折たく柴の記 / 『折たく柴の記』勘気が解けた後、戸部の死去
此の時たとひ、戸部が勘氣をゆるし給ふとも、我が父の對面をばゆるし給ふまじければ、此の事をかなしく思ひしに、其の後戸部の我をもとのごとくにめし出されしに至りて、我が父も悦び給ふ事大かたならず。その勘氣かうぶりし事など、のたまひ出す事もなく、心得ぬ事と思ひしに、後に聞きしに、かの關といひし老人のもとより、かの時に我がゆきたすけむとせし事、またその子息と問答せし事などつぶさに文にしるして贈りしを、我が父のこれ見給へども、母にておはせし人にも見せたまひたりき。此の事によりて、心もとけ給ひたるにこそと、我が母ののたまひたりけれ。今思ひ合するに、かゝるさわぎの出で來りしも、戸部の家滅びなむ事のきざしにやありしと、うたてかりし事なりけり。戸部のうせ給ひて、嫡子にておはせし豫州は家つがれたり。此の人つひに家滅ぼされしほどの事なれば、戸部の心にもかなひ給はず。我がいとけなかりし頃までは、父子對面の事もおはしけれど、其の後は正月元日の見參より外は、對面の儀もあらず。一門の人々は、庶子のおはせしを愛して、それを立てられむとの事にやとうたがはれて、豫州のよからぬ事どもはしられず。また豫州その妻室を去られしのちに、出で來し男ありしを、戸部の上總國につかはしてひとゝなされ、十二三に及ばれしをこゝに迎へて、一門の人々にも見せむとし給ひしを、豫州は此の子して家つがせむと、思ひ給ふと心得て、事を左右によせて、むかへらるゝにも及はす。戸部の病急なるにのぞみて、はじめてよびむかへられき。戸部は、われ死しなば、我が家はほろぶべきかとのたまひつゝ、遂にうせ給ひぬ。
新字:此の時たとひ、戸部が勘気をゆるし給ふとも、我が父の対面をばゆるし給ふまじければ、此の事をかなしく思ひしに、其の後戸部の我をもとのごとくにめし出されしに至りて、我が父も悦び給ふ事大かたならず。その勘気かうぶりし事など、のたまひ出す事もなく、心得ぬ事と思ひしに、後に聞きしに、かの関といひし老人のもとより、かの時に我がゆきたすけむとせし事、またその子息と問答せし事などつぶさに文にしるして贈りしを、我が父のこれ見給へども、母にておはせし人にも見せたまひたりき。此の事によりて、心もとけ給ひたるにこそと、我が母ののたまひたりけれ。今思ひ合するに、かゝるさわぎの出で来りしも、戸部の家滅びなむ事のきざしにやありしと、うたてかりし事なりけり。戸部のうせ給ひて、嫡子にておはせし予州は家つがれたり。此の人つひに家滅ぼされしほどの事なれば、戸部の心にもかなひ給はず。我がいとけなかりし頃までは、父子対面の事もおはしけれど、其の後は正月元日の見参より外は、対面の儀もあらず。一門の人々は、庶子のおはせしを愛して、それを立てられむとの事にやとうたがはれて、予州のよからぬ事どもはしられず。また予州その妻室を去られしのちに、出で来し男ありしを、戸部の上総国につかはしてひとゝなされ、十二三に及ばれしをこゝに迎へて、一門の人々にも見せむとし給ひしを、予州は此の子して家つがせむと、思ひ給ふと心得て、事を左右によせて、むかへらるゝにも及はす。戸部の病急なるにのぞみて、はじめてよびむかへられき。戸部は、われ死しなば、我が家はほろぶべきかとのたまひつゝ、遂にうせ給ひぬ。
書き下し
此の時たとひ、戸部が勘氣をゆるし給ふとも、我が父の對面をばゆるし給ふまじければ、此の事をかなしく思ひしに、其の後戸部の我をもとのごとくにめし出されしに至りて、我が父も悦び給ふ事大かたならず。その勘氣かうぶりし事など、のたまひ出す事もなく、心得ぬ事と思ひしに、後に聞きしに、かの關といひし老人のもとより、かの時に我がゆきたすけむとせし事、またその子息と問答せし事などつぶさに文にしるして贈りしを、我が父のこれ見給へども、母にておはせし人にも見せたまひたりき。此の事によりて、心もとけ給ひたるにこそと、我が母ののたまひたりけれ。今思ひ合するに、かゝるさわぎの出で來りしも、戸部の家滅びなむ事のきざしにやありしと、うたてかりし事なりけり。戸部のうせ給ひて、嫡子にておはせし豫州は家つがれたり。此の人つひに家滅ぼされしほどの事なれば、戸部の心にもかなひ給はず。我がいとけなかりし頃までは、父子對面の事もおはしけれど、其の後は正月元日の見參より外は、對面の儀もあらず。一門の人々は、庶子のおはせしを愛して、それを立てられむとの事にやとうたがはれて、豫州のよからぬ事どもはしられず。また豫州その妻室を去られしのちに、出で來し男ありしを、戸部の上總國につかはしてひとゝなされ、十二三に及ばれしをこゝに迎へて、一門の人々にも見せむとし給ひしを、豫州は此の子して家つがせむと、思ひ給ふと心得て、事を左右によせて、むかへらるゝにも及はす。戸部の病急なるにのぞみて、はじめてよびむかへられき。戸部は、われ死しなば、我が家はほろぶべきかとのたまひつゝ、遂にうせ給ひぬ。
現代語訳
このとき、たとえ戸部が勘気をお許しになったとしても、父が私との対面をお許しにならないだろうから、このことを悲しく思っていたが、その後、戸部が私をもとのとおりに召し出されるに至って、父も喜ばれることは並大抵でなかった。その勘気をこうむったことなどを、おっしゃり出すこともなく、合点のいかないことと思っていたが、後に聞いたところ、あの関という老人のもとから、あのとき私が行って助けようとしたこと、またその子息と問答したことなどを詳しく手紙に記して贈ったのを、父がこれをご覧になっても、母であった人にもお見せになったのだった。このことによって、心もほどけられたのだろうと、私の母がおっしゃった。今思い合わせると、こうした騒ぎが起こったのも、戸部の家が滅びるだろうことの兆しであったのだろうかと、嘆かわしいことであった。戸部がお亡くなりになって、嫡子であった予州が家を継がれた。この人はついに家を滅ぼされたほどであるから、戸部の心にもかなわれなかった。私が幼かったころまでは、父子の対面のこともおありだったが、その後は正月元日の見参のほかには、対面の儀もない。一門の人々は、庶子がおられたのを愛して、その方を立てようとのことかと疑われて、予州の良くない事どもは知られなかった。また予州がその妻を去られた後に生まれた男子があったのを、戸部が上総国に遣わして育てさせ、十二、三歳に及ばれたので、ここに迎えて、一門の人々にも見せようとなさったのを、予州はこの子に家を継がせようとお思いなのだと理解して、事を左右にかこつけて、迎えるにも及ばなかった。戸部の病が急になるに及んで、初めて呼び迎えられた。戸部は「我が死んだなら、我が家は滅びるのだろうか」とおっしゃりながら、ついにお亡くなりになった。
解説

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