折たく柴の記 / 『折たく柴の記』元禄地震の夜、湯島から殿のもとへ
我はじめ湯島に住みし比、癸未の年十一月廿二日の夜半過ぐるほどに地おびたゞしく震ひ、始めて目さめぬれば、腰の物どもとりて起き出づるに、こゝかしこの戸障子みな倒れぬ。妻子どものふしたる所にゆきて見るに、皆々起き出でたり。屋のうしろのかたは、高き岸の下に近ければ、みな〳〵引ぐして、東の大庭に出づ。地裂くる事もこそあれとて、たふれし戸どもも出しならべて、其の上に居らしめ。やがて新しき衣にあらため、裏うちたる上下の上に道服きて、我は殿に參るなり。召供のもの二三人ばかり來れ、其の餘は家にとゞまれといひてはせ出づ。道にて息きれむ事もあらむと思ひしかば、家は小船の大きなる浪にうごくがごとくなるうちに入りて、藥器たづね出して、かたはらに置きつゝ、衣改め着しほどに、かの藥の事をば、うちわすれて、走せ出でしこそ、恥かしき事に覺ゆれ。かくて走する程に、神田の明神の東門の下に及びし比に、地またおびただしくふるふ。こゝらのあき人の家は、皆々打あけておほくの人の小路にあつまり居りしが、家のうちに燈の見えしかば、火こそ出づべけれ、燈うちけすべきものをと、呼はりてゆく。昌平橋のこなたにて、景衡の(時に朝倉余一といひし。)我がかたに走せ來るにゆきあひて、あとの事よきにはからひ給へと、いひすてゝゆく。橋を渡りて、南にゆきて、西に折れて、また南せむとする所に、馬をたてゝあるものを月の光りにみれば、藤枝若狹守なり。これは地の裂けて、水の湧き出づれば、其深さ廣さのはかりがたさに、かくてありしなるべし。つづけやものどもといひて、一丈餘りになりて流るゝ、水の上をはねこえしに、供なるものども同じくこえぬ。その水こえし時、足をうるほしければ、草履の重くなりてゆきがたかりしかば、あらためはきて、はするほどに、
新字:我はじめ湯島に住みし比、癸未の年十一月廿二日の夜半過ぐるほどに地おびたゞしく震ひ、始めて目さめぬれば、腰の物どもとりて起き出づるに、こゝかしこの戸障子みな倒れぬ。妻子どものふしたる所にゆきて見るに、皆々起き出でたり。屋のうしろのかたは、高き岸の下に近ければ、みな〳〵引ぐして、東の大庭に出づ。地裂くる事もこそあれとて、たふれし戸どもも出しならべて、其の上に居らしめ。やがて新しき衣にあらため、裏うちたる上下の上に道服きて、我は殿に参るなり。召供のもの二三人ばかり来れ、其の余は家にとゞまれといひてはせ出づ。道にて息きれむ事もあらむと思ひしかば、家は小船の大きなる浪にうごくがごとくなるうちに入りて、薬器たづね出して、かたはらに置きつゝ、衣改め着しほどに、かの薬の事をば、うちわすれて、走せ出でしこそ、恥かしき事に覚ゆれ。かくて走する程に、神田の明神の東門の下に及びし比に、地またおびただしくふるふ。こゝらのあき人の家は、皆々打あけておほくの人の小路にあつまり居りしが、家のうちに灯の見えしかば、火こそ出づべけれ、灯うちけすべきものをと、呼はりてゆく。昌平橋のこなたにて、景衡の(時に朝倉余一といひし。)我がかたに走せ来るにゆきあひて、あとの事よきにはからひ給へと、いひすてゝゆく。橋を渡りて、南にゆきて、西に折れて、また南せむとする所に、馬をたてゝあるものを月の光りにみれば、藤枝若狭守なり。これは地の裂けて、水の湧き出づれば、其深さ広さのはかりがたさに、かくてありしなるべし。つづけやものどもといひて、一丈余りになりて流るゝ、水の上をはねこえしに、供なるものども同じくこえぬ。その水こえし時、足をうるほしければ、草履の重くなりてゆきがたかりしかば、あらためはきて、はするほどに、
書き下し
我はじめ湯島に住みし比、癸未の年十一月廿二日の夜半過ぐるほどに地おびたゞしく震ひ、始めて目さめぬれば、腰の物どもとりて起き出づるに、こゝかしこの戸障子みな倒れぬ。妻子どものふしたる所にゆきて見るに、皆々起き出でたり。屋のうしろのかたは、高き岸の下に近ければ、みな〳〵引ぐして、東の大庭に出づ。地裂くる事もこそあれとて、たふれし戸どもも出しならべて、其の上に居らしめ。やがて新しき衣にあらため、裏うちたる上下の上に道服きて、我は殿に參るなり。召供のもの二三人ばかり來れ、其の餘は家にとゞまれといひてはせ出づ。道にて息きれむ事もあらむと思ひしかば、家は小船の大きなる浪にうごくがごとくなるうちに入りて、藥器たづね出して、かたはらに置きつゝ、衣改め着しほどに、かの藥の事をば、うちわすれて、走せ出でしこそ、恥かしき事に覺ゆれ。かくて走する程に、神田の明神の東門の下に及びし比に、地またおびただしくふるふ。こゝらのあき人の家は、皆々打あけておほくの人の小路にあつまり居りしが、家のうちに燈の見えしかば、火こそ出づべけれ、燈うちけすべきものをと、呼はりてゆく。昌平橋のこなたにて、景衡の(時に朝倉余一といひし。)我がかたに走せ來るにゆきあひて、あとの事よきにはからひ給へと、いひすてゝゆく。橋を渡りて、南にゆきて、西に折れて、また南せむとする所に、馬をたてゝあるものを月の光りにみれば、藤枝若狹守なり。これは地の裂けて、水の湧き出づれば、其深さ廣さのはかりがたさに、かくてありしなるべし。つづけやものどもといひて、一丈餘りになりて流るゝ、水の上をはねこえしに、供なるものども同じくこえぬ。その水こえし時、足をうるほしければ、草履の重くなりてゆきがたかりしかば、あらためはきて、はするほどに、
現代語訳
私がはじめ湯島に住んでいた頃、癸未の年の十一月二十二日の夜半を過ぎるころに、地がひどく震い、初めて目が覚めたので、腰の物を取って起き出ると、あちこちの戸や障子がみな倒れていた。妻子たちが寝ている所に行って見ると、皆起き出していた。家の後ろのほうは、高い崖の下に近かったので、皆を引き連れて、東の大庭に出た。地が裂けることもあるだろうと、倒れた戸などを出して並べ、その上に座らせた。そしてすぐ新しい衣に着替え、裏のついた上下の上に道服を着て、私は殿のもとへ参上する。召し連れる者は二、三人だけ来い、その余りは家にとどまれと言って走り出た。道で息が切れることもあるだろうと思ったので、家は小舟が大波に揺れるような(揺れの)中にいたが、薬箱を探し出して傍らに置き、衣を着替えるうちに、その薬のことをすっかり忘れて走り出てしまったのは、恥ずかしいことに思われる。こうして走るうちに、神田明神の東門の下まで来た頃、地がまたひどく震う。このあたりの商人の家は、皆戸を開け放って、多くの人が小路に集まっていたが、家の中に灯が見えたので、火が出るだろう、灯を消すべきだと、呼ばわりながら行く。昌平橋のこちらで、景衡が(当時は朝倉余一といった)私のほうへ走って来るのに行き会ったが、あとのことをよろしく取りはからって下さいと言い捨てて行く。橋を渡って南へ行き、西に折れて、また南へ行こうとするところで、馬を立てている者を月の光で見ると、藤枝若狭守である。これは地が裂けて水が湧き出たので、その深さ広さの測りがたさに、こうして立ち止まっているのであろう。続け、者ども、と言って、一丈余りの幅で流れる水の上を跳び越えたところ、供の者どもも同じく越えた。その水を越えた時、足を濡らしたので、草履が重くなって行きにくかったので、はき替えて、走るうちに、
解説

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