遠羅天釜 / 『遠羅天釜』金を守る張六と活かす張五
張六旣自得彼金十重包裹尊重保護如懷和珠似持夜光行亦携歸亦携登莫恐盜竊難三十年未曾放心眠恐人窺知絕友避交故爲貧窶人肩掛百綴鶉衣首穿千補烏帽人皆棄吾不顧吾却以此爲幸恐費金盡妻孥亦不養常獨子而往獨子歸常實無人緣處尋舊舍臥求破廟眠終不入客店宿曾無糧糠飽常傍人門戶乞久立不與希歌而已彼金今在此顧左右再三飽覷無人頭弛垢膩破布裹再三推戴解十重包裹顧左右出金示之曰兄拾于今在麼願出紹舊交張五笑曰三十年前別儞不久而打失彼金了也六勃如而熟見張五面且顧吾身曰兄失也吾護也吾護也兄失也失兄者如是尊大也護吾如此貧凍也或張目或擠額板齒咬唇沈吟不休少焉曰護非而窮餓棄是而豐饒乎雖後我亦棄乎願聞棄之之道張五大笑曰儞所拾金而劣黃葉非不能潤身却窮餓其身傷賊其心腸若包黃葉來往不重不須現貧窶住茅舍裏養妻子高枕睡臥而已儞所護所以棄之之道也我所棄所以護之之道也我初得金別儞後行楊州以金輕於黃葉放大買鹽賣鹽不足束其息大買綿絮賣綿不足放其息大買麻絲賣麻絲不足放其息大買粟米蔬果魚肉放人於吳楚獨魏間山海珍水陸美普散聚開大店八九臣商三百人鐘鳴鼎食大凡握鍵入張五門者糟糠榮薪鹽醋酒醬無不闕於此積財巨萬陜陶朱不屑猗頓倉庫廩庾並甕列立求千頃膏腴地買得松杉山梓楠苑數十今占居於此處是所以吾向輕於黃葉棄金之道也六立再拜曰我兄萬歲欽冀無疾病乎兄捨似捨久勸護小人護似護久勸捨捨護瓦勸利害大異寔知入智者手則黃葉亦眞金也落患者手則眞金亦黃葉也自恨三十年惱心肝盡氣力實不立方寸功果放聲哀號
新字:張六既自得彼金十重包裹尊重保護如懐和珠似持夜光行亦携帰亦携登莫恐盗窃難三十年未曽放心眠恐人窺知絶友避交故為貧窶人肩掛百綴鶉衣首穿千補烏帽人皆棄吾不顧吾却以此為幸恐費金尽妻孥亦不養常独子而往独子帰常実無人縁処尋旧舎臥求破廟眠終不入客店宿曽無糧糠飽常傍人門戸乞久立不与希歌而已彼金今在此顧左右再三飽覷無人頭弛垢膩破布裹再三推戴解十重包裹顧左右出金示之曰兄拾于今在麼願出紹旧交張五笑曰三十年前別儞不久而打失彼金了也六勃如而熟見張五面且顧吾身曰兄失也吾護也吾護也兄失也失兄者如是尊大也護吾如此貧凍也或張目或擠額板歯咬唇沈吟不休少焉曰護非而窮餓棄是而豊饒乎雖後我亦棄乎願聞棄之之道張五大笑曰儞所拾金而劣黄葉非不能潤身却窮餓其身傷賊其心腸若包黄葉来往不重不須現貧窶住茅舎裏養妻子高枕睡臥而已儞所護所以棄之之道也我所棄所以護之之道也我初得金別儞後行楊州以金軽於黄葉放大買塩売塩不足束其息大買綿絮売綿不足放其息大買麻糸売麻糸不足放其息大買粟米蔬果魚肉放人於呉楚独魏間山海珍水陸美普散聚開大店八九臣商三百人鐘鳴鼎食大凡握鍵入張五門者糟糠栄薪塩醋酒醬無不闕於此積財巨万陜陶朱不屑猗頓倉庫廩庾並甕列立求千頃膏腴地買得松杉山梓楠苑数十今占居於此処是所以吾向軽於黄葉棄金之道也六立再拝曰我兄万歳欽冀無疾病乎兄捨似捨久勧護小人護似護久勧捨捨護瓦勧利害大異寔知入智者手則黄葉亦真金也落患者手則真金亦黄葉也自恨三十年悩心肝尽気力実不立方寸功果放声哀号
書き下し
張六、旣に彼の金を自得して、十重に包裹し、尊重保護すること、和珠を懷くが如く、夜光を持つに似たり。行くにも亦た携へ、歸るにも亦た携へ、登るにも亦た携へ、盜竊の難を恐れて、三十年、未だ曾て心を放ちて眠らず。人の窺ひ知るを恐れて、友を絕ち交はりを避く。故に貧窶の人と爲り、肩には百綴の鶉衣を掛け、首には千補の烏帽を穿く。人皆吾を棄てて顧みず、吾れ却つて此れを以て幸ひと爲す。金を費やし盡くさんことを恐れて、妻孥をも亦た養はず、常に獨り子にして往き、獨り子にして歸る。常に實に人緣無き處を求め、舊舍に尋ねて臥し、破廟に求めて眠り、終に客店に入りて宿せず、曾て糧糠の飽く無く、常に人の門戶に傍ひて乞ひ、久しく立てども與へられず、希に歌ふのみ。彼の金は今此に在り、と。左右を顧み、再三、飽くまで覷、人無きを知りて、頭の弛める垢膩の破布の裹みを、再三推し戴き、十重の包裹を解き、左右を顧みて金を出だして之を示して曰く、兄の拾ひし于、今在りや。願はくは出だして舊交を紹がん、と。張五、笑ひて曰く、三十年前、儞に別れて久しからずして彼の金を打失し了れり、と。六、勃如として張五の面を熟見し、且つ吾が身を顧みて曰く、兄は失ひ、吾は護る。吾は護り、兄は失ふ。兄を失ふ者、是くの如く尊大なり。吾を護る者、此くの如く貧凍なり、と。或いは目を張り、或いは額を擠め、板齒もて唇を咬み、沈吟して休まず。少焉ありて曰く、護るは非にして窮餓し、棄つるは是にして豐饒なるか。後には我も亦た棄つべきか。願はくは棄つるの道を聞かん、と。張五、大いに笑ひて曰く、儞の拾ひし所の金は、黃葉よりも劣れり。身を潤すこと能はざるのみに非ず、却つて其の身を窮餓せしめ、其の心腸を傷賊す。若し黃葉を包みなば、來往重からず、貧窶を現ずるを須ひず、茅舍の裏に住し、妻子を養ひ、高枕して睡臥するのみ。儞の護る所は、棄つるの道の所以なり。我が棄つる所は、護るの道の所以なり。我、初め金を得て、儞に別れし後、楊州に行き、金を以て黃葉よりも輕しとし、放ちて大いに鹽を買ひ、鹽を賣るも、其の息を束ぬるに足らず。大いに綿絮を買ひ、綿を賣るも、其の息を放つに足らず。大いに麻絲を買ひ、麻絲を賣るも、足らず。大いに粟米・蔬果・魚肉を買ひ、人を吳・楚・獨・魏の間に放ち、山海の珍、水陸の美、普く散じ聚め、大店を開く。八九の臣商、三百人。鐘を鳴らし鼎もて食らふ。大凡そ鍵を握りて張五の門に入る者は、糟糠・榮薪・鹽・醋・酒・醬、此に闕けざる無し。財を積むこと巨萬、陶朱を陜しとし、猗頓をも屑しとせず。倉庫・廩庾は並び、甕は列び立つ。千頃の膏腴の地を求め、松杉の山、梓楠の苑數十を買ひ得て、今、此の處に占居す。是れ吾が向に黃葉よりも輕しとして金を棄つるの道の所以なり、と。六、立ちどころに再拜して曰く、我が兄、萬歲、欽み冀ふ、疾病無からんことを。兄の捨つるは護るに似て久しく護るを勸め、小人の護るは捨つるに似て久しく捨つるを勸む。捨と護と、瓦ひに利害大いに異なる。寔に知る、智者の手に入れば則ち黃葉も亦た眞金なり、患者の手に落つれば則ち眞金も亦た黃葉なることを。自ら恨む、三十年、心肝を惱まし氣力を盡くせども、實に方寸の功を立てざることを、と。果たして聲を放ちて哀號す。
現代語訳
張六は、あの金を手に入れてから、十重に包んで大切に守り、和氏の珠を懐に抱くように、夜光の珠を持つようにして、行くにも携え、帰るにも携え、登るにも携え、盗まれる災難を恐れて、三十年一度も心を緩めて眠ったことがなかった。人に窺い知られるのを恐れて、友を絶ち、交わりを避け、そのため貧しい人になりすまし、肩には百の継ぎのあるぼろ衣を掛け、頭には千の繕いのある烏帽子をかぶっていた。人はみな私を見捨てて顧みなかったが、私はかえってこれを幸いとした。金を使い尽くすのを恐れて、妻子さえ養わず、常に独りで行き、独りで帰り、常にまことに人との縁のない所を求めて、古い家を探して臥し、破れ廟を探して眠り、ついに宿屋には泊まらず、一度も米糠で満腹することもなく、常に人の戸口に寄って乞い、長く立っても与えられず、まれに歌うだけであった。あの金は今ここにあります、と言って、左右を顧み、再三、十分に見回して人のいないのを確かめ、頭の垢にまみれた破れ布の包みを、再三推し戴いて十重の包みを解き、左右を顧みて金を出して示し、言った。「兄上が拾われた金は、今もありますか。どうか出して、旧交を結び直してください」と。張五は笑って言った。「三十年前、お前と別れて間もなく、あの金は失ってしまったよ」と。張六は憤然として張五の顔をつくづくと見、また自分の身を顧みて言った。「兄は失い、私は守った。私は守り、兄は失った。兄が失ってこのように尊大であり、私が守ってこのように貧しく凍えているとは」と。目を見張り、あるいは額にしわを寄せ、歯を食いしばって唇を噛み、うめいて止まなかった。しばらくして言った。「守った者が窮して飢え、捨てた者が豊かに栄えるのですか。この先は私も捨てるべきなのでしょうか。どうか捨てる道を聞かせてください」と。張五は大笑して言った。「お前が拾った金は、黄葉にも劣るものになっている。身を潤すことができないばかりか、かえってその身を飢えさせ、心腸を傷つけ損なっている。もし黄葉を包んでいたなら、往来も重くはなく、貧しい姿を見せる必要もなく、茅屋に住み、妻子を養い、高枕で眠っていられたのだ。お前が守ったことは、すなわち捨てる道である。私が捨てたことは、すなわち守る道である。私は初め金を得てお前と別れた後、揚州へ行き、金を黄葉より軽いものとして放ち、大いに塩を買って売ったが、利息をまとめるには足りなかった。大いに綿を買って売ったが、利息を放つには足りなかった。大いに麻糸を買って売ったが、なお足りなかった。そこで大いに粟米・野菜果物・魚肉を買い、人を呉・楚・獨・魏のあたりに遣わして、山海の珍味、水陸の美味を広く散らし集め、大店を開いた。八、九人の番頭格の商人、三百人の使用人がいる。鐘を鳴らし、鼎で食べるほどの暮らしである。およそ鍵を握って張五の門に入る者は、糟糠・薪・塩・酢・酒・醤に至るまで、ここに欠けるものはない。財を積むこと巨万、陶朱(范蠡)を狭しとし、猗頓をも取るに足りぬとしている。倉庫や穀倉は並び、甕は立ち並ぶ。千頃の肥沃な地を求め、松杉の山、梓楠の苑数十を買い得て、今ここに居を占めている。これが、私が先に金を黄葉より軽いものとして棄てた道の所以である」と。張六は立ったまま再拝して言った。「兄上、万歳。どうか病のありませんように。兄上の捨てることは守ることに似て、久しく守ることを勧め、小人の守ることは捨てることに似て、久しく捨てることを勧めておりました。捨てると守る、その利害は大いに異なります。まことに知りました。智者の手に入れば黄葉もまた真金となり、愚患の者の手に落ちれば真金もまた黄葉となることを。自ら恨むのは、三十年、心肝を悩まし気力を尽くしても、まことに方寸の功も立てなかったことです」と。ついに声を放って哀しみ叫んだ。
解説

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