折たく柴の記 / 『折たく柴の記』旧友九郎兵衞との山中の再会
又仰せられしは、我若かりしほどに、越前の何某といふものあり。(九郎兵衞といひし、めづらしき稱號なり。但其の比は本國をもて稱せし人もありつれば、本國は越前ならむとの給ひし)これもゆきがたしれずなりたり。年經し後に、我陸奥をさりて、山陽道のかたにおもむかむとし、かしの木の坂に至りし時に、薪負ひしものにゆきあひたり。二三十間がほどもゆきすぎしに、我がうしろのかたにして、我が名をよびし聲のしたれば、かへり見るに、かの薪負ひし者の、薪をおろして、頭つゝみしものをとりつゝあゆみ來るなり。心得ぬ事とおもひて、たち歸りしに、はるかに隔りぬれば、見忘れ給ひたりな。何某にてこそ侍れ。今なに故によりてか、たゞひとりはこゝを過ぎ給ふらむ。覺束なく覺ゆるものかなといふを見るに、むかしわかく盛なりし時に見しには似るべくもあらねど、さすがに又そのおもかげの忘るべくもあらねば、たゞ夢のやうに覺えて、いかにかゝる身にはなり給ひぬるにかといひて、我が身の事をも聞えぬれば、さらば、當時はいとまある身にてそおはすれ。わかれにし後々の事をも、したしかりし人々の事をも、きかまほしきに、こよひは我がもとに來りとゞまり給へかし。我がすむ所はてゝより程遠くしもあらずといふ。さらばとて、うちつれて行くほどに、年老いぬる父のあるを、やしなひぬべきよすがもなくなりにければ、此のほとりのひかねといふ所に、知れるものゝあるを、たのみ來りて、かゝる事をわざとして、世を渡りぬるなり。かくといひ出でむも恥かしかりつれど、あまりにむかしの思ひ出でられしに、忍びがたくて、あらはし聞ゆるなり。父にてあるものは、堅固のむかし人なれば、見なれぬ人入り來り給はむに、あやしむ事もこそあれ。事のよしをつげしらすべきなり。こゝにしばらく待ち給へよといひて、我をばあやしげなる屋の外にとゞめおきて内に入る。しばしほどすぎて、出で迎へしかば、内に入りけるに、八十餘の翁の火たきてありしが、まれ人をとゞめまゐらすとも、まゐらすべきものもあらじ。されど、我が子たるものに、したしくおはせし人ときけば、恥ぢまゐらすべきことにもあらず。おや子のものゝ、餓忍ぶものの聞しめして、今宵はこゝにてあかし給へとて、麥飯にかてといふものいれしを、わかちてもてなす。
新字:又仰せられしは、我若かりしほどに、越前の何某といふものあり。(九郎兵衛といひし、めづらしき称号なり。但其の比は本国をもて称せし人もありつれば、本国は越前ならむとの給ひし)これもゆきがたしれずなりたり。年経し後に、我陸奥をさりて、山陽道のかたにおもむかむとし、かしの木の坂に至りし時に、薪負ひしものにゆきあひたり。二三十間がほどもゆきすぎしに、我がうしろのかたにして、我が名をよびし声のしたれば、かへり見るに、かの薪負ひし者の、薪をおろして、頭つゝみしものをとりつゝあゆみ来るなり。心得ぬ事とおもひて、たち帰りしに、はるかに隔りぬれば、見忘れ給ひたりな。何某にてこそ侍れ。今なに故によりてか、たゞひとりはこゝを過ぎ給ふらむ。覚束なく覚ゆるものかなといふを見るに、むかしわかく盛なりし時に見しには似るべくもあらねど、さすがに又そのおもかげの忘るべくもあらねば、たゞ夢のやうに覚えて、いかにかゝる身にはなり給ひぬるにかといひて、我が身の事をも聞えぬれば、さらば、当時はいとまある身にてそおはすれ。わかれにし後々の事をも、したしかりし人々の事をも、きかまほしきに、こよひは我がもとに来りとゞまり給へかし。我がすむ所はてゝより程遠くしもあらずといふ。さらばとて、うちつれて行くほどに、年老いぬる父のあるを、やしなひぬべきよすがもなくなりにければ、此のほとりのひかねといふ所に、知れるものゝあるを、たのみ来りて、かゝる事をわざとして、世を渡りぬるなり。かくといひ出でむも恥かしかりつれど、あまりにむかしの思ひ出でられしに、忍びがたくて、あらはし聞ゆるなり。父にてあるものは、堅固のむかし人なれば、見なれぬ人入り来り給はむに、あやしむ事もこそあれ。事のよしをつげしらすべきなり。こゝにしばらく待ち給へよといひて、我をばあやしげなる屋の外にとゞめおきて内に入る。しばしほどすぎて、出で迎へしかば、内に入りけるに、八十余の翁の火たきてありしが、まれ人をとゞめまゐらすとも、まゐらすべきものもあらじ。されど、我が子たるものに、したしくおはせし人ときけば、恥ぢまゐらすべきことにもあらず。おや子のものゝ、餓忍ぶものの聞しめして、今宵はこゝにてあかし給へとて、麦飯にかてといふものいれしを、わかちてもてなす。
書き下し
又仰せられしは、我若かりしほどに、越前の何某といふものあり。(九郎兵衞といひし、めづらしき稱號なり。但其の比は本國をもて稱せし人もありつれば、本國は越前ならむとの給ひし)これもゆきがたしれずなりたり。年經し後に、我陸奥をさりて、山陽道のかたにおもむかむとし、かしの木の坂に至りし時に、薪負ひしものにゆきあひたり。二三十間がほどもゆきすぎしに、我がうしろのかたにして、我が名をよびし聲のしたれば、かへり見るに、かの薪負ひし者の、薪をおろして、頭つゝみしものをとりつゝあゆみ來るなり。心得ぬ事とおもひて、たち歸りしに、はるかに隔りぬれば、見忘れ給ひたりな。何某にてこそ侍れ。今なに故によりてか、たゞひとりはこゝを過ぎ給ふらむ。覺束なく覺ゆるものかなといふを見るに、むかしわかく盛なりし時に見しには似るべくもあらねど、さすがに又そのおもかげの忘るべくもあらねば、たゞ夢のやうに覺えて、いかにかゝる身にはなり給ひぬるにかといひて、我が身の事をも聞えぬれば、さらば、當時はいとまある身にてそおはすれ。わかれにし後々の事をも、したしかりし人々の事をも、きかまほしきに、こよひは我がもとに來りとゞまり給へかし。我がすむ所はてゝより程遠くしもあらずといふ。さらばとて、うちつれて行くほどに、年老いぬる父のあるを、やしなひぬべきよすがもなくなりにければ、此のほとりのひかねといふ所に、知れるものゝあるを、たのみ來りて、かゝる事をわざとして、世を渡りぬるなり。かくといひ出でむも恥かしかりつれど、あまりにむかしの思ひ出でられしに、忍びがたくて、あらはし聞ゆるなり。父にてあるものは、堅固のむかし人なれば、見なれぬ人入り來り給はむに、あやしむ事もこそあれ。事のよしをつげしらすべきなり。こゝにしばらく待ち給へよといひて、我をばあやしげなる屋の外にとゞめおきて内に入る。しばしほどすぎて、出で迎へしかば、内に入りけるに、八十餘の翁の火たきてありしが、まれ人をとゞめまゐらすとも、まゐらすべきものもあらじ。されど、我が子たるものに、したしくおはせし人ときけば、恥ぢまゐらすべきことにもあらず。おや子のものゝ、餓忍ぶものの聞しめして、今宵はこゝにてあかし給へとて、麥飯にかてといふものいれしを、わかちてもてなす。
現代語訳
また父君がおっしゃったことには、自分が若かったころ、越前の何某という者がいた。(九郎兵衞といって、珍しい呼び名である。ただしそのころは出身国の名で呼ばれる人もあったので、本国は越前であろうと父君はおっしゃった。)この者も行方知れずになっていた。年月がたった後、自分が陸奥を去って山陽道の方へ向かおうとして、かしの木の坂に着いたとき、薪を背負った者に行き会った。二、三十間ほど行き過ぎたところで、自分の後ろの方で自分の名を呼ぶ声がしたので、振り返って見ると、あの薪を背負った者が薪をおろし、頭に包んでいた物を取りながら歩いて来るのだった。合点がいかないと思って引き返したところ、(その者は)はるかに遠く隔たってしまったので、お見忘れでしょう。何某でございます。今どういう事情で、お一人でここをお通りなのですか。気がかりに思います、と言う。その顔を見ると、昔若く盛んだったころに見たのとは似るべくもないが、それでもやはり面影は忘れようもないので、ただ夢のように思われて、どうしてこのような身におなりになったのですか、と言って、自分の身の上のことも話したところ、それならば、今はお暇のある身でいらっしゃいますね。別れて以後のことも、親しかった人々のことも伺いたいので、今夜は私のところにお泊まりください。私の住まいはここからそう遠くはありません、と言う。それならばと連れ立って行くうちに、(その者が言うには)年老いた父がいるのを養うべき手立てもなくなったので、このあたりのひかねという所に知り合いがいるのを頼ってきて、このようなこと(薪売り)を仕事として世を渡っているのです。こう言い出すのも恥ずかしいことでしたが、あまりに昔が思い出されて、こらえきれず打ち明けるのです。父は頑固な昔気質の人で、見慣れない人がお入りになれば、不審に思うこともありましょう。事情を告げて知らせておかねばなりません。ここでしばらくお待ちください、と言って、自分を粗末な家の外にとどめておいて中に入った。しばらくして出迎えたので、中に入ると、八十余りの老人が火をたいていて、(その老人が言うには)お客様をお泊めしても差し上げる物もありません。けれども、わが子と親しくしておられた方と聞けば、恥じることもありません。親子ともに飢えをしのぐ者の食事ですが、お聞き入れになって、今宵はここでお明かしください、と言って、麦飯に糧というものを入れたのを分けてもてなす。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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