礼記 / 檀弓上
曾子曰:「尸未設飾,故帷堂,小斂而徹帷。」仲梁子曰:「夫婦方亂,故帷堂,小斂而徹帷。」 小斂之奠,子游曰:「於東方。」曾子曰:「于西方,斂斯席矣。」小斂之奠在西方,魯禮之末失也。
新字:曽子曰:「尸未設飾,故帷堂,小斂而徹帷。」仲梁子曰:「夫婦方乱,故帷堂,小斂而徹帷。」 小斂之奠,子游曰:「於東方。」曽子曰:「于西方,斂斯席矣。」小斂之奠在西方,魯礼之末失也。
書き下し
曾子曰く、「尸(し)未だ飾りを設けず、故に堂に帷(とばり)し、小斂(しょうれん)して帷を徹す」と。仲梁子曰く、「夫婦方(まさ)に乱る、故に堂に帷し、小斂して帷を徹す」と。 小斂の奠(てん)、子游曰く、「東方に於いてす」と。曾子曰く、「西方に于いてす、斂むるに斯(ここ)に席す」と。小斂の奠の西方に在るは、魯の礼の末失なり。
現代語訳
曾子が言った。「亡骸(尸)にまだ衣を整える飾りを施していないから、堂に帷(とばり)を張って覆い隠し、小斂(しょうれん、亡骸に衣を着せて衾で包む儀)が済めば帷を取り払うのである」。仲梁子(ちゅうりょうし、魯の人)は言った。「夫婦(喪主とその妻)がちょうど悲しみに取り乱しているときだから、堂に帷を張り、小斂が済めば帷を取り払うのである」。 小斂のときの奠(てん、亡骸に供える供物)について、子游は「東の方に置く」と言った。曾子は「西の方に置く。斂めるときにそこに席を敷くのだから」と言った。小斂の奠を西に置くのは、魯の礼が末の世になって誤ったものである。
解説
人が亡くなった直後、遺体を整える場面の礼を二つ記した段である。前半は、なぜ堂に帷を張るのかをめぐる二つの説明である。曾子は、まだ衣を着せていない遺体を人目にさらさないためだと死者の側から説き、仲梁子は、喪主夫婦が悲しみで取り乱している姿を隠すためだと生者の側から説く。どちらも小斂が済めば帷を外すという点では同じで、礼の形は一つでも、その理由の立て方が人によって違うことがよくわかる。後半は小斂の奠を置く位置の争いで、子游は東、曾子は西と言い、記者は西に置くのを魯の末世の誤りと断じて子游の側に立つ。鄭玄もこれを末世に礼を失ったものと注する。孝で知られる曾子が、ここでは記者に退けられているのが面白い。死者の尊厳を守ることと、遺族の取り乱しを包むことは、いまの通夜や安置の場でも心を配るべき二つの柱である。
この章句が説くこと
礼記喪礼小斂曽子檀弓上
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