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遠羅天釜 / 『遠羅天釜』懸崖に手を撒する死と蘇り

况んや專唱の力らに依て淨土へ行んと計り佛けに成らんと擬するをや行く底これ何物ぞ成ずる底是何物ぞ我に非ずして是什麼んぞ謂ふ事なかれ然らば則ち是斷滅の所見なりと是斷なりや是不斷なりや眞正見性の上士に非ずんば輙く知る事能はじ眞正清淨の無我に契當せんと欲せば須らく懸崖に手を撒して絕後に再び蘇つて初めて四德の眞我に揷着せん懸崖に手を撒すとは何ぞや一人あり錯つて人迹不到の處に到つて下無底の斷岸に臨めり脚底は壁立苦滑にして湊泊するに地なし進む事得ず退く事得ず只一個の死あるのみ纔かに頼む處は左手に薜蘿を捉へ右手は蔓葛にすがつて且らく懸絲の命を續ぐ忽然として兩手を放撤せば七支八離枯骨も亦た無けん學道も亦然り一則の話頭をさつて單々に參窮せば心死し意消して空蕩々虛索々萬仭の崖畔に在るが如く手脚の着べきなし去死十分胸間時々に熱悶して忽然として話頭に和して心身共に打失す是を嶮崖に手を撒する底の時節と云豁然として蘇息し來れば水を飮で冷暖自知する底の大歡喜あらん是を往生と名づけ見性と云只肝要は此專念の扶けに依て是非是非一囘自性の本源に徹底すべきぞと勵み進み玉ふべし只千萬疑がひ玉ふべからず

新字:況んや専唱の力らに依て浄土へ行んと計り仏けに成らんと擬するをや行く底これ何物ぞ成ずる底是何物ぞ我に非ずして是什麼んぞ謂ふ事なかれ然らば則ち是断滅の所見なりと是断なりや是不断なりや真正見性の上士に非ずんば輙く知る事能はじ真正清浄の無我に契当せんと欲せば須らく懸崖に手を撒して絶後に再び蘇つて初めて四徳の真我に揷着せん懸崖に手を撒すとは何ぞや一人あり錯つて人迹不到の処に到つて下無底の断岸に臨めり脚底は壁立苦滑にして湊泊するに地なし進む事得ず退く事得ず只一個の死あるのみ纔かに頼む処は左手に薜蘿を捉へ右手は蔓葛にすがつて且らく懸糸の命を続ぐ忽然として両手を放撤せば七支八離枯骨も亦た無けん学道も亦然り一則の話頭をさつて単々に参窮せば心死し意消して空蕩々虚索々万仭の崖畔に在るが如く手脚の着べきなし去死十分胸間時々に熱悶して忽然として話頭に和して心身共に打失す是を嶮崖に手を撒する底の時節と云豁然として蘇息し来れば水を飲で冷暖自知する底の大歓喜あらん是を往生と名づけ見性と云只肝要は此専念の扶けに依て是非是非一囘自性の本源に徹底すべきぞと励み進み玉ふべし只千万疑がひ玉ふべからず

書き下し

况んや專唱の力らに依て淨土へ行んと計り佛けに成らんと擬するをや行く底これ何物ぞ成ずる底是何物ぞ我に非ずして是什麼んぞ謂ふ事なかれ然らば則ち是斷滅の所見なりと是斷なりや是不斷なりや眞正見性の上士に非ずんば輙く知る事能はじ眞正清淨の無我に契當せんと欲せば須らく懸崖に手を撒して絕後に再び蘇つて初めて四德の眞我に揷着せん懸崖に手を撒すとは何ぞや一人あり錯つて人迹不到の處に到つて下無底の斷岸に臨めり脚底は壁立苦滑にして湊泊するに地なし進む事得ず退く事得ず只一個の死あるのみ纔かに頼む處は左手に薜蘿を捉へ右手は蔓葛にすがつて且らく懸絲の命を續ぐ忽然として兩手を放撤せば七支八離枯骨も亦た無けん學道も亦然り一則の話頭をさつて單々に參窮せば心死し意消して空蕩々虛索々萬仭の崖畔に在るが如く手脚の着べきなし去死十分胸間時々に熱悶して忽然として話頭に和して心身共に打失す是を嶮崖に手を撒する底の時節と云豁然として蘇息し來れば水を飮で冷暖自知する底の大歡喜あらん是を往生と名づけ見性と云只肝要は此專念の扶けに依て是非是非一囘自性の本源に徹底すべきぞと勵み進み玉ふべし只千萬疑がひ玉ふべからず

現代語訳

ましてや、専ら唱える力で浄土へ行こうと計らい、仏に成ろうと擬することは、なおさら無我ではない。行く者は何者か、成る者は何者か。我でなくて何であろうか。それなら断滅の見ではないか、などと言ってはならない。それが断か不断か、真の見性の上士でなければ、たやすく知ることはできない。真正清浄の無我にかなおうと思うなら、懸崖に手を放ち、絶後に再び蘇って、初めて四徳の真我に出会うのである。懸崖に手を撒すとは何か。一人の人が、誤って人跡の到らない所に至り、底なしの断崖に臨んだとする。足下は壁のように切り立って滑りやすく、足がかりにする地がない。進むこともできず、退くこともできず、ただ一つの死があるのみ。わずかに頼みとするのは、左手で蔦を捉え、右手は葛にすがって、しばし糸一本ほどの命をつなぐことだけである。突然両手を放せば、四肢はばらばらに砕け、枯れた骨も残らないだろう。修行もまたそうだ。一則の話頭を取り上げ、ひたすら参究すれば、心は死に意は消え、空々漠々として万仞の崖のふちにいるようで、手足のつけどころもない。死ぬ思いが十分になり、胸の中が時々熱く悶えて、たちまち話頭と一つになって、心身ともに打ち失う。これを懸崖に手を放つ時節という。豁然として蘇息してくれば、水を飲んで冷たさ暖かさを自ら知るように、大歓喜がある。これを往生と名づけ、見性という。ただ肝要なのは、この専念の助けによって、是が非でも一度は自性の本源に徹底しようと励み進みなさることである。ただ、決して疑ってはならない。

解説

浄土へ行く者、仏に成る者とは誰かと問い詰め、我を離れない限り往生も成仏も語れないと白隠は迫ります。そのうえで「懸崖に手を撒す」の喩えを出し、進むも退くもできない極限で両手を放って初めて蘇ると説きます。一則の話頭に徹して心が死に尽くす体験を指しており、頭で理解する悟りとは違う点が強調されます。仕事でも、追い込まれた局面で、手持ちの理屈や保身を手放した時に、思わぬ突破口が開くことがあります。握りしめているものを手放せるかが、一つの分かれ目になります。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

懸崖撒手無我断滅話頭絶後再蘇四徳の真我

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