折たく柴の記 / 『折たく柴の記』老いた人の言葉と慎みの心得
又老いたる人には、ふるき事どもたづねとふに、其の益ある事もあるなり をさなき時に習ひし事の、年たけぬれど、忘れがたき事の如くに、わかゝりし時の事は、年おいぬれど猶心にとまりぬる事もあれば、それらの事は、とふ人あらむ時にこたへもせむはあしからず。世の中の新しくめづらしき事どもは、耳にはきゝぬとも、口よりは出すべからず。すべて、はじめて聞きし人の名などは、わするゝこともあり。其の事ありし地の名、又は月日などは、すこしく程をへだてぬれば、わするゝ事もあることなれど、若き人のわすれしは、たゞその時にあたりてわすれしとのみきく人も思ふなり。年老いぬるが、さだかならぬ事どもいふをば、耄しにけりとこそ思ふものなれ。人の年老いぬるに隨ひて、よろづの事につきて、わかざかりなりし時よりは、そのつゝしみなほ重かるべきことなり。此の人は天性正直なるところのありて、才略もよのつねならぬ所おはしけれど、わかゝりし時より、物いひも、なし行ふ事も、我が思ふ所にのみまかせて、つゝしめる所すくなかりしが、はたして今はかくおはするなりと仰せられき。今此の事をしるすにつけて、我事のこゝろをわきまへしより此のかた、見まゐらせたりし事どもを、こゝに附ししるす也。
新字:又老いたる人には、ふるき事どもたづねとふに、其の益ある事もあるなり をさなき時に習ひし事の、年たけぬれど、忘れがたき事の如くに、わかゝりし時の事は、年おいぬれど猶心にとまりぬる事もあれば、それらの事は、とふ人あらむ時にこたへもせむはあしからず。世の中の新しくめづらしき事どもは、耳にはきゝぬとも、口よりは出すべからず。すべて、はじめて聞きし人の名などは、わするゝこともあり。其の事ありし地の名、又は月日などは、すこしく程をへだてぬれば、わするゝ事もあることなれど、若き人のわすれしは、たゞその時にあたりてわすれしとのみきく人も思ふなり。年老いぬるが、さだかならぬ事どもいふをば、耄しにけりとこそ思ふものなれ。人の年老いぬるに随ひて、よろづの事につきて、わかざかりなりし時よりは、そのつゝしみなほ重かるべきことなり。此の人は天性正直なるところのありて、才略もよのつねならぬ所おはしけれど、わかゝりし時より、物いひも、なし行ふ事も、我が思ふ所にのみまかせて、つゝしめる所すくなかりしが、はたして今はかくおはするなりと仰せられき。今此の事をしるすにつけて、我事のこゝろをわきまへしより此のかた、見まゐらせたりし事どもを、こゝに附ししるす也。
書き下し
又老いたる人には、ふるき事どもたづねとふに、其の益ある事もあるなり をさなき時に習ひし事の、年たけぬれど、忘れがたき事の如くに、わかゝりし時の事は、年おいぬれど猶心にとまりぬる事もあれば、それらの事は、とふ人あらむ時にこたへもせむはあしからず。世の中の新しくめづらしき事どもは、耳にはきゝぬとも、口よりは出すべからず。すべて、はじめて聞きし人の名などは、わするゝこともあり。其の事ありし地の名、又は月日などは、すこしく程をへだてぬれば、わするゝ事もあることなれど、若き人のわすれしは、たゞその時にあたりてわすれしとのみきく人も思ふなり。年老いぬるが、さだかならぬ事どもいふをば、耄しにけりとこそ思ふものなれ。人の年老いぬるに隨ひて、よろづの事につきて、わかざかりなりし時よりは、そのつゝしみなほ重かるべきことなり。此の人は天性正直なるところのありて、才略もよのつねならぬ所おはしけれど、わかゝりし時より、物いひも、なし行ふ事も、我が思ふ所にのみまかせて、つゝしめる所すくなかりしが、はたして今はかくおはするなりと仰せられき。今此の事をしるすにつけて、我事のこゝろをわきまへしより此のかた、見まゐらせたりし事どもを、こゝに附ししるす也。
現代語訳
また老いた人には、昔のことをたずね問うことで、その益になることもあるのである。幼いときに習ったことが、年を取っても忘れがたいように、若かったときのことは、年を取ってもなお心にとどまっているものだから、そうしたことは、問う人がいるときに答えるのは悪くない。世の中の新しくめずらしいことなどは、耳に聞いても、口から出してはならない。総じて、初めて聞いた人の名などは、忘れることもある。そのことがあった土地の名や月日などは、少し年月を隔てれば、忘れることもあるのだが、若い人が忘れたのは、ただそのときに当たって忘れたのだとだけ聞く人も思う。年老いた人が、はっきりしないことを言うと、耄碌したのだと思うものである。人が年老いるにしたがって、万事について、若い盛りであったときよりは、その慎みはなお重くあるべきことである。この人は生まれつき正直なところがあって、才略も並々でないところがおありだったが、若いときから、物言いも、行うことも、自分の思うところにばかり任せて、慎むところが少なかったが、案の定、今はこうしておいでなのだと仰せになった。今このことを記すにつけて、私が物事の道理をわきまえてから以後、拝見してきたことどもを、ここに付け加えて記すのである。
解説

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