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折たく柴の記 / 『折たく柴の記』富士山噴火の降灰と大銭鋳造

十一月廿三日午後參るべき由を仰せ下さる。よべ地震ひ、此の日午の時雷の聲す。家を出づるに及びて。雪のふり下るがごとくなるを見るに、白灰の下れるなり。西南の方を望むに、黑き雲の起りて、雷の光りしきりにす。西城に參り着しに及びては、白灰地を埋みて、草木もまた皆白くなりぬ。此の日に大城に參らせ給ひ、未の半に還らせ給ひき。(此の日吉保朝臣の男二人敍爵の事ありし故也)やがて、御前に參るに、天甚だ暗かりければ、燭を擧げて講に侍る。戌の時ばかりに、灰下る事はやみにしかど、或は地鳴り、或は地震ふ事は絶えず。廿五日に、また天暗くして、雷の震するごとくなる聲し、夜に入りぬれば、灰また下る事甚し此の日富士山に火出でて燒けぬるによれりといふ事は聞えたりき。これよりのち、黑灰下る事やまずして、十二月の初におよび、九日の夜に至りて雪降りぬ。此のほど、世の人咳嗽をうれへずといふものあらず。かくて、年明けぬれば、戊子正月元日。大雨よのつねならず、閏正月七日去年富士山のやけしによりて、ほとりの國々の地埋みし灰砂を除かるべき役を諸國に當てらる。(武相駿三州の地のため也。百石の地に黃金三兩を獻ずべしとなり)同じき廿一日、當十の大錢鑄らるゝ事を仰せ下さる。

新字:十一月廿三日午後参るべき由を仰せ下さる。よべ地震ひ、此の日午の時雷の声す。家を出づるに及びて。雪のふり下るがごとくなるを見るに、白灰の下れるなり。西南の方を望むに、黒き雲の起りて、雷の光りしきりにす。西城に参り着しに及びては、白灰地を埋みて、草木もまた皆白くなりぬ。此の日に大城に参らせ給ひ、未の半に還らせ給ひき。(此の日吉保朝臣の男二人叙爵の事ありし故也)やがて、御前に参るに、天甚だ暗かりければ、燭を挙げて講に侍る。戌の時ばかりに、灰下る事はやみにしかど、或は地鳴り、或は地震ふ事は絶えず。廿五日に、また天暗くして、雷の震するごとくなる声し、夜に入りぬれば、灰また下る事甚し此の日富士山に火出でて焼けぬるによれりといふ事は聞えたりき。これよりのち、黒灰下る事やまずして、十二月の初におよび、九日の夜に至りて雪降りぬ。此のほど、世の人咳嗽をうれへずといふものあらず。かくて、年明けぬれば、戊子正月元日。大雨よのつねならず、閏正月七日去年富士山のやけしによりて、ほとりの国々の地埋みし灰砂を除かるべき役を諸国に当てらる。(武相駿三州の地のため也。百石の地に黄金三両を献ずべしとなり)同じき廿一日、当十の大銭鋳らるゝ事を仰せ下さる。

書き下し

十一月廿三日午後參るべき由を仰せ下さる。よべ地震ひ、此の日午の時雷の聲す。家を出づるに及びて。雪のふり下るがごとくなるを見るに、白灰の下れるなり。西南の方を望むに、黑き雲の起りて、雷の光りしきりにす。西城に參り着しに及びては、白灰地を埋みて、草木もまた皆白くなりぬ。此の日に大城に參らせ給ひ、未の半に還らせ給ひき。(此の日吉保朝臣の男二人敍爵の事ありし故也)やがて、御前に參るに、天甚だ暗かりければ、燭を擧げて講に侍る。戌の時ばかりに、灰下る事はやみにしかど、或は地鳴り、或は地震ふ事は絶えず。廿五日に、また天暗くして、雷の震するごとくなる聲し、夜に入りぬれば、灰また下る事甚し此の日富士山に火出でて燒けぬるによれりといふ事は聞えたりき。これよりのち、黑灰下る事やまずして、十二月の初におよび、九日の夜に至りて雪降りぬ。此のほど、世の人咳嗽をうれへずといふものあらず。かくて、年明けぬれば、戊子正月元日。大雨よのつねならず、閏正月七日去年富士山のやけしによりて、ほとりの國々の地埋みし灰砂を除かるべき役を諸國に當てらる。(武相駿三州の地のため也。百石の地に黃金三兩を獻ずべしとなり)同じき廿一日、當十の大錢鑄らるゝ事を仰せ下さる。

現代語訳

十一月二十三日の午後に参るようにと仰せ下された。昨夜地震があり、この日午の刻(正午ごろ)雷の音がした。家を出る時になって、雪が降り下るようなのを見ると、白い灰が降っているのだった。西南の方を望むと、黒い雲が起こって、雷光がしきりにする。西城に参り着いた時には、白灰が地を埋めて、草木もまたみな白くなっていた。この日(公は)大城に参られ、未の刻の半ば(午後二時ごろ)に還られた。(この日、吉保朝臣の息子二人が叙爵のことがあったためである。)すぐに御前に参ったが、空がたいそう暗かったので、灯をともして講に侍った。戌の刻(午後八時ごろ)ばかりに灰が降ることはやんだが、あるいは地鳴り、あるいは地震が絶えない。二十五日に、また空が暗くなって、雷が震えるような音がし、夜に入ると、灰がまた降ることがひどい。この日富士山に火が出て焼けたことによるのだという噂が聞こえた。これ以後、黒い灰が降ることはやまず、十二月の初めに及び、九日の夜になって雪が降った。このころ、世の人で咳の病を患わない者はいなかった。こうして、年が明けて、戊子(宝永5年)正月元日。大雨が尋常でなく、閏正月七日、去年富士山が焼けたために、周辺の国々の地を埋めた灰砂を除くべき役を諸国に課された。(武蔵・相模・駿河の三州の地のためである。百石の地に黄金三両を献上せよとのことである。)同じ二十一日、当十の大銭を鋳造されることを仰せ下された。

解説

宝永四年の富士山噴火を、江戸で見聞きした白石の記録です。灰が降る中でも灯をともして講義を続けた姿が目を引きます。灰砂の除去を諸国に課し、百石につき黄金三両を出させる役の決定や、当十の大銭の鋳造も、淡々と並べられています。白石は自然災害と、それに続く幕府の財政施策を同じ筆致で書きとめました。非常時にも日常の務めを止めず、起きた事実を数字とともに残す姿勢は、危機対応の記録の見本といえます。
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この章句が説くこと

富士山噴火降灰講に侍る灰砂除去の役当十大銭宝永四年

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