孔子家語 / 曲禮公西赤問
孔子之母既葬,將立葬焉,曰:「古者不祔葬,為不忍先死者之復見也。詩云:『死則同穴。』自周公已來祔葬矣。故衛人之祔也,離之,有以聞焉;魯人之祔也,合之,美夫,吾從魯。」遂合葬於防曰:「吾聞之有備物而不可用也,是故竹不成用,而瓦不成膝,琴瑟張而不平,笙竽備而不和,有鐘磬而無簨?。其曰盟器,神明之也,哀哉,死者而用生者之器,不殆而用殉也。」
新字:孔子之母既葬,将立葬焉,曰:「古者不祔葬,為不忍先死者之復見也。詩云:『死則同穴。』自周公已来祔葬矣。故衛人之祔也,離之,有以聞焉;魯人之祔也,合之,美夫,吾従魯。」遂合葬於防曰:「吾聞之有備物而不可用也,是故竹不成用,而瓦不成膝,琴瑟張而不平,笙竽備而不和,有鐘磬而無簨?。其曰盟器,神明之也,哀哉,死者而用生者之器,不殆而用殉也。」
書き下し
孔子の母既に葬らる、将に立てて葬らんとし、曰く、「古は祔葬せず、先に死する者の復た見ゆるに忍びざるが為なり。詩に云う、『死せば則ち穴を同じくす』と。周公より已来祔葬す。故に衛人の祔するや、之を離す、以て聞こゆる有り。魯人の祔するや、之を合わす、美なるかな、吾魯に従わん」と。遂に防に合葬して曰く、「吾之を聞く、物を備うる有れども用うべからざるなり、是の故に竹は用を成さず、而して瓦は膝を成さず、琴瑟張れども平らかならず、笙竽備われども和せず、鐘磬有れども簨?無し。其れ盟器と曰うは、之を神明にするなり、哀しいかな、死者にして生者の器を用うるは、殉を用うるに殆きにあらずや」と。
現代語訳
孔子の母がすでに葬られていたが、父と合葬するために改めて墓を立てようとし、こう言った。「昔は父母を合葬しなかった。先に亡くなった者の墓を再び見ることに忍びなかったからだ。詩経には『死ねば穴を同じくする』とある。周公の時代以降、合葬が行われるようになった。衛の人々の合葬のやり方は、墓室を分けて別々にする。これには一定の評判もある。魯の人々の合葬のやり方は、墓室を一つに合わせる。この方が美しいやり方だ。私は魯のやり方に従おう。」こうして防の地で父母を合葬し、こう言った。「私はこう聞いている。副葬品を備えても、それを実際に使えるようにしてはいけない、と。だから竹製品は実用に耐えないものにし、瓦の器は水漏れするようにし、琴や瑟は弦を張っても調律しない状態にし、笙や竽は備えても音が調和しないようにし、鐘や磬はあっても、それを吊るす台木は用意しない。これらを『盟器』と呼ぶのは、死者を神として扱うためだ。悲しいことだが、死者に生者用の実用の器を使うのは、まるで生きた人を殉死させるかのように危ういことなのだ。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孔子家語・終記解孔子の喪、公西(公西赤)殯葬を掌る。唅(がん)するに疏米三具を以てし、襲衣十有一稱、朝服一を加え、章甫の冠を冠らしめ、象環を佩びしむ、徑五寸にして綦組の綬。桐棺四寸、柏棺五寸、廟を飭(ととの)え翣(さつ)を置き、披を設くるは周なり。崇を設くるは殷なり。綢練して旐(ちょう)を設くるは夏なり。三王の禮を兼ね用うるは、師を尊ぶ所以にして、且つ古を備うるなり。魯城の北、泗水の上に葬る。藏を地に入れ、泉に及ばずして封じ、偃斧の形を為す、高さ四尺、松柏を樹てて誌と為す。弟子皆墓に家し、心喪の禮を行う。既に葬るや、燕自り來たりて觀る者有り、子夏氏に舍る。子貢之に謂いて曰く、「吾も亦人の葬、聖人は聖人の葬に非ず、人子奚ぞ觀んや。昔、夫子言えること有り、曰く、『吾が封を見て夏屋の若き者は、斧の若きを見ん。斧の若きに從う者なり、馬鬣とは、封の謂いなり。』今徒(た)だ一日に三たび板を斬りて以て封ず、尚お夫子の志を行うのみ、何ぞ觀んや。」
-
孔子家語・曲禮子貢問孔子、衛に在り、司徒敬之卒す、夫子弔う。主人哀しまず、夫子哭すること声を尽くさずして退く。璩伯玉請いて曰く、「衛の鄙俗は喪礼を習わず、吾が子を煩わして辱じけなくも相たらしめん」と。孔子之を許し、中溜を掘りて浴せしめ、竈を毀ちて足を綴らしめ、床に襲す。葬に及びて、宗を毀ちて行くなり、大門を出で、墓に及びて、男子は西面し、婦人は東面し、既に封じて帰る、殷の道なり。孔子之を行う。子遊問いて曰く、「君子礼を行うに、俗を変ずるを求めず。夫子之を変ぜり」と。孔子曰く、「此を之謂うに非ざるなり、喪事は則ち其の質に従うのみ」と。
-
孔子家語・曲禮子夏問原思、曾子に言いて曰く、「夏后氏の送葬や、盟器を用うるは、民の知る無きを示すなり。殷人祭器を用うるは、民の知る有るを示すなり。周人兼ねて之を用うるは、民の疑うを示すなり」と。曾子曰く、「其れ然らず、夫れ盟器を以てするは、鬼器なり、祭器は、人器なり、古の人胡為れぞ其の親を死せしめんや」と。子遊、孔子に問いて曰く、「之を死として死を致すは、不仁にして、為すべからざるなり。之を死として生を致すは、不智にして、為すべからざるなり。凡そ盟器を為る者は、喪の道を知るなり。夫子始めて死すれば、則ち羔裘玄冠なる者は、之を易うるのみ、汝何ぞ疑わんや」と。
-
孔子家語・曲禮公西赤問子遊、孔子に問いて曰く、「葬に塗車芻霊するは、古自り之有り、然れども今人或いは偶有り、是れ喪に益無し」と。孔子曰く、「芻霊を為る者は善し、偶を為る者は不仁なり、人を用うるに殆からずや」と。
-
孔子家語・曲禮子夏問子貢、孔子に問いて曰く、「殷人は既に定めて壙に吊し、周人は反哭して家に吊す、之を如何にせん」と。孔子曰く、「反哭の吊は、喪の至りなり、反りて亡し、之を失えり、斯に於て甚だしと為す、故に之を吊う。死は、人の卒事なり。殷は愨を以てす、吾周に従わん。殷人は既に之を練して、明日、祖に祔す。周人は既に卒哭するの明日、祖に祔す。祔は、神を祭るの始事なり。周は戚を以てす、吾殷に従わん」と。
-
孔子家語・曲禮子貢問子遊、喪の具を問う。孔子曰く、「家の有亡に称う」と。子遊曰く、「有亡は焉くにか斉しからん」と。孔子曰く、「有らば、則ち礼に過ぐる無かれ。苟くも亡くんば、則ち手足の形を斂め、還葬して棺を懸けて封ず、人豈に之を非とする者有らんや。故に夫れ喪亡には、其の哀足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして哀余り有るに若かざるなり。祭祀には、其の敬足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして敬余り有るに若かざるなり」と。