折たく柴の記 / 『折たく柴の記』九郎兵衞の父と氷の刀・脇差
かくて夜に入りしかば、翁がこゝにあらむには、打とけ給ふこともあらじものをといひて、一間なる所に入りてふしぬ。二人打むかひ居て、薪折りたきて、むかし今の事どもかたりつづくるほどに、夜いたく深けにし比、かの父のふしたるところに入りて、あふこのごとくなる竹二本取來りて、そのふたとなしし所をひらきて、中より三尺ばかりの刀と、二尺あまりの脇ざしの刀とを出して、またふところより鍔ふたつとり出で、火の光りにそむきて、その刀と脇ざしとを、鞘よりぬき出し見て、我が前にさしおく。いづれも氷のごとくなる。金作りに飾れるに、鞘には、かいらぎといふ鮫かけしなり。我つかへにしたがひし時も、身不肖なれば、父やしなふべきほどの祿をもとめ得ず。また我をのけて、我が父に事ふべきものもなくなりたれば、世をのがれてかゝる身となりぬ。されば、むかし身に隨へし物ども、なにかは惜む所のあるべき。されど、又我が力のつゝかむほどは、せめては刀脇差一腰づゝは、とどめもおかましと思ひて、心づよくけふ迄は、身をはなさでありしなり。見給ふ所のこどくなれば、我が父の世にあらむほども久からじ。もしかゝる身の幸ありて、我やしなひ終へたらむには再會の期もありぬべしといひて涙を流しき。明けぬれば、ものしたゝめて父にもすゝめ、我にもあたへて、道のほど一里計送りて立わかれし。そのゝちはことゝふべきよしもなかりし。いかにかなりけむ。ふたゝび見しものもあらざりきと仰せられき。
新字:かくて夜に入りしかば、翁がこゝにあらむには、打とけ給ふこともあらじものをといひて、一間なる所に入りてふしぬ。二人打むかひ居て、薪折りたきて、むかし今の事どもかたりつづくるほどに、夜いたく深けにし比、かの父のふしたるところに入りて、あふこのごとくなる竹二本取来りて、そのふたとなしし所をひらきて、中より三尺ばかりの刀と、二尺あまりの脇ざしの刀とを出して、またふところより鍔ふたつとり出で、火の光りにそむきて、その刀と脇ざしとを、鞘よりぬき出し見て、我が前にさしおく。いづれも氷のごとくなる。金作りに飾れるに、鞘には、かいらぎといふ鮫かけしなり。我つかへにしたがひし時も、身不肖なれば、父やしなふべきほどの禄をもとめ得ず。また我をのけて、我が父に事ふべきものもなくなりたれば、世をのがれてかゝる身となりぬ。されば、むかし身に随へし物ども、なにかは惜む所のあるべき。されど、又我が力のつゝかむほどは、せめては刀脇差一腰づゝは、とどめもおかましと思ひて、心づよくけふ迄は、身をはなさでありしなり。見給ふ所のこどくなれば、我が父の世にあらむほども久からじ。もしかゝる身の幸ありて、我やしなひ終へたらむには再会の期もありぬべしといひて涙を流しき。明けぬれば、ものしたゝめて父にもすゝめ、我にもあたへて、道のほど一里計送りて立わかれし。そのゝちはことゝふべきよしもなかりし。いかにかなりけむ。ふたゝび見しものもあらざりきと仰せられき。
書き下し
かくて夜に入りしかば、翁がこゝにあらむには、打とけ給ふこともあらじものをといひて、一間なる所に入りてふしぬ。二人打むかひ居て、薪折りたきて、むかし今の事どもかたりつづくるほどに、夜いたく深けにし比、かの父のふしたるところに入りて、あふこのごとくなる竹二本取來りて、そのふたとなしし所をひらきて、中より三尺ばかりの刀と、二尺あまりの脇ざしの刀とを出して、またふところより鍔ふたつとり出で、火の光りにそむきて、その刀と脇ざしとを、鞘よりぬき出し見て、我が前にさしおく。いづれも氷のごとくなる。金作りに飾れるに、鞘には、かいらぎといふ鮫かけしなり。我つかへにしたがひし時も、身不肖なれば、父やしなふべきほどの祿をもとめ得ず。また我をのけて、我が父に事ふべきものもなくなりたれば、世をのがれてかゝる身となりぬ。されば、むかし身に隨へし物ども、なにかは惜む所のあるべき。されど、又我が力のつゝかむほどは、せめては刀脇差一腰づゝは、とどめもおかましと思ひて、心づよくけふ迄は、身をはなさでありしなり。見給ふ所のこどくなれば、我が父の世にあらむほども久からじ。もしかゝる身の幸ありて、我やしなひ終へたらむには再會の期もありぬべしといひて涙を流しき。明けぬれば、ものしたゝめて父にもすゝめ、我にもあたへて、道のほど一里計送りて立わかれし。そのゝちはことゝふべきよしもなかりし。いかにかなりけむ。ふたゝび見しものもあらざりきと仰せられき。
現代語訳
こうして夜になったので、(その者が)老人がここにいては、うちとけてお話しになることもできますまいに、と言って、別の一間に入って寝た。二人は向かい合って座り、薪を折って焚き、昔や今のことを語り続けるうちに、夜がたいそう更けたころ、あの父が寝ている所に入って、天秤棒のような竹を二本取って来て、蓋にしてあった所を開き、中から三尺ほどの刀と、二尺余りの脇差を取り出し、さらに懐から鍔を二つ取り出して、火の光に背を向けて、その刀と脇差を鞘から抜き出して見て、自分の前に置く。どちらも氷のように冴えている。金作りで飾ってあり、鞘にはかいらぎという鮫皮が掛けてある。(その者が言うには)私が主君にお仕えしていたときも、不肖の身ゆえ、父を養えるほどの禄を得られなかった。また私を除いて父に仕える者もなくなったので、世を逃れてこのような身となった。だから、昔身につけていた物など、何の惜しむところがあろうか。しかし、自分の力の続く限りは、せめて刀と脇差は一腰ずつ手元に残しておこうと思って、気を強く持って今日まで身から離さずにきたのだ。ご覧のとおりだから、父の命もそう長くはあるまい。もしこのような身にも幸いがあって、私が養い終えることができたなら、再会の時もあるだろうと言って涙を流した。夜が明けると、食事の支度をして父にも勧め、自分にも与え、道のりを一里ばかり送って別れた。その後は消息を尋ねるすべもなかった。どうなったことか。二度と見た者もなかった、と父君はおっしゃった。
解説

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