折たく柴の記 / 『折たく柴の記』藩邸の庭に畳を敷き、将軍のもとへ
かくて披門より入りて見るに、家々皆たふれかたぶきたれば、出でたちてある人に、路ふさがりてゆくべからず。そてをすぎて、常に參る所に至りたれば、其所もたふれて入るべからず。藤枝またそのほとりに、たゞずみ居りしをともなひて、御納戸の口といふ所より入りたり。こゝかしこの天井落ちかゝりし所をすぎて。我は常に祗候する所に參りしに。今の越前守詮房朝臣の、こなたの方に來るにゆきあひて、御つゝがもあらせ給はぬ事を聞き、かゝる時に候へば、推參し候ふといひすてゝ。常の御座所に參るに、その庇の內に、東の屋のたふれかゝりしあり。近習の人々は、南の庭上にたち居たり。上にはあなたの庭におはしますなりといふ。戸田、小出、井上などのおとなたちも、こゝに入り來る時は、庭上にたちぬれば、五十嵐といひし人に、いひ語らひて、(今の一十郎のわかき時の事なり、御小納戸衆にてありき)御庇に敷かれしたゞみ十帖ばかり、庭上におろして、皆々を其の上に座せしむ。地震ふ事しきりなれば、座せしうしろの池の岸くづれ〳〵て、平かなる池も狹くなれり。かゝりし程に、酒井左衛門尉忠眞仰せをかうふれりとて、入り來りて火を防ぐ。火熾りならむには、御座を移さるべしなど聞ゆるに、御袴ばかりに、御道服めされて、常の御所の南面に出でたゞせ給ひ。某がさぶらふを御覽じて召す。御縁に參りしかば、地震の事つぶさに問はせ給ひて、後に奧に入らせ給ひぬ。夜も明けぬべき比に至りて、おほやけに參り給はむと聞ゆ。某長門守の耳につきて、地震ふ事なほしきりなり。參らせ給はむ事、いかにやといひしに、我もさこそはおもへど、とゞめ申すべき事にあらず、といふほどに、出でたゞせ給ひたり。かくてかの火出でしところにゆきて見るに、たふれし家に壓され死せしものどもを引出したるが、こゝかしこにありし。井泉ことごとく竭きて水なければ、火消すべきやうもあらず。此の時御庭の池水を汲まむといひしを、今の曲淵下野守の此の水用ふべき時ありといひてゆるさゞりし。いかに思ひしにかおぼつかなし。
新字:かくて披門より入りて見るに、家々皆たふれかたぶきたれば、出でたちてある人に、路ふさがりてゆくべからず。そてをすぎて、常に参る所に至りたれば、其所もたふれて入るべからず。藤枝またそのほとりに、たゞずみ居りしをともなひて、御納戸の口といふ所より入りたり。こゝかしこの天井落ちかゝりし所をすぎて。我は常に祗候する所に参りしに。今の越前守詮房朝臣の、こなたの方に来るにゆきあひて、御つゝがもあらせ給はぬ事を聞き、かゝる時に候へば、推参し候ふといひすてゝ。常の御座所に参るに、その庇の内に、東の屋のたふれかゝりしあり。近習の人々は、南の庭上にたち居たり。上にはあなたの庭におはしますなりといふ。戸田、小出、井上などのおとなたちも、こゝに入り来る時は、庭上にたちぬれば、五十嵐といひし人に、いひ語らひて、(今の一十郎のわかき時の事なり、御小納戸衆にてありき)御庇に敷かれしたゞみ十帖ばかり、庭上におろして、皆々を其の上に座せしむ。地震ふ事しきりなれば、座せしうしろの池の岸くづれ〳〵て、平かなる池も狭くなれり。かゝりし程に、酒井左衛門尉忠真仰せをかうふれりとて、入り来りて火を防ぐ。火熾りならむには、御座を移さるべしなど聞ゆるに、御袴ばかりに、御道服めされて、常の御所の南面に出でたゞせ給ひ。某がさぶらふを御覧じて召す。御縁に参りしかば、地震の事つぶさに問はせ給ひて、後に奥に入らせ給ひぬ。夜も明けぬべき比に至りて、おほやけに参り給はむと聞ゆ。某長門守の耳につきて、地震ふ事なほしきりなり。参らせ給はむ事、いかにやといひしに、我もさこそはおもへど、とゞめ申すべき事にあらず、といふほどに、出でたゞせ給ひたり。かくてかの火出でしところにゆきて見るに、たふれし家に圧され死せしものどもを引出したるが、こゝかしこにありし。井泉ことごとく竭きて水なければ、火消すべきやうもあらず。此の時御庭の池水を汲まむといひしを、今の曲淵下野守の此の水用ふべき時ありといひてゆるさゞりし。いかに思ひしにかおぼつかなし。
書き下し
かくて披門より入りて見るに、家々皆たふれかたぶきたれば、出でたちてある人に、路ふさがりてゆくべからず。そてをすぎて、常に參る所に至りたれば、其所もたふれて入るべからず。藤枝またそのほとりに、たゞずみ居りしをともなひて、御納戸の口といふ所より入りたり。こゝかしこの天井落ちかゝりし所をすぎて。我は常に祗候する所に參りしに。今の越前守詮房朝臣の、こなたの方に來るにゆきあひて、御つゝがもあらせ給はぬ事を聞き、かゝる時に候へば、推參し候ふといひすてゝ。常の御座所に參るに、その庇の內に、東の屋のたふれかゝりしあり。近習の人々は、南の庭上にたち居たり。上にはあなたの庭におはしますなりといふ。戸田、小出、井上などのおとなたちも、こゝに入り來る時は、庭上にたちぬれば、五十嵐といひし人に、いひ語らひて、(今の一十郎のわかき時の事なり、御小納戸衆にてありき)御庇に敷かれしたゞみ十帖ばかり、庭上におろして、皆々を其の上に座せしむ。地震ふ事しきりなれば、座せしうしろの池の岸くづれ〳〵て、平かなる池も狹くなれり。かゝりし程に、酒井左衛門尉忠眞仰せをかうふれりとて、入り來りて火を防ぐ。火熾りならむには、御座を移さるべしなど聞ゆるに、御袴ばかりに、御道服めされて、常の御所の南面に出でたゞせ給ひ。某がさぶらふを御覽じて召す。御縁に參りしかば、地震の事つぶさに問はせ給ひて、後に奧に入らせ給ひぬ。夜も明けぬべき比に至りて、おほやけに參り給はむと聞ゆ。某長門守の耳につきて、地震ふ事なほしきりなり。參らせ給はむ事、いかにやといひしに、我もさこそはおもへど、とゞめ申すべき事にあらず、といふほどに、出でたゞせ給ひたり。かくてかの火出でしところにゆきて見るに、たふれし家に壓され死せしものどもを引出したるが、こゝかしこにありし。井泉ことごとく竭きて水なければ、火消すべきやうもあらず。此の時御庭の池水を汲まむといひしを、今の曲淵下野守の此の水用ふべき時ありといひてゆるさゞりし。いかに思ひしにかおぼつかなし。
現代語訳
こうして披門から入って見ると、家々は皆倒れ傾いており、出て立っている人々で路がふさがって進めない。そこを過ぎて、いつも参る所に至ると、そこも倒れていて入れない。藤枝もそのあたりにたたずんでいたのを連れ立って、御納戸の口という所から入った。あちこちの天井が落ちかかっている所を過ぎて、私はいつも伺候する所に参ると、今の越前守詮房朝臣が、こちらの方に来るのに行き会い、主君がご無事でいらっしゃることを聞き、このような時ですから、推参いたしますと言い捨てて、常の御座所に参ると、その庇の内に、東の屋が倒れかかっているものがある。近習の人々は、南の庭にたたずんでいた。主君はあちらの庭においでだという。戸田・小出・井上などの年長者たちも、ここへ入って来る時は、庭に立っていたので、五十嵐という人に言い含めて(今の一十郎の若い時のことである。御小納戸衆であった)、庇に敷かれていた畳十帖ほどを庭に下ろして、皆をその上に座らせた。地が震うことがしきりなので、座った後ろの池の岸が崩れ崩れして、平らかな池も狭くなった。こうしているうちに、酒井左衛門尉忠真が仰せをこうむったと言って入って来て、火を防ぐ。火が盛んになったなら、御座を移されるべきだなどと申し上げるうちに、袴だけで御道服をお召しになり、常の御所の南面に出ておられ、私が控えているのをご覧になってお召しになる。縁に参ったところ、地震のことを詳しくお尋ねになって、その後奥にお入りになった。夜も明けそうな頃になって、公(将軍)のもとへ参上なさると申し上げる者がある。私は長門守の耳元で、地震がなおしきりです。参られることは、いかがでしょうかと言ったところ、私もそう思うが、お止め申し上げることではない、といううちに、お出ましになった。こうして、あの火の出た所へ行って見ると、倒れた家に押されて死んだ者どもを引き出したものが、あちこちにあった。井戸も泉もことごとく涸れて水がないので、火を消すすべもない。この時、御庭の池の水を汲もうと言ったが、今の曲淵下野守が、この水は用いるべき時があると言って許さなかった。どう思ってのことか、心もとない。
解説

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