遠羅天釜 / 『遠羅天釜』旅人の喩えと大船の纜
云ふ事なかれ話頭是にして稱名不是なりと行人若し勇鋭の志し無くんば稱名も話頭も瞽者の眼鏡法師の櫛貯はへ果たして是何の用ぞ茲に數百人あらんに帝都へ行ん事を願ふて各々糧を包んで出づ先達好らずして錯つて遠境邊土虎狼充滿の廣野に留つて徒に日々杖の短長を爭そひ行裝の可否を論じ路費の多少を計つて杖々とのみ唱ふるあり路費路費とのみ叫ぶあり終に一步をも進むる事を知らず空しく歲月を送つて歲衰へ體疲れて果は虎狼の爲に獲られ遠路邊境の閑神野鬼と成り果るに似たり終に帝都に到る事得ず只肝心は杖子を擇ばず行裝を論せず一氣に進んで退かず速かに京師に到るを以て賢なりとす若し今時に効つて生前に佛力を賴んで死後に西方に往んとならば一生三昧發得往生決定する事能はじ况んや眞正見性の大事に於てをや去る程に眞珠庵主の歌に行く水に數かくよりも墓なきは佛を賴む人の行末へ、と蓋し斯言へばとて淨業を嫌ひ稱名を狹するにし非ず正念工夫相續不斷見性了義の扶けにとならば稱名はさて置き粉挽歌にても唱へ玉ふべし相構へて見性の秘訣を捨て置き專唱の功勳に酬へて佛にならんと計り玉ふべからず其子細は譬へば茲に萬石の大船あらんに思ふ儘に艤いし順風を七合に受て舟歌を張り櫓拍子を揃へて水主楫取心を合せて千尋の浪を押し切り八重の鹽路を漕拔んと毎日勇み進むと云へども纜を切て放たざらん限りは中々浩波を涉る事能はず徒らに日々氣力を勞すといへども元の湊に在らくのみ顧ふに纜の金緒なれども大船を留むるに至て萬夫も及ぶべからず
新字:云ふ事なかれ話頭是にして称名不是なりと行人若し勇鋭の志し無くんば称名も話頭も瞽者の眼鏡法師の櫛貯はへ果たして是何の用ぞ茲に数百人あらんに帝都へ行ん事を願ふて各々糧を包んで出づ先達好らずして錯つて遠境辺土虎狼充満の広野に留つて徒に日々杖の短長を争そひ行装の可否を論じ路費の多少を計つて杖々とのみ唱ふるあり路費路費とのみ叫ぶあり終に一歩をも進むる事を知らず空しく歳月を送つて歳衰へ体疲れて果は虎狼の為に獲られ遠路辺境の閑神野鬼と成り果るに似たり終に帝都に到る事得ず只肝心は杖子を択ばず行装を論せず一気に進んで退かず速かに京師に到るを以て賢なりとす若し今時に効つて生前に仏力を頼んで死後に西方に往んとならば一生三昧発得往生決定する事能はじ況んや真正見性の大事に於てをや去る程に真珠庵主の歌に行く水に数かくよりも墓なきは仏を頼む人の行末へ、と蓋し斯言へばとて浄業を嫌ひ称名を狭するにし非ず正念工夫相続不断見性了義の扶けにとならば称名はさて置き粉挽歌にても唱へ玉ふべし相構へて見性の秘訣を捨て置き専唱の功勲に酬へて仏にならんと計り玉ふべからず其子細は譬へば茲に万石の大船あらんに思ふ儘に艤いし順風を七合に受て舟歌を張り櫓拍子を揃へて水主楫取心を合せて千尋の浪を押し切り八重の塩路を漕抜んと毎日勇み進むと云へども纜を切て放たざらん限りは中々浩波を渉る事能はず徒らに日々気力を労すといへども元の湊に在らくのみ顧ふに纜の金緒なれども大船を留むるに至て万夫も及ぶべからず
書き下し
云ふ事なかれ話頭是にして稱名不是なりと行人若し勇鋭の志し無くんば稱名も話頭も瞽者の眼鏡法師の櫛貯はへ果たして是何の用ぞ茲に數百人あらんに帝都へ行ん事を願ふて各々糧を包んで出づ先達好らずして錯つて遠境邊土虎狼充滿の廣野に留つて徒に日々杖の短長を爭そひ行裝の可否を論じ路費の多少を計つて杖々とのみ唱ふるあり路費路費とのみ叫ぶあり終に一步をも進むる事を知らず空しく歲月を送つて歲衰へ體疲れて果は虎狼の爲に獲られ遠路邊境の閑神野鬼と成り果るに似たり終に帝都に到る事得ず只肝心は杖子を擇ばず行裝を論せず一氣に進んで退かず速かに京師に到るを以て賢なりとす若し今時に効つて生前に佛力を賴んで死後に西方に往んとならば一生三昧發得往生決定する事能はじ况んや眞正見性の大事に於てをや去る程に眞珠庵主の歌に行く水に數かくよりも墓なきは佛を賴む人の行末へ、と蓋し斯言へばとて淨業を嫌ひ稱名を狹するにし非ず正念工夫相續不斷見性了義の扶けにとならば稱名はさて置き粉挽歌にても唱へ玉ふべし相構へて見性の秘訣を捨て置き專唱の功勳に酬へて佛にならんと計り玉ふべからず其子細は譬へば茲に萬石の大船あらんに思ふ儘に艤いし順風を七合に受て舟歌を張り櫓拍子を揃へて水主楫取心を合せて千尋の浪を押し切り八重の鹽路を漕拔んと毎日勇み進むと云へども纜を切て放たざらん限りは中々浩波を涉る事能はず徒らに日々氣力を勞すといへども元の湊に在らくのみ顧ふに纜の金緒なれども大船を留むるに至て萬夫も及ぶべからず
現代語訳
話頭が正しく称名は誤りだなどと言ってはならない。行く人にもし勇ましく鋭い志がなければ、称名も話頭も、盲人の眼鏡、法師の櫛の蓄えと同じで、結局何の役に立つだろうか。ここに数百人がいて、都へ行くことを願い、それぞれ食糧を包んで出発したとする。道案内がよくなく、誤って辺境の虎や狼が満ちた広野にとどまり、いたずらに毎日杖の長短を争い、旅装の良し悪しを論じ、路銀の多少を計算して、「杖、杖」とばかり唱える者あり、「路銀、路銀」とばかり叫ぶ者あり、ついに一歩も進むことを知らず、空しく歳月を送り、年老い体も疲れて、果ては虎や狼に捕らえられ、辺境の寂しい野の亡霊となり果てるようなものである。ついに都に到ることができない。ただ肝心なのは、杖を選ばず、旅装を論ぜず、一気に進んで退かず、速やかに京都に到ることを賢いとすることである。もし今の人にならって、生きているうちは仏力を頼み、死後に西方へ往こうとするなら、一生のうちに三昧を得て往生を決定することはできない。ましてや真の見性の大事においてはなおさらである。そこで真珠庵主の歌に「行く水に数かくよりもはかなきは仏を頼む人の行く末」とある。とはいえ、このように言うからといって、浄業を嫌い、称名を貶めるのではない。正念の工夫を絶え間なく続け、見性の了義の助けにするためなら、称名はさておき、粉挽き歌でも唱えなさるがよい。決して見性の秘訣を捨て置いて、専唱の功に報われて仏になろうなどと計らってはならない。そのわけは、たとえばここに万石積みの大船があって、思いのままに艤装し、順風を七分に受けて、舟歌を張り上げ、櫓拍子を揃え、水夫や楫取が心を合わせ、千尋の波を押し切り、八重の潮路を漕ぎ抜こうと毎日勇んで進んでも、ともづなを切って放たない限りは、なかなか大波を渡ることができず、いたずらに毎日気力を費やしても、元の港にいるだけである。思うに、ともづなは細い金の緒のようなものでも、大船を留めることにかけては万人の力でも及ばない。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
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遠羅天釜・『遠羅天釜』宗派の争いと杖の喩え須らく知へし話頭も稱名も總に是開佛知見道の助因なる事を開佛知見は諸佛出世の本志なり後來且く方便を設けて往生と名つけ見性と云豈にそれ兩般有んや是等の意を見徹せざる故に禪者は淨業の行者を見ては無智昏愚の凡夫見性の大事有る事を知らず妄りに唱へて白畫に十萬億の刹土を飛過して極樂國土に往んとす恰かも跛鼈の身づくろいして唐土へ飛んとするが如し殊に知らず十萬億土は十惡八邪佛智開明の曉き十惡八邪乍ち氷消して當處即ち極樂國土なる事を知らずと云て輕賤す淨業の行人は禪門の諸子を見ては如來他力の大誓を信せず自力貢高の我慢を主張し大悟して生死を生んとす片腹痛き風情ならずや末代下根の我々が及ぶべき事かは左ながら家鵞の朝鮮へ翔つて鷹と羽節を較べんと羽づくろいするに似たりと慢り狹す法華經の行者は乃ち曰く吾が經の如きは三世の諸佛出世の本懷一切の如來成道の直路なる醍醐上味の妙經を指し置き稱名參禪何の用ぞ剩さへ妙經轉讀の法師を見ては唯有一乘の圓解を發せず諸法實相の知見を開かず只毎日わわさのみ叫びて偏へに春の蛙の畔にわめくに似たりなど舌長き雜言如阿梨樹枝の金文も顧りみざる愚人皆是邪魔外道の所行なりと嗔り恨む殊に知らず法華は阿含方等四味の階漸を籍過し開佛知見の至要を演此故に本文に曰く開佛知見道故出現於世と正に知るべし圓解の煥發を以て出世の本懷とする事を然らば則ち參禪も念佛も及び看經誦經をさへに盡く是見道の輔助にして行路の人の杖の如くなる事を杖に藜杖あり竹杖あり藜竹品な異なりといへども其行を扶くるに至つては一なり言事なかれ藜は可にして竹は不可なりと若其れ行客心屈し體疲れて起事能はずば藜杖竹杖何の用を成にか堪んや參禪も亦然り只肝心は行者勇猛精進の一念子に在らくのみ
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遠羅天釜・『遠羅天釜』船頭と磁石と見性の志見性とは法華眞の面目を見屆る事なり此望なくて種々の事して佛法なりと心得るは船頭もなき大船に幼童多く競ひ乘て何地へ寄べき湊もしらで彼方へ漕が好ぞ此方へ漕が好ぞとて思ひ〱に櫓櫂推たて昨日は東の方へ潮に隨て漕漂ひ今日は西の方へ汐に隨て漕漂ひ終に海中を出る事能ず其船中へ案內しりたる船頭忽ち打乘磁石を見定め楫を把時は一日の內にも思ふ湊へ着事なり船頭とは見性の大志なり磁石とは正法の指南なり楫とは平生の志行なり如何して妙法の湊へは漕入べきぞとならば一切の行人は佛を求め祖を求め涅槃を求め淨土を求めて外へ〱と漕出る風情なり故に轉求れば轉遠く轉尋ぬれば轉遙なり眞正妙法の行者は即ち然らず自己本有の妙法は如何なる物ぞと推究て佛を求めず祖を求めず彼妙法は內に在とやせん外にありとやせん內外中間にありや又靑黃赤白なりや是非〱一回見屆けずは置まじきぞと十二時中一切處に於て間斷なく猛く甲斐〱しき氣槩を推立流石の者が思ひ立たる事を遂ずや置べき仕果ずやあるべきと寢ても覺ても起ても居ても捨をかず晝夜に點檢して或時は打返して恁麼に尋る底是何物ぞ何物ぞと尋る儞は是阿誰と進み入是を獅子人を咬の法と云心の妙法は如何〱とばかり尋ねもて行を韓盧塊を逐と云唯兎にも角にも萬事を放下して無念無心になりて南無妙法蓮經華〱と唱へ給ふべし此外別に有難き法理の老僧が書送るべき事ありと思さば上もなき錯りにてこれあるべく候南無妙法蓮華經延享第四丁卯曆仲冬廿五日沙羅樹下老衲書
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遠羅天釜・『遠羅天釜』無事禅の戒めと遠くない道此上猶又怠り給はずは禪門にいはゆる左手を握て中指を咬等の心地も次第に明かなるべし今時往々に道參禪無益なり話頭了じて什麼かせん即心即佛の直指なれば念の起るをも愁ず念の止たるをも喜ばず山賤の白木の合子只生れ付たる自性の儘なるがよきぞ漆つけねば剝色こそ無れとて日々徒に盲龜の空谷に入が如し去て以て足りとす此は是天竺の自然外道の所見なり恁麼にして佛心向上の宗旨なりと稱せば七村裏の土地も亦掌を撫して大笑すべきぞかし何が故ぞこれ總に長沙の謂ゆる識神を認得する底の凝人ならずや楞嚴に賊を認て子となす終に元淨明の體を知事能はずと呵せられしは此等の部類なり殊にしらず如來は四果の聖者の諸漏已盡し我法の眞理に達し神通具足し名稱普く聞へ給ふをさゑ禪を知りとは許可し給はず故に經曰我弟子大阿羅漢不能解此義唯有大菩薩衆應解此義とも說給へるものを見性の功さへなくて妄に自ら尊と稱す是何の心ぞや人は只兎もあれ萬緣を抛擲して唱るに越たる事はなき事なり去ながら題目ばかりの利益なりと偏執し給ふべからず眞言に限らず淨土に限らず何れも優劣あるべからず淨家の人々は專唱稱名の功力に依て是非〱一回唯心の淨土己身の彌陀の妙相を見屆けでや置べきと決烈の大志を憤起し頭然を救ふが如く間もなく唱へ進みたらんに佛も去此不遠と說給ひたる者をなどや七重の寶樹八功德池の有樣を見屆けずやはあるべき眞言の人々は陀羅尼微妙の威力に依て是非とも阿字不生の大日輪を拜し奉るべしと禪門に於て一則の話頭を擧揚するが如く精進勇猛の憤志を震つて繰たらんに高野大師も不轉肉身と唱へ給ひたる者をなどかは彼金剛不壞の正體を磨出さずや有べき何れも死後を待て利益に預んと打延し給ふは不覺油斷の至り覺束なきものぞかし遠き事とな歎給ひぞ八重の潮路を隔てたる唐土天竺の事を見給へ聞給へと云にこそ遠き事とは歎くべけれ自心を以て自心を見る吾瞳を以て吾瞳を見るより近き事には侍らずや深き事とな恐れ給ひそ九淵の潭の底千尋の海の中なる物を見給へ聞給へと云にこそ深き事とは恐るべけれ吾心を以て吾心を見る吾鼻を以て吾鼻を嗅より近き事には侍らずや世は末世なれども法は更々末世ならず末世なりとて打捨顧み給はずば寳の山に入ながら自ら飢凍を苦しむが如し末世には去事は及ばぬ事とな恐れ給ひぞ遠くは惠心院の僧都近くは赤澤の即往山城の圓悉何れも稱名の力に依て右の素懷を遂給ひたるぞかし法然上人も此望は深くおわしけれども先達なき故に翼短ふして長空に翔らざる心地なりと宣ひき
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遠羅天釜・『遠羅天釜』往生とは見性のことである工夫も亦然り一人有り常に趙州の無の字を擧揚し一人有り常に專唱稱名せんに無の字を擧する人は工夫純ならず志念堅からずんば縱い擧して十年二十年を經るとも何の利益か有ん稱名の行者は打成一片に稱名し純一無雜に專唱して穢土を觀せず淨土を求めず一氣に進んで退かずんば五日三日乃至十日を待ずして三昧發得し佛智煥發して立地に往生の大事を決定せん往生とは何をか云や畢竟見性の一着なり經に曰く我國に生れんと十念唱へたらん人の我國に往生せずんば正覺を取らじと誓ひ玉ふ我が國とは何れの處ぞ目前歷歷たる底の本具の自性に非ずや見性の人に非ずんばたやすく見る事能はじ若然らずんば今時諸方淨業の人人日日にとなへ唱へて千念萬念千億萬念す然ふして往生の大事を決定する底は半箇も亦無し知らず無量壽尊正覺を取る事を廢し玉はんか殊に知らず一念直に是往生極樂國豈に十聲を待んや此故に佛の宣玉はく勇猛の衆生の爲には成佛一念に在り懈怠の衆生の爲には涅槃三祇に亘ると說玉へり若無の字と稱名と兩般の看を成ば須らく知るべし盡く是邪魔外道の種族なる事を悲む所は今時淨業の行者往往に諸佛の本志を知らず西方に佛在りとのみ信じて西方は自己の心源なりと云事を知らず念佛の功課に依て虚空を飛過して死後西方へ行んとのみ覺悟す一生苦吟して往生の素懷を遂る事能ばず殊に知らず十方佛土中唯有一乘法なる事を
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遠羅天釜・『遠羅天釜』白隠の自述と二兎を追う戒め大凡世尊一代五千餘卷の金文有つて頓漸秘密不定の妙義を說き演べ玉ひたれども畢竟此の見性の大事を出ず故へに經に曰く唯此一事實餘二卽非眞と去る程に三世古今の間に見性せざるの佛祖なく見性せざるの賢聖は必定決定無き事なり山野七八歲より心を佛理に傾け十五歲の時出家十九歲にして行脚廿四歲にして初めて此の見性の大事に搔著す其後叢林を經普ねく諸善知識の門閫に跨がり博く諸經論を窺がひ略三敎の經典を探り及び諸子百家をさへに若し一法の自性の法門に超過せる有らば莊老列の道といへども必らず信受し推し弘めんと誓ひ侍りき今年六十五歲に到つて終ひに見性の大事に過たる法理を見ず左も侍らずば何しに妄りに紙墨を費やして覺へも無き事を書付け高覽に入れ侍るべきや只返す返すも見性の助けに便りよく侍へらば絶へずりも無く唱へ進みて一心不亂の田地に到り玉はば必定大歡喜の眉を開き玉ふべし若しそれ無の字を打捨て佛名を唱る事は專唱稱名の力らに依て見性分明に直に佛祖の骨髓に徹底する事を得ば是可なり縱ひ見性明白なる事を得ずとも稱名の功力に依て死後には必らず極樂に往生せん是一擧兩得萬全の良策なりとの底意ならば早速稱名の修行を放下し純一に無の字を擧揚し玉ふべし何が故ぞ斯れは是二百年來禪苑を荒廢し眞風を蠹害するの惡風俗杜撰の禪徒鄙俗下賤の邪見解なり夫れ禪宗は抓危が上へにも轉孤危ならん事を要し祖庭は嶮峻が上にも轉嶮峻なるを貴しとす常に要津を把定して凡聖を通ぜす一言を出す則ば三賢魂蕩し四果眼眩す一句を吐く則ば閑神恐れ走り野鬼悲しみ哭す木人の腸たを割き石女の髓を敲く棟梁の質あつて神俊の才を具する底の英伶の學者を見る則んば難透難解難信難入底の話頭を放つて正法眼藏を瞎却し涅槃妙心を攙奪す學者も亦蠱毒の鄕を過るが如く水も亦他の一滴をうけず堅に咬み橫に參じて情量の窟宅を破り智解の窠臼を拔き理盡き詞ば窮まり心死し意消して忽然として凡に非ず聖にあらず佛にあらず魔に非ざる底の奇怪の鈍瞎漢を放出して以て佛祖の深恩を報答す斯の如きの手段を法窟の爪牙と名け奪命の神符と云ふ大ひに上々根機の人に利あり中下の機は閣ひて顧みず淨家は却つて是に反す是れ又敬しつべきの一門なり
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遠羅天釜・『遠羅天釜』疑団は羽翼、禅門に称名なき古如上の大疑現前純一無雜の體裁を聞き及ばれては怪しく恐ろしく氣味わろき事に思し召さるべけれども無量劫來生死の重關を蹈破し十方の如來本覺の內證に徹底する程の目出度き大事なるものを左ばかりの艱辛はあらではあるべきと覺悟是あるべし熟願ふに無の字を參究して大疑現前し大死一番して大歡喜を得る底は數限りも無く是あり名號を唱へて少分の力らを得る底は兩三箇ならでは聞き及ばずなん侍り惠心院の僧都も智德と云ひ信心力と云ひ無の字か麻三斤の話など參究し玉びたらんには自身眞如なる程の事は一月二月乃至一年半年程の中には發明し玉ふべきものを名號誦經の功によりて四十年の精彩を盡し玉ひたるなるべし是唯疑團のをはするとをはせざるとに依れり須らく知るべし疑團は道に進む羽翼なる事を法然上人の如き道德仁義精進勇猛暗中に聖敎を披覽し玉ふに眼の光りを用ひ玉ひける程なれば少し疑團だに在したらんには立地に大事了畢し往生決定し玉ふべきものを豈に索短ふして深泉を汲まざるなど悲歎し玉ふに及ばんや去る程に楊岐黃龍眞淨息耕佛鑑妙喜の諸老をざへに大凡百千億の諸佛名あり百千億の諸神咒あり授與すべく擧揚すべき法門は不足も無き中に特り此無の字を與へて擧揚せしむ豈に長處なからんや願ふに無の字は疑團起り易く名號は疑團起り難き故なるべし然るに禪門に於て專唱稱名往生を希望する事は古へ禪苑凋枯せず眞風未だ地に墜ざりし日は一向に無き事也西天の四七唐土の二三傳燈歷代の祖師南嶽靑原馬祖石頭百丈黃檗南泉長沙臨濟興化南院風穴首山汾陽慈明黃龍眞淨晦堂息耕妙喜及び五家七宗の諸老をざへに梁陳隋唐宋元の間六朝の大宗匠各々孤危の宗風を立して臂に奪命の神符を繫け口に法窟の爪牙を咬鳴して只宗風の地に墜ん事を恐れて晝夜に願輪に答つて屹々として怠る事無し破口にも往生淨土の事を論ぜず悲哉時乎命乎大雅枯て桑間湧き古曲啞して鄭衞震ふ流へて大明の末に至つて雲棲の殊宏なる者あり參玄力ら足らず見道眼暗ふして進むに寂滅の樂みなく退くに生死の恐れあり悲嘆押さへ難く終に遠公蓮社の遺韻を慕つて祖庭孤危の眞修を捨て自ら蓮池大師と稱して彌陀經の疏鈔を造り大ひに主張して後學を引く皷山の元賢永覺大師淨慈要語造つて擊節して輔け佐く此に於て漢土に普く扶桑に溢れて終に救ふ事無きに至る