折たく柴の記 / 『折たく柴の記』白石の祖父と父 箸と侮りの戒め
父にておはせし人は、四歳にして母におくれ、九歳にして父におくれ給ひしかば、父母の御事詳なる事は知らぬ也と仰せられき。我が祖父をば勘解由殿と申し、祖母にておはせし御事は染屋の何某の女なり。ふたりながら常陸國下妻庄にてうせ給ひぬ。新井といふは、もと上野國の源氏にて、染屋は、もと相模國の藤氏なるに、いかなる故によりてか、常陸國には移り給ひぬらむ。其の由をいひも傳ふる人あれど、まさしく父の仰せられざりし事とも、うけられぬ事也。父の仰せしは、我が父はいかなる故によりてか所領の地うしなひて、其の領せし地に引こもりておはせしといひしが、眼大きに鬚多くして、おそろしげなるが、死し給ふ比は、まだ白髮にはおはせざりしと覺えたりき。つねに物めしけるに、箸筒の黑くぬりしに、かきつばたの蒔繪をしたりしより、箸とりいでて、物めして、めし終りぬれば、箸をさめてかたはらにさしおき給ひしを、我をはぐゝみそだてし老婢のありしにとふに、すぎにし比の戰ひによき首とりて、大將の陣に參り給ひしに、戰つかれたるらむ。これ給はれとて、めしける膳をおし出して、その箸共に給はる。此の事、時の名譽なりしかば、今も身をはなし給はぬなりどいひき。それもいとけなき時に聞きにし事にて、いづれの時いかなる所の戰にて、大將は誰とかいひぬらむ、さだかならず。」たゞ一事今もおもひ出でたる事には、同じよはひの友とあそびの時に、人をあなづる事いふ人かなといひしを聞き給ひて、男子の侮をうくるは恥辱也、今のことばは戯なりといへども、みづから其の侮をうくるに似たり。然るべからずとのたまひたりき。」
新字:父にておはせし人は、四歳にして母におくれ、九歳にして父におくれ給ひしかば、父母の御事詳なる事は知らぬ也と仰せられき。我が祖父をば勘解由殿と申し、祖母にておはせし御事は染屋の何某の女なり。ふたりながら常陸国下妻庄にてうせ給ひぬ。新井といふは、もと上野国の源氏にて、染屋は、もと相模国の藤氏なるに、いかなる故によりてか、常陸国には移り給ひぬらむ。其の由をいひも伝ふる人あれど、まさしく父の仰せられざりし事とも、うけられぬ事也。父の仰せしは、我が父はいかなる故によりてか所領の地うしなひて、其の領せし地に引こもりておはせしといひしが、眼大きに鬚多くして、おそろしげなるが、死し給ふ比は、まだ白髪にはおはせざりしと覚えたりき。つねに物めしけるに、箸筒の黒くぬりしに、かきつばたの蒔絵をしたりしより、箸とりいでて、物めして、めし終りぬれば、箸をさめてかたはらにさしおき給ひしを、我をはぐゝみそだてし老婢のありしにとふに、すぎにし比の戦ひによき首とりて、大将の陣に参り給ひしに、戦つかれたるらむ。これ給はれとて、めしける膳をおし出して、その箸共に給はる。此の事、時の名誉なりしかば、今も身をはなし給はぬなりどいひき。それもいとけなき時に聞きにし事にて、いづれの時いかなる所の戦にて、大将は誰とかいひぬらむ、さだかならず。」たゞ一事今もおもひ出でたる事には、同じよはひの友とあそびの時に、人をあなづる事いふ人かなといひしを聞き給ひて、男子の侮をうくるは恥辱也、今のことばは戯なりといへども、みづから其の侮をうくるに似たり。然るべからずとのたまひたりき。」
書き下し
父にておはせし人は、四歳にして母におくれ、九歳にして父におくれ給ひしかば、父母の御事詳なる事は知らぬ也と仰せられき。我が祖父をば勘解由殿と申し、祖母にておはせし御事は染屋の何某の女なり。ふたりながら常陸國下妻庄にてうせ給ひぬ。新井といふは、もと上野國の源氏にて、染屋は、もと相模國の藤氏なるに、いかなる故によりてか、常陸國には移り給ひぬらむ。其の由をいひも傳ふる人あれど、まさしく父の仰せられざりし事とも、うけられぬ事也。父の仰せしは、我が父はいかなる故によりてか所領の地うしなひて、其の領せし地に引こもりておはせしといひしが、眼大きに鬚多くして、おそろしげなるが、死し給ふ比は、まだ白髮にはおはせざりしと覺えたりき。つねに物めしけるに、箸筒の黑くぬりしに、かきつばたの蒔繪をしたりしより、箸とりいでて、物めして、めし終りぬれば、箸をさめてかたはらにさしおき給ひしを、我をはぐゝみそだてし老婢のありしにとふに、すぎにし比の戰ひによき首とりて、大將の陣に參り給ひしに、戰つかれたるらむ。これ給はれとて、めしける膳をおし出して、その箸共に給はる。此の事、時の名譽なりしかば、今も身をはなし給はぬなりどいひき。それもいとけなき時に聞きにし事にて、いづれの時いかなる所の戰にて、大將は誰とかいひぬらむ、さだかならず。」たゞ一事今もおもひ出でたる事には、同じよはひの友とあそびの時に、人をあなづる事いふ人かなといひしを聞き給ひて、男子の侮をうくるは恥辱也、今のことばは戯なりといへども、みづから其の侮をうくるに似たり。然るべからずとのたまひたりき。」
現代語訳
父であった人は、四歳で母に先立たれ、九歳で父に先立たれたので、父母のことは詳しくは知らないのだとおっしゃった。私の祖父を勘解由殿と申し、祖母であった方は染屋の某の娘である。二人とも常陸国下妻の庄で亡くなられた。新井というのはもと上野国の源氏で、染屋はもと相模国の藤原氏であるのに、どういうわけで常陸国には移られたのだろう。そのいわれを言い伝える人もあるが、確かに父がおっしゃらなかったことなので、受け入れられないことである。父のおっしゃったことには、わが父はどういうわけでか所領の地を失って、その領していた地に引きこもっていらっしゃったというが、目が大きく鬚が多くて恐ろしげで、亡くなられる頃はまだ白髪ではなかったと覚えている。いつも食事をなさる時に、黒く塗って杜若の蒔絵をした箸筒から箸を取り出して食事をし、食べ終わると箸をしまって傍らに置いておられたのを、私を慈しみ育てた老婢に尋ねると、昔の戦いで良い首を取って大将の陣に参られたところ、大将が、戦に疲れたであろう、これを与えよ、と言って、召し上がっていた膳を押し出し、その箸ともども賜った。このことは当時の名誉であったので、今も身から離されないのだ、と言った。それも幼い時に聞いたことで、いつの時、どのような所の戦で、大将は誰と言ったのかは、はっきりしない。」ただ一つ今も思い出すことは、同じ年頃の友と遊んでいた時に、人を侮ることを言う人だなと言ったのをお聞きになって、男子が侮りを受けるのは恥辱である。今の言葉は戯れであるとはいえ、自分からその侮りを受けたのに似ている。よろしくない、とおっしゃった。」
解説

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