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礼記 / 檀弓上

孔子少孤,不知其墓。殯於五父之衢。人之見之者,皆以為葬也。其慎也,蓋殯也。問於郰曼父之母,然後得合葬於防。 鄰有喪,舂不相;里有殯,不巷歌。喪冠不緌。

書き下し

孔子少くして孤(みなしご)となり、其の墓を知らず。五父の衢(ちまた)に殯す。人のこれを見る者、皆以て葬と為す。其の慎(いん)するや、蓋し殯なり。郰(すう)の曼父の母に問いて、然る後に防に合葬することを得たり。 鄰に喪有れば、舂(うすづ)くに相(そう)せず。里に殯有れば、巷に歌わず。喪冠には緌(すい)せず。

現代語訳

孔子は幼くして父を亡くし、父の墓の場所を知らなかった。(母が亡くなると)五父の衢(魯の都の辻の名)に棺を仮に安置した。それを見た人々は、みな本葬だと思った。だがその棺の引き方は、実は仮の殯のやり方だったのである。郰の曼父の母(孔子の母の隣人)に尋ねて、ようやく防の地に父母を合葬することができた。 隣家に喪があるときは、臼をつくときにかけ声を合わせない。村に殯(まだ葬っていない棺)があるときは、路地で歌わない。喪の冠には垂れ飾りの紐をつけない。

解説

孔子が幼くして父を失い、母の死後に父の墓を探し当てて合葬した経緯を記す段で、史記孔子世家にも同じ話が引かれる。原文の「其の慎なるや」を、鄭玄は「慎」は「引」の誤りで、棺の引き方が葬の引きではなく殯の引きであったと読み、時人はそれを見て礼を知らないと思ったのだと注す。孔穎達の疏は、孔子がわざと人通りの多い辻に殯して人々の疑問を招き、父の墓の所在を知る人を探そうとしたのだと説明している。やがて郰の曼父の母が教えてくれ、父母を防に合葬できた。後半の三句は、近所に喪があるときの慎みである。身内でなくとも、近くで悲しみの中にいる人がいれば、自分の側で音や飾りを控える。この心遣いは、今の近所付き合いや職場で同僚が身内を亡くしたときの振る舞いにもそのまま通じる。

この章句が説くこと

礼記孔子喪礼近所合葬

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