折たく柴の記 / 『折たく柴の記』戸田と小出の盛衰と家宣の評
此の比の事なり、小出と井上とあらそひいふ事あり。やがて小出は職奪はれ、すぎし比加へ賜りし所の地削られたりけり。これも戸田が正武朝臣とあひはからひ申しし事あるが故なり。初め潛邸におはしましし時、戸田は小出と同時につけられしかど、年比小出が事をよしとも思はず。井上は、其兄の河内守正岑朝臣は、當時の老なり。また右京大夫輝貞朝臣の外從兄弟なれば、少將吉保朝臣にむすぼほれたる中なり。されば讒説も行れやすき事もとより也とある人は申したりき。其の事のまことといつはりはしらねど、前にしるししごとくに、忠利朝臣は、我が出身の初めの事申執せし人なれば、其の事を忘るべきにもあらず。小出はさせるゆかりもなけれど、此の人すくよかなる所ありて、おもふ所をばのこさでいひしと聞えしが、さもありしにや、儲副にたゝせ給ひし初、我にいひしことばども思ひ出さるれ。戸田はいかにも世の事を精練して、甚機深かる人とみえしが、潛邸の御時に、朝よりとく參りつゝ、たゞひとりにて、詮房朝臣につきて、物申す事あり。又此の人につきて望み請ふ所を申すをきゝて、我は承り諾りぬ。同僚の人によく申し給へといふほどに、事なりぬるは、此の人の力によれりと思ひ、事ならざるをば、同僚の人さまたげ申しし也と、人々は思ひたりき。これらの事は、我がまさしく見聞きし所也。此の人ほどなく祿萬石に至り、位四品になられしかど、一年ばかり過ぎて、丙戌十月十五日に、職とゞめられたりけり。いかなる事にか、其の故をばしらず。御代をしろしめされし後に、前代に戸田は職とゞめられしかど、祿といひ、位といひ、其の幸すくなからず。小出が事、今に至りては、潛邸の勞に報いられむほどの御事こそあらまほしけれと申ししに、此の輩は前代の御恩淺からず、然るにむかし潛邸にありて、二人共に常に前代の御政事を、さみし申す事をのみ事とせり、共に禍にかゝれるは、其の不幸にはあらず、此の一事をもて其の人をしるべしと仰せ下されたり。これらの事、しるすべき事共にはあらねど、我が後たらむ人々、世の中のありさま、よろしくわきまへしらむ事を思ひぬれば、其の一二をこゝに註しぬ。
新字:此の比の事なり、小出と井上とあらそひいふ事あり。やがて小出は職奪はれ、すぎし比加へ賜りし所の地削られたりけり。これも戸田が正武朝臣とあひはからひ申しし事あるが故なり。初め潜邸におはしましし時、戸田は小出と同時につけられしかど、年比小出が事をよしとも思はず。井上は、其兄の河内守正岑朝臣は、当時の老なり。また右京大夫輝貞朝臣の外従兄弟なれば、少将吉保朝臣にむすぼほれたる中なり。されば讒説も行れやすき事もとより也とある人は申したりき。其の事のまことといつはりはしらねど、前にしるししごとくに、忠利朝臣は、我が出身の初めの事申執せし人なれば、其の事を忘るべきにもあらず。小出はさせるゆかりもなけれど、此の人すくよかなる所ありて、おもふ所をばのこさでいひしと聞えしが、さもありしにや、儲副にたゝせ給ひし初、我にいひしことばども思ひ出さるれ。戸田はいかにも世の事を精練して、甚機深かる人とみえしが、潜邸の御時に、朝よりとく参りつゝ、たゞひとりにて、詮房朝臣につきて、物申す事あり。又此の人につきて望み請ふ所を申すをきゝて、我は承り諾りぬ。同僚の人によく申し給へといふほどに、事なりぬるは、此の人の力によれりと思ひ、事ならざるをば、同僚の人さまたげ申しし也と、人々は思ひたりき。これらの事は、我がまさしく見聞きし所也。此の人ほどなく禄万石に至り、位四品になられしかど、一年ばかり過ぎて、丙戌十月十五日に、職とゞめられたりけり。いかなる事にか、其の故をばしらず。御代をしろしめされし後に、前代に戸田は職とゞめられしかど、禄といひ、位といひ、其の幸すくなからず。小出が事、今に至りては、潜邸の労に報いられむほどの御事こそあらまほしけれと申ししに、此の輩は前代の御恩浅からず、然るにむかし潜邸にありて、二人共に常に前代の御政事を、さみし申す事をのみ事とせり、共に禍にかゝれるは、其の不幸にはあらず、此の一事をもて其の人をしるべしと仰せ下されたり。これらの事、しるすべき事共にはあらねど、我が後たらむ人々、世の中のありさま、よろしくわきまへしらむ事を思ひぬれば、其の一二をこゝに註しぬ。
書き下し
此の比の事なり、小出と井上とあらそひいふ事あり。やがて小出は職奪はれ、すぎし比加へ賜りし所の地削られたりけり。これも戸田が正武朝臣とあひはからひ申しし事あるが故なり。初め潛邸におはしましし時、戸田は小出と同時につけられしかど、年比小出が事をよしとも思はず。井上は、其兄の河内守正岑朝臣は、當時の老なり。また右京大夫輝貞朝臣の外從兄弟なれば、少將吉保朝臣にむすぼほれたる中なり。されば讒説も行れやすき事もとより也とある人は申したりき。其の事のまことといつはりはしらねど、前にしるししごとくに、忠利朝臣は、我が出身の初めの事申執せし人なれば、其の事を忘るべきにもあらず。小出はさせるゆかりもなけれど、此の人すくよかなる所ありて、おもふ所をばのこさでいひしと聞えしが、さもありしにや、儲副にたゝせ給ひし初、我にいひしことばども思ひ出さるれ。戸田はいかにも世の事を精練して、甚機深かる人とみえしが、潛邸の御時に、朝よりとく參りつゝ、たゞひとりにて、詮房朝臣につきて、物申す事あり。又此の人につきて望み請ふ所を申すをきゝて、我は承り諾りぬ。同僚の人によく申し給へといふほどに、事なりぬるは、此の人の力によれりと思ひ、事ならざるをば、同僚の人さまたげ申しし也と、人々は思ひたりき。これらの事は、我がまさしく見聞きし所也。此の人ほどなく祿萬石に至り、位四品になられしかど、一年ばかり過ぎて、丙戌十月十五日に、職とゞめられたりけり。いかなる事にか、其の故をばしらず。御代をしろしめされし後に、前代に戸田は職とゞめられしかど、祿といひ、位といひ、其の幸すくなからず。小出が事、今に至りては、潛邸の勞に報いられむほどの御事こそあらまほしけれと申ししに、此の輩は前代の御恩淺からず、然るにむかし潛邸にありて、二人共に常に前代の御政事を、さみし申す事をのみ事とせり、共に禍にかゝれるは、其の不幸にはあらず、此の一事をもて其の人をしるべしと仰せ下されたり。これらの事、しるすべき事共にはあらねど、我が後たらむ人々、世の中のありさま、よろしくわきまへしらむ事を思ひぬれば、其の一二をこゝに註しぬ。
現代語訳
このころのことである。小出と井上とが争い言うことがあった。やがて小出は職を奪われ、さきごろ加え賜った所領も削られた。これも戸田が正武朝臣と相談して申したことによる。初め潜邸におられた時、戸田は小出と同時につけられたが、長年小出のことをよいとは思っていなかった。井上は、その兄の河内守正岑朝臣が、当時の老中である。また右京大夫輝貞朝臣の外従兄弟(母方のいとこ)であるから、少将吉保朝臣と縁がつながっている間柄である。それゆえ、讒言も行われやすいのはもとよりだと、ある人は言っていた。そのことの真偽は知らないが、前に記したように、忠利朝臣は、私の出身の初めのことを取り次いで申し上げた人であるから、そのことを忘れるはずもない。小出は特別な縁もないが、この人はまっすぐなところがあって、思うところを残さず言ったと聞こえたが、そうだったのであろうか、世子にお立ちになった初め、私に言った言葉どもが思い出される。戸田はいかにも世事に練達して、たいそう機略の深い人と見えたが、潜邸の時に、朝早くから参っては、ただひとりで、詮房朝臣について、物申すことがある。またこの人について望み請うところを申すのを聞いて、私は承り諾した。同僚の人によく申してくださいと言うほどに、事がまとまったのは、この人の力によるのだと思い、事がならなかったのは、同僚の人が妨げ申したのだと、人々は思っていた。これらのことは、私が確かに見聞きしたところである。この人はほどなく禄一万石に至り、位は四品になられたが、一年ほど過ぎて、丙戌(宝永3年)十月十五日に、職を止められた。どういうことか、その理由は知らない。(家宣公が)御代をお治めになった後、前代に戸田は職を止められたけれども、禄といい位といい、その幸いは少なくない、小出のことは、今に至っては、潜邸の労に報いられるほどのことがあってほしいと申したところ、この輩は前代の御恩が浅くなかったのに、昔潜邸にいて、二人とも常に前代の御政事を、そしり申すことばかりをしていた、共に禍にかかったのは、その不幸ではない、この一事でその人を知るがよいと仰せ下された。これらのことは、記すべきことではないが、私の後の人々が、世の中のありさまを、よくわきまえ知ることを思うので、その一、二をここに記した。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
史記 越王句践世家二歳にして呉、蠡を帰す。句践、会稽より帰りて七年、其の士民を拊循し、用ひて以て呉に報いんと欲す。大夫逢同諫めて曰く、「国新たに流亡し、今乃ち復た殷給す。繕飾して利を備へば、呉必ず懼れん。懼るれば則ち難必ず至らん。且つ鷙鳥の撃つや、必ず其の形を匿す。今夫れ呉は兵を斉・晋に加へ、怨みは楚・越に深く、名は天下に高く、実は周室を害す。徳少なくして功多く、必ず淫して自ら矜らん。越の為に計るに、斉に結び、楚に親しみ、晋に附きて、以て呉を厚くするに若くは莫し。呉の志広ければ、必ず戦ひを軽んぜん。是れ我其の権を連ね、三国之を伐ち、越其の弊に承ずれば、克つべきなり」と。句践曰く、「善し」と。居ること二年、呉王将に斉を伐たんとす。子胥諫めて曰く、「未だ可ならず。臣聞く、句践は食に味を重ねず、百姓と苦楽を同じくすと。此の人死せずんば、必ず国の患と為らん。呉に越有るは、腹心の疾なり。斉の呉に与けるは、疥癬なり。願はくは王、斉を釈きて越を先にせよ」と。呉王聴かず、遂に斉を伐ち、之を艾陵に敗り、斉の高・国を虜にして以て帰る。子胥を譲む。子胥曰く、「王喜ぶ毋かれ」と。王怒り、子胥自殺せんと欲す。王聞きて之を止む。越の大夫種曰く、「臣、呉王の政を観るに驕れり。請ふ試みに之に粟を貸らんことを嘗み、以て其の事を卜せん」と。貸らんことを請ふ。呉王与へんと欲し、子胥与ふる勿かれと諫む。王遂に之に与ふ。越乃ち私かに喜ぶ。子胥言ひて曰く、「王諫めを聴かず、後三年にして呉其れ墟とならんか」と。太宰嚭之を聞き、乃ち数々子胥と越の議を争ひ、因りて子胥を讒して曰く、「伍員は貌は忠なれども実は忍人なり。其の父兄をすら顧みず、安んぞ能く王を顧みんや。王前に斉を伐たんと欲するや、員彊く諫む。已にして功有り、是を用て反りて王を怨む。王、伍員に備へずんば、員必ず乱を為さん」と。逢同と共に謀り、之を王に讒す。王始め従はず。乃ち子胥を斉に使はす。其の子を鮑氏に託するを聞き、王乃ち大いに怒りて曰く、「伍員果たして寡人を欺けり」と。役より反り、人をして子胥に属鏤の剣を賜ひて以て自殺せしむ。
-
説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
-
『晏子春秋』諫上・景公信用讒佞賞罰失中晏子諫景公讒佞を信用し、功無きを賞し、辜無きを罰す。晏子諫めて曰く、「臣聞く、明君は聖人を望みて其の教えを信じ、讒佞を聴きて以て誅賞するを聞かず、と。今、左右と相い説び頌えて曰く、『死者に比べて勉めて楽しみを為さんか、吾安んぞ能く仁を為して愈いよ民を黥するのみ』と。故に内に寵せらるる妾は、国に迫り奪い、外に寵せらるる臣は、鄙に矯り奪い、法を執る吏は、並びに百姓に荷う。民は愁苦約病して、奸は驅り尤いよ佚え、情を隠し悪を奄い、其の上を蔽い諂う、故に至聖大賢有りと雖も、豈に能く若き讒に勝たんや。是を以て忠臣の常に災傷有るなり。臣聞く、古の士は、与に之を得可く、与に之を失う可からず、与に之を進む可く、与に之を退く可からず、と。臣請う之を逃れん」と。遂に馬に鞭ちて出ず。公韓子休をして追わしめて曰く、「孤不仁にして、教えに順う能わず、以て此の極みに至る。夫子休国は焉くにか往かん。寡人将に従いて後あらんとす」と。晏子遂に馬に鞭ちて返る。其の僕曰く、「向の去ること何ぞ速かなる。今の返ること又何ぞ速かなる」と。晏子曰く、「子の知る所に非ず、公の言至れり」と。
-
『春秋左氏伝』昭公二十一年 華多僚の讒言宋の華費遂、華貙・華多僚・華登を生む。貙は少司馬為り。多僚は御士為り。貙と相惡む。乃ち諸を公に譖して曰く、「貙將に亡人を納れんとす」と。亟(しばしば)之を言ふ。公曰く、「司馬吾が故を以って、其の良子を亡へり。死亡は命有り。吾以って再び之を亡ふ可からず」と。對へて曰く、「君若し司馬を愛せば、則ち如(しか)ず亡げんには。死如し逃る可くんば、何の遠きことか之れ有らん」と。公懼れ、侍人をして司馬の侍人宜僚を召さしめ、之に酒を飲ましめて、司馬に告げしむ。司馬歎じて曰く、「必ず多僚ならん。吾讒子有りて、殺すこと能はず。吾又死せず。抑君命有り、若何す可き」と。乃ち公と謀りて、華貙を逐はんとし、將に孟諸に田せしめて之を遣らんとす。公之に酒を飲ましめ、厚く之に酬い、賜從者に及ぶ。司馬も亦た之の如くす。張匄之を尤(あや)しみて曰く、「必ず故有らん」と。子皮をして宜僚に承(むか)ふるに劍を以ってして之を訊はしむ。宜僚盡く以って告ぐ。張匄多僚を殺さんと欲す。子皮曰く、「司馬老いたり。登の謂(ため)に甚だし。吾又之を重ねば、亡ぐるに如かざるなり」と。
-
史記 周本紀崇侯虎西伯を殷の紂に譖して曰く、「西伯善を積み徳を累ね、諸侯皆之に向かふ。将に帝に不利ならんとす」と。帝紂乃ち西伯を羑里に囚ふ。閎夭の徒之を患ふ。乃ち有莘氏の美女、驪戎の文馬、有熊の九駟、他の奇怪の物を求め、殷の嬖臣費仲に因りて之を紂に献ず。紂大いに説びて、曰く、「此の一物以て西伯を釈すに足る、況んや其の多きをや」と。乃ち西伯を赦し、之に弓矢斧鉞を賜ひ、西伯をして征伐するを得しむ。曰く、「西伯を譖する者は、崇侯虎なり」と。西伯乃ち洛西の地を献じ、以て紂に炮格の刑を去らんことを請ふ。紂之を許す。
-
『酔古堂剣掃』集醒・秋風の耳を過ぐると作す金を鑠かし玉を玷すは、從來讒人に乏しからず。 垢を洗ひて瘢を索むるは、尤も多きを佳士に求むるを好む。 止だ秋風の耳を過ぐると作さば、何ぞ尺霧の天を障ふるを妨げん。