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礼記 / 檀弓上

孔子曰:「拜而後稽顙,頹乎其順也;稽顙而後拜,頎乎其至也。三年之喪,吾從其至者。」 孔子既得合葬於防,曰:「吾聞之,古也墓而不墳;今丘也,東西南北之人也,不可以弗識也。」於是封之,崇四尺。孔子先反,門人後,雨甚,至,孔子問焉,曰:「爾來何遲也?」曰:「防墓崩。」孔子不應。三。孔子泫然流涕曰:「吾聞之:古不脩墓。」

新字:孔子曰:「拝而後稽顙,頽乎其順也;稽顙而後拝,頎乎其至也。三年之喪,吾従其至者。」 孔子既得合葬於防,曰:「吾聞之,古也墓而不墳;今丘也,東西南北之人也,不可以弗識也。」於是封之,崇四尺。孔子先反,門人後,雨甚,至,孔子問焉,曰:「爾来何遅也?」曰:「防墓崩。」孔子不応。三。孔子泫然流涕曰:「吾聞之:古不脩墓。」

書き下し

孔子曰く、「拝して後に稽顙(けいそう)するは、頽(たい)乎として其れ順なり。稽顙して後に拝するは、頎(き)乎として其れ至れり。三年の喪は、吾其の至れる者に従わん」と。 孔子既に防に合葬することを得て、曰く、「吾これを聞く、古や墓して墳せず。今丘や、東西南北の人なり、以て識(しる)さざるべからざるなり」と。是に於いてこれを封じ、崇(たか)さ四尺。孔子先ず反り、門人後る。雨甚だし。至る。孔子問うて曰く、「爾(なんじ)来ること何ぞ遅きや」と。曰く、「防の墓崩る」と。孔子応ぜず。三たびす。孔子泫然(げんぜん)として涕(なみだ)を流して曰く、「吾これを聞く、古は墓を脩(おさ)めず」と。

現代語訳

孔子が言った。「弔問客にまず拝礼してから額を地につけるのは、事の順序に従った穏やかなやり方である。まず額を地につけてから拝礼するのは、哀しみの極みを表すやり方である。三年の喪(父母の喪)では、私は哀しみを極める方に従おう」。 孔子は(母が亡くなり)父の墓のある防の地に合葬することができたとき、言った。「私の聞くところでは、古は墓を作っても土を盛って塚にはしなかった。しかし今の丘は東西南北をめぐり歩く身であるから、目印をつけておかないわけにはいかない」。そこで土を盛って塚とし、高さを四尺とした。孔子が先に帰り、門人たちは後に残った。ひどい雨が降った。門人が戻ってくると、孔子は尋ねた。「なぜこんなに遅かったのか」。門人は答えた。「防の墓が崩れたので(直してきました)」。孔子は答えなかった。門人は三度同じことを言った。孔子ははらはらと涙を流して言った。「私の聞くところでは、古は墓を修めなかったのだ」。

解説

前半は喪主が弔問客に返す礼の順序、後半は孔子が父母を合葬した逸話である。鄭玄は、先に拝してから稽顙するのを殷の喪拝、先に稽顙してから拝するのを周の喪拝とし、孔子は三年の重い喪では哀しみを先立てる周の方に従ったと注す。後半は、古の墓には封土がなかったが、諸国を遍歴して郷里を離れがちな自分は墓の場所がわからなくなるので四尺の封を築いた、という話である。ところが雨で封土が崩れ、門人が修めてきたと聞いた孔子は、黙したのち涙を流して「古は墓を脩めず」とだけ言った。孔穎達の疏は、古に背いて封を築いたため崩れを招き、弟子に修めさせることになった自分を傷んだのだと解する。守るべき形を自分の事情で変えたとき、その重みはあとから返ってくることがある。

この章句が説くこと

礼記孔子喪拝墓檀弓

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