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秘本玉くしげ / 上 徒党と強訴

たとへば衣服など、昔はもめんならでは用ひざりし程の者も、今はおしなべて衿帶などは絹類をも用ふるやうになり、むかしは藁筵ならでは敷ざりしほどの屋も、今は疊を敷くやうになり、昔は雨中に蓑笠わらんづにてありきし者も、今は傘をさし屐をはくやうになれり。これらに准じて、餘の事にも此類多くして物入多き也。百姓町人大勢徒黨して强訴濫放することは、昔は治平の世にはおさおさうけ玉はり及ばぬこと也。近世になりても先年はいとまれなる事なりしに、近年は所所にこれ有てめづらしからぬ事になれり。これ武士にあづからず、畢竟百姓町人のことなれば何ほどの事にもあらず、小事なるには似たれ共、小事にあらず、甚大切の事也。いづれも困窮にせまりてせん方なきよりおこるとはいへども、詮ずる所、上を恐れざるより起れり。下民の上をおそれざるは亂の本にて、甚容易ならざる事にて、まづ第一その領主の耻辱これに過たるはなし。

新字:たとへば衣服など、昔はもめんならでは用ひざりし程の者も、今はおしなべて衿帯などは絹類をも用ふるやうになり、むかしは藁筵ならでは敷ざりしほどの屋も、今は畳を敷くやうになり、昔は雨中に蓑笠わらんづにてありきし者も、今は傘をさし屐をはくやうになれり。これらに准じて、余の事にも此類多くして物入多き也。百姓町人大勢徒党して強訴濫放することは、昔は治平の世にはおさおさうけ玉はり及ばぬこと也。近世になりても先年はいとまれなる事なりしに、近年は所所にこれ有てめづらしからぬ事になれり。これ武士にあづからず、畢竟百姓町人のことなれば何ほどの事にもあらず、小事なるには似たれ共、小事にあらず、甚大切の事也。いづれも困窮にせまりてせん方なきよりおこるとはいへども、詮ずる所、上を恐れざるより起れり。下民の上をおそれざるは乱の本にて、甚容易ならざる事にて、まづ第一その領主の耻辱これに過たるはなし。

書き下し

たとへば衣服など、昔はもめんならでは用ひざりし程の者も、今はおしなべて衿帯などは絹類をも用ふるやうになり、むかしは藁筵ならでは敷ざりしほどの屋も、今は畳を敷くやうになり、昔は雨中に蓑笠わらんづにてありきし者も、今は傘をさし屐をはくやうになれり。これらに准じて、余の事にも此類多くして物入多き也。百姓町人大勢徒党して強訴濫放することは、昔は治平の世にはおさおさうけ玉はり及ばぬこと也。近世になりても先年はいとまれなる事なりしに、近年は所所にこれ有てめづらしからぬ事になれり。これ武士にあづからず、畢竟百姓町人のことなれば何ほどの事にもあらず、小事なるには似たれ共、小事にあらず、甚大切の事也。いづれも困窮にせまりてせん方なきよりおこるとはいへども、詮ずる所、上を恐れざるより起れり。下民の上をおそれざるは乱の本にて、甚容易ならざる事にて、まづ第一その領主の恥辱これに過たるはなし。

現代語訳

たとえば衣服など、昔は木綿でなくては用いなかったほどの者も、今はおしなべて襟や帯などには絹類をも用いるようになり、昔は藁の筵でなくては敷かなかったほどの家も、今は畳を敷くようになり、昔は雨の中を蓑・笠・草鞋で歩いた者も、今は傘をさし下駄を履くようになった。これらに準じて、ほかの事にもこの類が多くて出費が多いのである。百姓・町人が大勢徒党を組んで強訴し乱暴を働くことは、昔は治平の世にはほとんど聞き及ばないことである。近世になっても先年はたいへんまれなことであったのに、近年は所々にあって珍しくないことになった。これは武士にはかかわらず、結局は百姓・町人のことであるから何ほどのことでもなく、小事であるようには見えるけれども、小事ではなく、たいへん大切なことである。いずれも困窮に迫ってしかたなくなることから起こるとはいえ、つまるところ上を恐れないことから起こるのである。下民が上を恐れないのは乱の本であって、たいへん容易ならないことであり、まず第一にその領主の恥辱としてこれに過ぎるものはない。

解説

前半は百姓の暮らしに付いた奢りの具体例である。木綿だけだった者が襟や帯に絹を使い、筵の家が畳を敷き、蓑笠草鞋が傘と下駄に変わった。一つ一つは小さいが、積もれば出費になる。後半で話は百姓町人の徒党と強訴に移る。天明の頃、一揆や打ちこわしは各地で珍しくなくなっていた。武士が関わらない下々の騒ぎだから小事だと見る向きに対し、宣長は小事ではなく大切なことだと言う。困窮が引き金でも、根は下が上を恐れなくなったことにあり、それは乱の本であって、何より領主の恥辱だと断じる。現場の強い反発を一部の不満として軽く見て、上の側の恥として受け止め損ねていないだろうか。

この章句が説くこと

強訴徒党奢り恥辱百姓

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