南は赤、西は白、北は黒と注し、兵器を持つのは討つべきものがあることを示すためだとする。孔穎達の疏は、日食を陰が陽を侵す、すなわち臣が強く君が弱い象と見る考えを述べる。火事のときは実際に消火に当たるので、色も兵器も用いない。ここで雨に濡れて容儀を失うことが、火事や日食と並んで中止の理由に数えられているのは興味深い。儀礼は威儀が整ってこそ成り立つという考えである。重要な場を中止する基準を前もって決めておくことは、行事や会議の運営にもそのまま役立つ。
この章句が説くこと
礼記曽子問朝見日食威儀
関連する章句
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「諸侯相見え、揖譲して門に入り、礼を終うるを得ず、廃する者幾ばくぞ」と。孔子曰く、「六」と。之を請い問う。曰く、「天子崩じ、大廟の火、日食、后・夫人の喪、雨霑いて服容を失えば、則ち廃す」と。 曾子問いて曰く、「天子の嘗・禘・郊・社・五祀の祭、簠簋(ほき)既に陳(つら)ね、天子崩じ、后の喪あれば、之を如何せん」と。孔子曰く、「廃す」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「葬引(そういん)して、堩(こう)に至り、日之を食する有らば、則ち変有るか。且つ不(いな)か」と。孔子曰く、「昔者、吾、老聃に従いて巷党(こうとう)に葬を助く。堩に及びて、日之を食する有り。老聃曰く、『丘よ、柩を止め、道の右に就き、哭を止めて以て変を聴け』と。既に明らかにして反りて而る后に行く。曰く、『礼なり』と。葬より反りて、丘之に問いて曰く、『夫れ柩は以て反るべからざる者なり。日之を食する有らば、其の已むことの遟数(ちそく)を知らず、則ち豈に行くに如かんや』と。老聃曰く、『諸侯の天子に朝するは、日を見て行き、日に逮(およ)びて舎(やど)りて奠す。大夫の使いするは、日を見て行き、日に逮びて舎る。夫れ柩は蚤(はや)く出でず、莫(く)れて宿らず。星を見て行く者は、唯だ罪人と父母の喪に奔る者とか。日之を食する有らば、安んぞ其の星を見ざるを知らんや。且つ君子の礼を行うや、人の親を以て痁患(てんかん)せず』と。吾、諸を老聃に聞けりと云う」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「諸侯の社稷を祭るに、俎豆(そとう)既に陳ね、天子の崩、后の喪、君の薨、夫人の喪を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「廃す。薨より殯に比(およ)ぶまで、啓より反哭に至るまで、天子に奉帥(ほうすい)す」と。 曾子問いて曰く、「大夫の祭、鼎(かなえ)・俎既に陳ね、籩(へん)・豆既に設け、礼を成すを得ず、廃する者幾ばくぞ」と。孔子曰く、「九」と。之を請い問う。曰く、「天子崩じ、后の喪、君薨じ、夫人の喪、君の大廟の火、日食、三年の喪、斉衰、大功には、皆廃す。外喪は斉衰より以下行うなり。其の斉衰の祭や、尸入り、三飯して、侑めず、酳して酢せざるのみ。大功には、酢するのみ。小功・緦には、室中の事のみ。士の異なる所以の者は、緦には祭らず。祭る所、死者に於いて服無ければ、則ち祭る」と。曾子問いて曰く、「三年の喪に、弔うか」と。孔子曰く、「三年の喪は、練して、群立せず、旅行せず。君子は礼以て情を飾る。三年の喪にして弔哭するは、亦た虚ならずや」と。曾子問いて曰く、「大夫士に私喪有り、以て之を除くべきに、而も君服有らば、其の之を除くや之を如何せん」と。孔子曰く、「君の喪服身に有れば、敢えて私服せず、又何ぞ除かん。是に於いてか時を過ぐるも除かざること有るなり。君の喪服除きて而る后に殷祭(いんさい)するは、礼なり」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「相識(そうしき)、喪服有りて以て祭に与るべきか」と。孔子曰く、「緦(し)には祭らず、又何ぞ人を助けん」と。 曾子問いて曰く、「喪服を廃して、以て饋奠の事に与るべきか」と。孔子曰く、「衰を説(ぬ)ぎて奠に与るは、礼に非ざるなり。以て擯相(ひんしょう)するは可なり」と。 曾子問いて曰く、「昏礼既に納幣(のうへい)して、吉日有り、女の父母死すれば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「壻(むこ)は人をして弔わしむ。如し壻の父母死すれば、則ち女の家も亦た人をして弔わしむ。父の喪には父と称し、母の喪には母と称す。父母在らざれば、則ち伯父世母と称す。壻、已に葬れば、壻の伯父、命を女氏に致して曰く、『某の子、父母の喪有りて、嗣ぎて兄弟と為るを得ず、某をして命を致さしむ』と。女氏許諾して、敢えて嫁がざるは、礼なり。壻、喪を免(まぬか)るれば、女の父母人をして請わしむ。壻取らずして、而る后に之を嫁がしむるは、礼なり。女の父母死すれば、壻も亦た之の如くす」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「女を取るに吉日有りて女死すれば、之を如何せん」と。孔子曰く、「壻は斉衰して弔い、既に葬りて之を除く。夫死すれば亦た之の如くす」と。曾子問いて曰く、「喪に二孤有り、廟に二主有るは、礼か」と。孔子曰く、「天に二日無く、土に二王無し。嘗(しょう)・禘(てい)・郊・社は、尊に二上無し。未だ其の礼為るを知らざるなり。昔者、斉の桓公亟(しばしば)兵を挙げ、偽主(ぎしゅ)を作りて以て行く。反るに及びて、諸を祖廟に蔵す。廟に二主有るは、桓公より始まるなり。喪の二孤は、則ち昔者衛の霊公魯に適き、季桓子の喪に遭う。衛君弔わんことを請い、哀公辞すれども、命を得ず、公主と為り、客入りて弔う。康子は門の右に立ち、北面す。公は揖譲して東階より升り、西郷す。客は西階より升りて弔う。公拝し、興(た)ちて哭す。康子は位に拝して稽顙し、有司辯ぜざるなり。今の二孤は、季康子の過ちよりするなり」と。
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