礼記 / 檀弓上
司寇惠子之喪,子游為之麻衰,牡麻絰,文子辭曰:「子辱與彌牟之弟游,又辱為之服,敢辭。」子游曰:「禮也。」文子退,反哭。子游趨而就諸臣之位,文子又辭曰:「子辱與彌牟之弟游,又辱為之服,又辱臨其喪,敢辭。」子游曰:「固以請。」文子退,扶適子南面而立,曰:「子辱與彌牟之弟游,又辱為之服,又辱臨其喪,虎也敢不復位。」子游趨而就客位。
新字:司寇恵子之喪,子游為之麻衰,牡麻絰,文子辞曰:「子辱与弥牟之弟游,又辱為之服,敢辞。」子游曰:「礼也。」文子退,反哭。子游趨而就諸臣之位,文子又辞曰:「子辱与弥牟之弟游,又辱為之服,又辱臨其喪,敢辞。」子游曰:「固以請。」文子退,扶適子南面而立,曰:「子辱与弥牟之弟游,又辱為之服,又辱臨其喪,虎也敢不復位。」子游趨而就客位。
書き下し
司寇恵子の喪に、子游これが為に麻衰(まさい)・牡麻(ぼま)の絰す。文子辞して曰く、「子辱(かたじけな)くも弥牟(びぼう)の弟と游び、又辱くもこれが為に服す。敢えて辞す」と。子游曰く、「礼なり」と。文子退きて、反りて哭す。子游趨りて諸臣の位に就く。文子又辞して曰く、「子辱くも弥牟の弟と游び、又辱くもこれが為に服し、又辱くも其の喪に臨む。敢えて辞す」と。子游曰く、「固く以て請う」と。文子退き、適子(てきし)を扶けて南面して立たしめて曰く、「子辱くも弥牟の弟と游び、又辱くもこれが為に服し、又辱くも其の喪に臨む。虎や敢えて位に復せざらんや」と。子游趨りて客位に就く。
現代語訳
衛の司寇(司法の長官)恵子の喪で、子游は麻の衰(喪服)を着け、牡麻(雄の麻)の絰を着けた。恵子の兄の文子(名は弥牟)が辞退して言った。「あなたはかたじけなくも弟と交わってくださり、そのうえかたじけなくも喪服まで着けてくださる。恐れ入りますが、ご辞退申し上げます」。子游は「礼でございます」と答えた。文子は退いて戻り、哭した。子游は小走りに家臣たちの並ぶ位置に就いた。文子はまた辞退して言った。「あなたはかたじけなくも弟と交わってくださり、そのうえ喪服を着け、そのうえ喪にまで臨んでくださる。恐れ入りますが、ご辞退申し上げます」。子游は言った。「是非ともお願い申し上げます」。文子は退き、恵子の嫡子を抱えるようにして南に向かって喪主の位置に立たせ、言った。「あなたはかたじけなくも弟と交わってくださり、そのうえ喪服を着け、そのうえ喪に臨んでくださった。虎(嫡子の名)が喪主の位に戻らないでよいはずがありましょうか」。すると子游は小走りに客の位置に就いた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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礼記・檀弓上将軍文子の喪に、既に喪を除きて、而る后に越人来り弔う。主人深衣・練冠して、廟に待ち、涕洟(ていい)を垂る。子游これを観て曰く、「将軍文氏の子は其れ庶幾(ちか)からんか。礼に亡(な)き者の礼なり、其の動くや中(あた)れり」と。 幼にして名づけ、冠して字(あざな)し、五十にして伯仲を以てし、死して諡(おくりな)するは、周の道なり。絰(てつ)なる者は、実なり。中霤(ちゅうりゅう)を掘りて浴し、竈(かまど)を毀(こぼ)ちて以て足を綴(つづ)り、葬に及びて、宗を毀ち行を躐(こ)えて、大門より出ずるは、殷の道なり。学者これを行う。
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礼記・檀弓上県子曰く、「綌衰(げきさい)繐裳(すいしょう)は、古(いにしえ)に非ざるなり」と。 子蒲卒す、哭する者滅(めつ)と呼ぶ。子皋曰く、「是(か)くの若きは野なるかな」と。哭する者これを改む。 杜橋の母の喪、宮中に相(しょう)無し、以て沽(こ)と為すなり。 夫子曰く、「始めて死するに、羔裘(こうきゅう)玄冠する者は、これを易(か)うるのみ」と。羔裘玄冠しては、夫子以て弔せず。
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礼記・檀弓上曾子は裘(きゅう)を襲(おお)いて弔い、子游は裘を裼(せき)して弔う。曾子子游を指して人に示して曰く、「夫(か)の夫(ひと)や、礼に習う者たり。これを如何ぞ其れ裘を裼して弔うや」と。主人既に小斂し、袒(たん)し、括髪す。子游趨りて出で、裘を襲い、帯・絰して入る。曾子曰く、「我過てり、我過てり、夫の夫是なり」と。
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礼記・檀弓上喪服に、兄弟の子は猶子(ゆうし)のごときは、蓋し引きてこれを進むるなり。嫂叔(そうしゅく)の服無きは、蓋し推してこれを遠ざくるなり。姑(こ)・姊妹(しまい)の薄きは、蓋し我より受けてこれを厚くする者有ればなり。 喪有る者の側に食すれば、未だ嘗て飽かざるなり。 曾子客と門の側に立つ。其の徒趨りて出ず。曾子曰く、「爾将に何くにか之(ゆ)かんとする」と。曰く、「吾が父死す。将に出でて巷に哭せんとす」と。曰く、「反りて爾が次(やど)に哭せよ」と。曾子北面してこれを弔う。
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礼記・檀弓下衛の司徒敬子死す、子夏これを弔す、主人未だ小斂せず、絰(てつ)して往く。子游これを弔す、主人既に小斂す、子游出でて絰し、反りて哭す。子夏曰く、「これを聞けるか」と。曰く、「諸を夫子に聞く、主人未だ服を改めざれば則ち絰せず、と」と。 曾子曰く、「晏子は礼を知ると謂うべきのみ、恭敬これ有り」と。有若曰く、「晏子は一狐裘三十年、遣車一乗、墓に及びて反る。国君は七个(こ)、遣車七乗。大夫は五个、遣車五乗。晏子焉(いずく)んぞ礼を知らん」と。曾子曰く、「国に道無ければ、君子は礼を盈(み)たすを恥ず。国奢れば、則ちこれに示すに倹を以てし、国倹なれば、則ちこれに示すに礼を以てす」と。
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礼記・檀弓下邾婁(ちゅろう)の考公の喪に、徐君容居(ようきょ)をして来たりて弔し含(がん)せしむ。曰く、「寡君容居をして坐して含し、侯玉を進めしむ。其れ容居をして以て含せしめよ」と。有司曰く、「諸侯の来たりて敝邑を辱(かたじけの)うする者は、易(い)ならば則ち易にし、于(う)ならば則ち于にす。易・于雑(まじ)うる者は、未だこれ有らざるなり」と。容居対えて曰く、「容居これを聞く、君に事えては敢えて其の君を忘れず、亦た敢えて其の祖を遺(わす)れず、と。昔我が先君駒王(くおう)西のかた討ちて河を済(わた)る、斯の言を用いざる所無きなり。容居は、魯(ろ)人なり、敢えて其の祖を忘れず」と。子思の母衛に死す、子思に赴(ふ)す、子思廟に哭す。門人至りて、曰く、「庶氏の母死す、何為(なんす)れぞ孔氏の廟に哭する」と。子思曰く、「吾過てり、吾過てり」と。遂に他室に哭す。
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