礼記 / 檀弓下
孺子𪏆之喪,哀公欲設撥,問於有若,有若曰:「其可也,君之三臣猶設之。」顏柳曰:「天子龍輴而椁幬,諸侯輴而設幬,為榆沈故設撥;三臣者廢輴而設撥,竊禮之不中者也,而君何學焉。」
新字:孺子𪏆之喪,哀公欲設撥,問於有若,有若曰:「其可也,君之三臣猶設之。」顔柳曰:「天子竜輴而椁幬,諸侯輴而設幬,為榆沈故設撥;三臣者廃輴而設撥,窃礼之不中者也,而君何学焉。」
書き下し
孺子𪏆(じゅしとん)の喪に、哀公撥(はつ)を設けんと欲し、有若に問う。有若曰く、「其れ可なり、君の三臣すら猶おこれを設く」と。顔柳曰く、「天子は龍輴(りょうしゅん)にして椁幬(かくとう)し、諸侯は輴にして幬を設く。榆沈(ゆちん)の為の故に撥を設く。三臣の者は輴を廃して撥を設く、礼の中(あた)らざる者を窃(ぬす)むなり。而るに君何ぞ焉(これ)に学ばん」と。
現代語訳
魯の哀公の幼い子である𪏆(とん)の喪に、哀公は柩車を引く綱である撥(はつ)を設けようと考え、有若に尋ねた。有若は言った。「よろしいでしょう。君の三人の重臣(三桓)でさえ、これを設けています」。顔柳(がんりゅう)が言った。「天子は竜を描いた柩車(龍輴)を用いて、柩を椁のような覆い(幬、とう)で包みます。諸侯は柩車(輴)を用いて覆いを設けます。そして楡(にれ)の皮の汁を地面にまいて滑りをよくし(榆沈)、柩車を引くために撥を設けるのです。ところが三人の重臣は、柩車を用いないのに撥だけを設けています。これは礼の中でも筋の通らない部分だけを盗み取ったものです。どうして君がそれに学ぶ必要がありましょうか」。
解説
君主が臣下の僭越な慣行をまねようとしたのを止めた段である。哀公は幼くして亡くなった子の葬送に撥を設けたいと考え、有若は三桓もしているのだからよいと答えた。鄭玄は、撥とは柩車を引く綱、すなわち紼のことだと注し、榆沈とは楡の白皮の汁を地にまいて柩車を滑らせるものだと説く。顔柳は、撥は本来柩車とそれを滑らせる仕掛けとが一組になった天子・諸侯の礼であり、三桓は柩車を用いずに撥だけを取り入れた、つまり礼の意味を理解せずに見栄えのする部分だけを盗んだのだと指摘した。鄭玄は、礼にないことを学ぶのを止めたのだと注する。臣下が君主の礼をまねること自体が僭越であり、しかもそれが中途半端な模倣であった。それを君主の側がまねれば、誤りがさらに上塗りされる。「あの人たちもやっている」は、しばしば判断の根拠にされる。だがそれが意味を欠いた形だけの模倣でないか、仕組みの全体を見て判断することが大切である。
この章句が説くこと
礼記有若模倣僭越葬送
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