礼記 / 檀弓上
顏淵之喪,饋祥肉,孔子出受之;入,彈琴而后食之。 孔子與門人立,拱而尚右,二三子亦皆尚右。孔子曰:「二三子之嗜學也,我則有姊之喪故也。」二三子皆尚左。
新字:顔淵之喪,饋祥肉,孔子出受之;入,弾琴而后食之。 孔子与門人立,拱而尚右,二三子亦皆尚右。孔子曰:「二三子之嗜学也,我則有姊之喪故也。」二三子皆尚左。
書き下し
顔淵の喪に、祥肉を饋(おく)る。孔子出でてこれを受け、入りて琴を弾じて后にこれを食う。 孔子門人と立ち、拱(きょう)して右を尚(たっと)ぶ。二三子も亦皆右を尚ぶ。孔子曰く、「二三子の学を嗜(たしな)むや。我は則ち姊の喪有るが故なり」と。二三子皆左を尚ぶ。
現代語訳
顔淵(孔子の最愛の弟子)の喪で、(喪主の家から)祥祭の供え肉が孔子のもとに届けられた。孔子は出て行ってそれを受け取り、家に入ると琴を弾いてからそれを食べた。 孔子が門人たちと並んで立っていたとき、両手を胸の前で組み、右手を上にしていた。門人たちもみな右手を上にした。孔子は言った。「お前たちは学ぶことに熱心だな。だが私は姉の喪に服しているからそうしているのだ」。門人たちはみな左手を上に改めた。
解説
前半は、顔淵の祥祭の供え肉が届けられたとき、孔子が自ら出て受け取り、琴を弾いてから食べた話である。論語先進篇で孔子が「天予を喪ぼせり」と嘆いた最愛の弟子の喪であり、その哀しみを整えてから肉を口にする姿に、師弟の情と節度とが同時に表れている。後半は、孔子が拱手の際に右手を上にしたのを門人がみな真似したので、孔子が、これは姉の喪があるからだと説明し、門人が左手を上に戻した話である。鄭玄は、喪では陰である右を尚び、吉では陽である左を尚ぶと注す。孔子の「二三子の学を嗜むや」には、何でも真似をする弟子へのほほえましさと、形の意味を知らずに真似ることへのやんわりとした戒めが込められている。師や先輩の振る舞いを学ぶときは、その形がどんな事情から来ているかを確かめることが大切だと、この逸話は教える。
この章句が説くこと
礼記顔淵孔子拱手模倣
関連する章句
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孔子家語・曲禮公西赤問顔淵の喪既に祥するに、顔路祥肉を孔子に饋る。孔子自ら出でて之を受け、入りて琴を弾じて以て情を散じ、而る後に乃ち之を食らう。孔子嘗て薦を奉じて進むに、其の親しむや愨に、其の行くや趨り、趨るに数を以てす。已に祭るに、子貢問いて曰く、「夫子の祭を言うや、済済漆漆たり、今夫れ子路季氏の宰と為り、季氏の祭は昏に逮びて奠し、終日足らず、継ぐに燭を以てす、強力の容有りと雖も、粛敬の心、皆倦怠す。有司跛倚して以て臨む、其の不敬為るや大なり」と。他日、子路与る、室事は戸に交わり、堂事は階に当たり、質明にして始めて事を行い、晏朝にして徹す。孔子之を聞きて曰く、「孰か士たりて礼を知らずと為さんや」と。
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礼記・檀弓上孔子既に祥(しょう)して、五日琴を弾ずれども声を成さず、十日にして笙歌を成す。 有子(ゆうし)蓋し既に祥して絲屨(しく)・組纓(そえい)す。 死して弔わざる者三あり。畏(い)・厭(あつ)・溺(でき)なり。子路姊(あね)の喪有り、以てこれを除くべくして、除かざるなり。孔子曰く、「何ぞ除かざるや」と。子路曰く、「吾兄弟寡(すく)なくして忍びざるなり」と。孔子曰く、「先王の礼を制するや、行道の人も皆忍びざるなり」と。子路これを聞きて、遂にこれを除く。
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礼記・檀弓上孔子の喪に、二三子皆絰(てつ)して出ず。群居すれば則ち絰し、出ずれば則ち否(しか)らず。 墓を易(おさ)むるは、古に非ざるなり。 子路曰く、「吾諸を夫子に聞く。『喪礼は、其の哀足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして哀余り有るに若(し)かざるなり。祭礼は、其の敬足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして敬余り有るに若かざるなり』と」と。
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礼記・檀弓上孔子衛に在り。葬を送る者有り、而して夫子これを観て曰く、「善いかな喪を為すこと。以て法と為すに足れり。小子これを識(しる)せ」と。子貢曰く、「夫子何ぞ善しとするや」と。曰く、「其の往くや慕うが如く、其の反るや疑うが如し」と。子貢曰く、「豈に速やかに反りて虞(ぐ)するに若(し)かんや」と。子曰く、「小子これを識せ。我未だこれを能く行わざるなり」と。
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礼記・檀弓上衰(さい)は、其の物に当たらざらんよりは、寧ろ衰無かれ。斉衰には辺坐せず、大功には服勤せず。 孔子衛に之(ゆ)き、旧館人の喪に遇う。入りてこれを哭して哀し。出でて、子貢をして驂(さん)を説(と)きてこれに賻(ふ)せしむ。子貢曰く、「門人の喪に於いて、未だ驂を説く所有らず。驂を旧館に説くは、乃ち已に重きこと無からんや」と。夫子曰く、「予(われ)郷(さき)に入りてこれを哭し、一哀に遇いて涕(なみだ)を出だす。予夫の涕の従う無きを悪(にく)む。小子これを行え」と。
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礼記・檀弓下魯の荘公の喪、既に葬りて、絰(てつ)は庫門(こもん)に入らず。士大夫既に卒哭(そっこく)すれば、麻は入らず。 孔子の故人を原壌(げんじょう)と曰う。其の母死す。夫子これが椁(かく)を沐(おさ)むるを助く。原壌木に登りて曰く、「久しいかな、予の音に託せざるや」と。歌いて曰く、「貍首(りしゅ)の班然たる、女(なんじ)の手を執ることの巻然たる」と。夫子為に聞かざる者のごとくにしてこれを過ぐ。従者曰く、「子未だ以て已むべからざるか」と。夫子曰く、「丘これを聞く、親しき者は其の親たることを失うこと毋く、故(ふる)き者は其の故たることを失うこと毋し、と」。
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