礼記 / 王制
古者以周尺八尺為步,今以周尺六尺四寸為步。古者百畝,當今東田百四十六畝三十步。古者百里,當今百二十一里六十步四尺二寸二分。 方千里者,為方百里者百。封方百里者三十國,其餘,方百里者七十。又封方七十里者六十,為方百里者二十九,方十里者四十。其餘,方百里者四十,方十里者六十;又封方五十里者百二十,為方百里者三十,其餘,方百里者十,方十里者六十。名山大澤不以封,其餘以為附庸閒田。諸侯之有功者,取於閒田以祿之;其有削地者,歸之閒田。天子之縣內:方千里者,為方百里者百。封方百里者九,其餘方百里者九十一。又封方七十里者二十一,為方百里者十,方十里者二十九,其餘,方百里者八十,方十里者七十一。又封方五十里者六十三,為方百里者十五,方十里者七十五,其餘方百里者六十四,方十里者九十六。
新字:古者以周尺八尺為歩,今以周尺六尺四寸為歩。古者百畝,当今東田百四十六畝三十歩。古者百里,当今百二十一里六十歩四尺二寸二分。 方千里者,為方百里者百。封方百里者三十国,其余,方百里者七十。又封方七十里者六十,為方百里者二十九,方十里者四十。其余,方百里者四十,方十里者六十;又封方五十里者百二十,為方百里者三十,其余,方百里者十,方十里者六十。名山大沢不以封,其余以為附庸閒田。諸侯之有功者,取於閒田以禄之;其有削地者,帰之閒田。天子之県内:方千里者,為方百里者百。封方百里者九,其余方百里者九十一。又封方七十里者二十一,為方百里者十,方十里者二十九,其余,方百里者八十,方十里者七十一。又封方五十里者六十三,為方百里者十五,方十里者七十五,其余方百里者六十四,方十里者九十六。
書き下し
古者は周尺八尺を以て歩と為し、今は周尺六尺四寸を以て歩と為す。古者の百畝は、今の東田百四十六畝三十歩に当たる。古者の百里は、今の百二十一里六十歩四尺二寸二分に当たる。 方千里なる者は、方百里なる者百と為す。方百里なる者三十国を封ずれば、其の余は方百里なる者七十。又方七十里なる者六十を封ずれば、方百里なる者二十九、方十里なる者四十と為す。其の余は方百里なる者四十、方十里なる者六十。又方五十里なる者百二十を封ずれば、方百里なる者三十と為し、其の余は方百里なる者十、方十里なる者六十。名山大沢は以て封ぜず、其の余は以て附庸・閒田(かんでん)と為す。諸侯の功有る者は、閒田より取りて以てこれに禄し、其の地を削らるる者有れば、これを閒田に帰す。天子の県内は、方千里なる者、方百里なる者百と為す。方百里なる者九を封ずれば、其の余は方百里なる者九十一。又方七十里なる者二十一を封ずれば、方百里なる者十、方十里なる者二十九と為し、其の余は方百里なる者八十、方十里なる者七十一。又方五十里なる者六十三を封ずれば、方百里なる者十五、方十里なる者七十五と為し、其の余は方百里なる者六十四、方十里なる者九十六。
現代語訳
昔は周の尺で八尺を一歩としたが、今は周の尺で六尺四寸を一歩とする。昔の百畝は、今の東方の田の百四十六畝三十歩に当たる。昔の百里は、今の百二十一里六十歩四尺二寸二分に当たる。 方千里の州には、方百里の区画が百ある。そこに方百里の国を三十封ずると、残りは方百里の区画が七十となる。さらに方七十里の国を六十封ずると、それは方百里の区画二十九と方十里の区画四十に当たり、残りは方百里の区画が四十と方十里の区画が六十となる。さらに方五十里の国を百二十封ずると、それは方百里の区画三十に当たり、残りは方百里の区画が十と方十里の区画が六十となる。名山や大沢は封ぜず、その残りを附庸や閒田(かんでん、予備の土地)とする。諸侯に功のある者があれば、閒田から取って禄として加え、領地を削られる者があれば、その分を閒田に戻す。天子の県内も方千里であるから、方百里の区画が百ある。方百里の国を九封ずると、残りは方百里の区画が九十一となる。さらに方七十里の国を二十一封ずると、それは方百里の区画十と方十里の区画二十九に当たり、残りは方百里の区画が八十と方十里の区画が七十一となる。さらに方五十里の国を六十三封ずると、それは方百里の区画十五と方十里の区画七十五に当たり、残りは方百里の区画が六十四と方十里の区画が九十六となる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・應務・度量寬弘なれば受用の處有り世間に一處として拂意の事無きは無く、一日として拂意の事無きは無し。椎だ度量寬弘なれば受用の處有り。彼の局量褊淺なる者は空しく自ら懊恨するのみ。
-
『呻吟語』内篇・應務・量は六合の隘きを嫌ふ量は六合の隘きを嫌ひ、身は五岳を負ふも輕し。
-
説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
-
『呻吟語』内篇・應務・一葉の滄海に泛ぶが如し聖賢の量は空闊なり。事の胸中に到るは一葉の滄海に泛ぶが如し。
-
史記 季布欒布列伝季布は、楚の人なり。気を為し任侠たり、楚に名有り。項籍兵を将ゐしめ、数々漢王を窘む。項羽滅ぶるに及び、高祖布を千金に購求し、敢へて舎匿する有らば、罪三族に及ぶとす。季布濮陽の周氏に匿る。周氏曰く「漢将軍を購ふこと急なり、跡且に臣の家に至らんとす、将軍能く臣に聴かば、臣敢へて計を献ぜん。即し能はずんば、願はくは先づ自剄せん」と。季布之を許す。乃ち季布を髡鉗し、褐衣を衣せ、広柳車の中に置き、并びに其の家僮数十人と、魯の朱家の所に之きて之を売る。朱家心に是れ季布なるを知り、乃ち買ひて之を田に置く。其の子を誡めて曰く「田事は此の奴に聴け、必ず与に食を同じくせよ」と。朱家乃ち軺車に乗りて洛陽に之き、汝陰侯滕公に見ゆ。滕公朱家を留めて飲むこと数日。因りて滕公に謂ひて曰く「季布何の大罪ありて、上之を求むること急なるや」と。滕公曰く「布数々項羽の為に上を窘む、上之を怨む、故に必ず之を得んと欲す」と。朱家曰く「君季布を視ること何如なる人ぞ」と。曰く「賢者なり」と。朱家曰く「臣は各々其の主の為に用ひらる、季布の項籍の為に用ひらるるは、職のみ。項氏の臣尽く誅すべけんや。今上始めて天下を得て、独り己の私怨を以て一人を求む、何ぞ天下に広からざるを示すや。且つ季布の賢を以てして漢之を求むること此くの如く急なれば、此れ北のかた胡に走らずんば即ち南のかた越に走らんのみ。夫れ壮士を忌みて以て敵国に資するは、此れ伍子胥の荊の平王の墓に鞭うちし所以なり。君何ぞ従容として上の為に言はざるや」と。汝陰侯滕公心に朱家の大侠なるを知り、季布其の所に匿るると意ひ、乃ち許して曰く「諾」と。間を待ちて、果たして朱家の指の如く言ふ。上乃ち季布を赦す。是の時に当たり、諸公皆季布の能く剛を摧きて柔と為すを多とし、
-
『十善法語』巻第六・不惡口戒愚ナル者ハ。謹慎ハ窮窟ナルヤウニ思ヒ。放逸ハ安楽ナルヤウニ思フ。サウデナイ。誠ノ楽ハ謹慎篤実ノ上ニ在テ。燕安放逸ノ処ニハナイ。愚ナル者ハ。謹慎篤実ナレハ不器量ナル様ニ思ヒ。倨傲大胆ナレハ一器量アル様ニ思フ。サウテナイ。誠ノ度量ハ謹慎篤実ノ上ニ在テ。倨傲大胆ノ処ニハナキシヤ。古稽叔夜カ鍾会ヲ侮テ。後其身刑セラル。其養生論閑言語トナル。知伯カ韓魏ヲ侮テ。終ニ身ヲ亡シ国ヲ亡ス。其强土堅甲ミナ敵ノ資トナル。稽叔夜カ自ラ才ヲ負ミ。知伯カ自ラ威名ニ夸ル。実ヲ剋スレハ。ミナ其量ノ狭小ナルヨリ起ル。耻ヘキコトシヤ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る