礼記 / 檀弓上
孔子之喪,二三子皆絰而出。群居則絰,出則否。 易墓、非古也。 子路曰:「吾聞諸夫子:『喪禮,與其哀不足而禮有餘也,不若禮不足而哀有餘也。祭禮,與其敬不足而禮有餘也,不若禮不足而敬有餘也。』」
新字:孔子之喪,二三子皆絰而出。群居則絰,出則否。 易墓、非古也。 子路曰:「吾聞諸夫子:『喪礼,与其哀不足而礼有余也,不若礼不足而哀有余也。祭礼,与其敬不足而礼有余也,不若礼不足而敬有余也。』」
書き下し
孔子の喪に、二三子皆絰(てつ)して出ず。群居すれば則ち絰し、出ずれば則ち否(しか)らず。 墓を易(おさ)むるは、古に非ざるなり。 子路曰く、「吾諸を夫子に聞く。『喪礼は、其の哀足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして哀余り有るに若(し)かざるなり。祭礼は、其の敬足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして敬余り有るに若かざるなり』と」と。
現代語訳
孔子の喪で、門人たちはみな麻の絰(頭と腰に着ける喪の帯)を着けたまま外出した。(門人同士の喪では)集まっているときは絰を着け、外出するときは外した。 墓の周りの草木を刈り払って整えるのは、古の礼ではない。 子路が言った。「私は先生からこう聞いた。『喪礼は、哀しみが足りずに礼の形が余っているよりは、礼の形が足りなくても哀しみが余っている方がよい。祭礼は、敬いが足りずに礼の形が余っているよりは、礼の形が足りなくても敬いが余っている方がよい』と」。
解説
孔子の喪の続きと、礼の根本を語る子路の言葉である。門人は師の喪では外出時にも絰を着け、門人同士の喪では集まるときだけ着けた。次の「墓を易むるは古に非ず」について、鄭玄は「易」を草木を刈り払うことと注し、古は墓を丘陵のように草木のままにしたとする。最後の子路の伝える孔子の言葉は、論語八佾篇の「喪は其の易(おさ)まらんよりは寧ろ戚(いた)め」と同じ趣旨で、鄭玄は「喪は哀を主とし、祭は敬を主とす」と注す。礼の形はそもそも心を表すためにあるのだから、形と心がつり合わないときは心を取れということである。葬儀の規模や供え物の豪華さより、悼む心の深さこそが肝心だという教えは、今の葬儀や法事のあり方にもそのまま響く。
この章句が説くこと
礼記喪礼祭礼子路哀
関連する章句
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