古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

折たく柴の記 / 『折たく柴の記』馬の名手芝崎十郎右衛門の憤死

又此の年九月六日に芝崎十郎右衞門は致仕したりけり。此の人もいとけなくましまししより、御馬にめさるゝ事をしへまゐらせたりき。その齡も七旬にあまりぬべし。馬のる事にとりては、當時に雙なき名譽なりき。潛邸におはしまし時より、戸田がしれる馬のりに、長崎とかいひしものをすゝめむとおもひよりて、芝崎が事を申す事どもありしを、聞しめし入れぬさまして打過給ひき。彼の芝崎は馬こそよく乘れ、天性我儘なる人にていひたき事のみいひて、世の人の馬のる事など、かげにていひけちたりければ、にくしと思ふものゝなきにあらず。御厩の預り、諏訪部とかいふが申す事ありしを、當時儲副につけ給ひし伯耆守正武朝臣、もとより諏訪部としたしかりしかば、戸田と心あはせて、よからぬさまに申しなしたれば、芝崎其の憤に堪へずして、此の年八月廿九日に致仕の事を望み乞ふ。日あらずして、其の請ふところをゆるされしが、いくばく日を經ずして、憤り死にぞ死しける。此の人と村田と我と三人は、此のとし比同僚のごとくにありしに、此の人いかが思ひけむ、我が事はしたしくいひかたらひし。みづからとれる所にはあれど、かゝる事にて身を終りぬるこそあはれなれ。

新字:又此の年九月六日に芝崎十郎右衛門は致仕したりけり。此の人もいとけなくましまししより、御馬にめさるゝ事をしへまゐらせたりき。その齢も七旬にあまりぬべし。馬のる事にとりては、当時に双なき名誉なりき。潜邸におはしまし時より、戸田がしれる馬のりに、長崎とかいひしものをすゝめむとおもひよりて、芝崎が事を申す事どもありしを、聞しめし入れぬさまして打過給ひき。彼の芝崎は馬こそよく乗れ、天性我儘なる人にていひたき事のみいひて、世の人の馬のる事など、かげにていひけちたりければ、にくしと思ふものゝなきにあらず。御厩の預り、諏訪部とかいふが申す事ありしを、当時儲副につけ給ひし伯耆守正武朝臣、もとより諏訪部としたしかりしかば、戸田と心あはせて、よからぬさまに申しなしたれば、芝崎其の憤に堪へずして、此の年八月廿九日に致仕の事を望み乞ふ。日あらずして、其の請ふところをゆるされしが、いくばく日を経ずして、憤り死にぞ死しける。此の人と村田と我と三人は、此のとし比同僚のごとくにありしに、此の人いかが思ひけむ、我が事はしたしくいひかたらひし。みづからとれる所にはあれど、かゝる事にて身を終りぬるこそあはれなれ。

書き下し

又此の年九月六日に芝崎十郎右衞門は致仕したりけり。此の人もいとけなくましまししより、御馬にめさるゝ事をしへまゐらせたりき。その齡も七旬にあまりぬべし。馬のる事にとりては、當時に雙なき名譽なりき。潛邸におはしまし時より、戸田がしれる馬のりに、長崎とかいひしものをすゝめむとおもひよりて、芝崎が事を申す事どもありしを、聞しめし入れぬさまして打過給ひき。彼の芝崎は馬こそよく乘れ、天性我儘なる人にていひたき事のみいひて、世の人の馬のる事など、かげにていひけちたりければ、にくしと思ふものゝなきにあらず。御厩の預り、諏訪部とかいふが申す事ありしを、當時儲副につけ給ひし伯耆守正武朝臣、もとより諏訪部としたしかりしかば、戸田と心あはせて、よからぬさまに申しなしたれば、芝崎其の憤に堪へずして、此の年八月廿九日に致仕の事を望み乞ふ。日あらずして、其の請ふところをゆるされしが、いくばく日を經ずして、憤り死にぞ死しける。此の人と村田と我と三人は、此のとし比同僚のごとくにありしに、此の人いかが思ひけむ、我が事はしたしくいひかたらひし。みづからとれる所にはあれど、かゝる事にて身を終りぬるこそあはれなれ。

現代語訳

また、この年九月六日に芝崎十郎右衛門は致仕した。この人も、公が幼くおられた頃から、乗馬をお教え申し上げた人である。その年齢も七十を超えているだろう。馬に乗ることにかけては、当時並ぶ者のない名誉であった。潜邸におられた時から、戸田が知っている馬乗りで長崎とかいう者を推薦しようと思いつき、芝崎のことをあれこれ申すことがあったが、(公は)お聞き入れにならないふうで過ごされた。あの芝崎は馬こそよく乗るが、生まれつきわがままな人で、言いたいことばかり言い、世の人の馬の乗り方などを、陰で言い貶していたので、憎いと思う者がないわけではなかった。御厩の預かりで諏訪部とかいう者が申すことがあったのを、当時世子の側にお付きになった伯耆守正武朝臣が、もとより諏訪部と親しかったので、戸田と心を合わせて、よくないように申しなしたところ、芝崎はその憤りに堪えず、この年八月二十九日に致仕を望み願った。日もたたずにその願いは許されたが、いくらも日を経ないうちに、憤り死にに死んだ。この人と村田と私と三人は、この数年同僚のようにしていたが、この人はどう思ったのか、私のことは親しく語り合ってくれた。自ら招いたことではあるが、このようなことで身を終えたのは哀れである。

解説

馬術では並ぶ者のない名手でありながら、言いたいことを言い、他人の乗り方を陰で貶めた結果、讒言を招いて職を退き、間もなく憤りのうちに亡くなった人の話です。白石は、自ら招いた面を認めつつも、親しく語り合ってくれた同僚として哀れむ気持ちを隠しません。腕前があることと、人の中で生きる力は別だという教訓が読み取れます。専門性の高い人が組織で孤立するとき、周囲の見方と本人の言動が噛み合わない怖さを、事実だけで伝えています。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る

この章句が説くこと

芝崎十郎右衛門馬術の名手致仕讒言憤り死に同僚への哀惜

関連する章句

本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円本を見る