折たく柴の記 / 『折たく柴の記』岡部求馬の野猪退治と刀の戒め
その人の十三の時、秋の比に、もずといふ鳥をとらむとて、十六になる童一人ぐして野に出でしに、手負ひし野猪の、たちまちに出で來るを見て、從者は主をすてゝ、かたはらの松の樹に攀ぢのぼる。十三なりし主は、其の樹をうしろにあてゝ待つ。はしりむかひてかけむとする所、腰刀をぬきてきりしを、むかふさまに其の鍔を口にくはへて、かけたふさむとす。大さなる樹におしつけたれば、たやすくはたふされず。ひたおしにおすほどに、そのくはへたりし鍔の白銀なりしを、一寸ほど喰のばして、刀の鍔もとにてみづから鼻づらより、かうべの半までおしわりて、野猪はたふれ死したり。すべて此の人はさるものゝ孫なしかば、いとけなかりし時よりかゝる事の多かりき。我が父にておはせし人、其の刀をもとめ得て、我には譲り給ひし所なり。又のたまひしは、人に對ひてみづから帶するものゝ、利刀たるよしを語る事あるべからず。我わかゝりし時に、ある人の、みづからの刀のきれものなる由をいひしを聞きて、あはれ傍若無人の事をいふものかな。誰かはものゝきれぬ刀を帶する事のあるべき。いでさらばきるゝかきれざるか試みよといひて、刀をぬきたりしを、ありあふものどもおしとゞめて、やうやくに事をたひらげし事のありき。むかし人は、かくこそありけれ、と仰せられたりき。
新字:その人の十三の時、秋の比に、もずといふ鳥をとらむとて、十六になる童一人ぐして野に出でしに、手負ひし野猪の、たちまちに出で来るを見て、従者は主をすてゝ、かたはらの松の樹に攀ぢのぼる。十三なりし主は、其の樹をうしろにあてゝ待つ。はしりむかひてかけむとする所、腰刀をぬきてきりしを、むかふさまに其の鍔を口にくはへて、かけたふさむとす。大さなる樹におしつけたれば、たやすくはたふされず。ひたおしにおすほどに、そのくはへたりし鍔の白銀なりしを、一寸ほど喰のばして、刀の鍔もとにてみづから鼻づらより、かうべの半までおしわりて、野猪はたふれ死したり。すべて此の人はさるものゝ孫なしかば、いとけなかりし時よりかゝる事の多かりき。我が父にておはせし人、其の刀をもとめ得て、我には譲り給ひし所なり。又のたまひしは、人に対ひてみづから帯するものゝ、利刀たるよしを語る事あるべからず。我わかゝりし時に、ある人の、みづからの刀のきれものなる由をいひしを聞きて、あはれ傍若無人の事をいふものかな。誰かはものゝきれぬ刀を帯する事のあるべき。いでさらばきるゝかきれざるか試みよといひて、刀をぬきたりしを、ありあふものどもおしとゞめて、やうやくに事をたひらげし事のありき。むかし人は、かくこそありけれ、と仰せられたりき。
書き下し
その人の十三の時、秋の比に、もずといふ鳥をとらむとて、十六になる童一人ぐして野に出でしに、手負ひし野猪の、たちまちに出で來るを見て、從者は主をすてゝ、かたはらの松の樹に攀ぢのぼる。十三なりし主は、其の樹をうしろにあてゝ待つ。はしりむかひてかけむとする所、腰刀をぬきてきりしを、むかふさまに其の鍔を口にくはへて、かけたふさむとす。大さなる樹におしつけたれば、たやすくはたふされず。ひたおしにおすほどに、そのくはへたりし鍔の白銀なりしを、一寸ほど喰のばして、刀の鍔もとにてみづから鼻づらより、かうべの半までおしわりて、野猪はたふれ死したり。すべて此の人はさるものゝ孫なしかば、いとけなかりし時よりかゝる事の多かりき。我が父にておはせし人、其の刀をもとめ得て、我には譲り給ひし所なり。又のたまひしは、人に對ひてみづから帶するものゝ、利刀たるよしを語る事あるべからず。我わかゝりし時に、ある人の、みづからの刀のきれものなる由をいひしを聞きて、あはれ傍若無人の事をいふものかな。誰かはものゝきれぬ刀を帶する事のあるべき。いでさらばきるゝかきれざるか試みよといひて、刀をぬきたりしを、ありあふものどもおしとゞめて、やうやくに事をたひらげし事のありき。むかし人は、かくこそありけれ、と仰せられたりき。
現代語訳
その人が十三歳のとき、秋のころに、鵙という鳥を捕ろうとして、十六歳になる童を一人連れて野に出たところ、手傷を負った野猪が突然出てくるのを見て、従者は主人を見捨てて、かたわらの松の木によじ登った。十三歳であった主人は、その木を後ろにして待った。走って向かってきて掛かろうとするところを、腰刀を抜いて斬りつけたが、猪はそれに向かうようにしてその鍔を口にくわえ、掛け倒そうとした。大きな木に押しつけられていたので、たやすくは倒されなかった。ひたすら押すうちに、くわえていた鍔は白銀であったが、それを一寸ほど噛み伸ばし、刀の柄元で自ら鼻づらから頭の半ばまで押し割って、野猪は倒れて死んだ。総じてこの人は、そういう人の孫であったので、幼いときからこのようなことが多かった。私の父であった人が、その刀を手に入れて、私に譲られたものである。また仰せになったことには、人に向かって、自分が帯びている刀が切れ味のよい刀だということを語るべきではない。私が若かったときに、ある人が自分の刀が切れ物であるということを言うのを聞いて、ああ傍若無人なことを言うものよ、切れない刀を帯びる者がどこにいようか、さあそれならば切れるか切れないか試してみよと言って刀を抜いたところ、居合わせた者たちが押しとどめて、ようやく事を収めたことがあった。昔の人は、このようであったのだ、と仰せになった。
解説

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