智囊 / 遠猶・華歆・王朗・下岩院住持
華歆、王朗乘船避難,有一人欲附。歆難之,朗曰:「幸尚寬,何為不可?」後賊追至,王欲舍所攜人,歆曰:「本所以疑,正為此耳?既已納其自托,寧可以急相棄耶?」遂攜拯如初。巴東下岩院主僧,得一青磁碗,攜歸,折花供佛前,明日花滿其中。更置少米,經宿,米亦滿;錢及金銀皆然。自是院中富盛。院主年老,一日過江簡田,懷中取碗擲於中流。弟子驚愕,師曰:「吾死,汝輩寧能謹飭自守乎?棄之,不欲使汝增罪也。」〔出吳淑〈秘閣聞談〉。淑,宋初人。〕沈萬三家有聚寶盆,類此。高皇取試之,無驗,仍還沈。後築京城,復取此盆鎮南門下,因名聚寶門云。
新字:華歆、王朗乗船避難,有一人欲附。歆難之,朗曰:「幸尚寛,何為不可?」後賊追至,王欲舎所攜人,歆曰:「本所以疑,正為此耳?既已納其自托,寧可以急相棄耶?」遂攜拯如初。巴東下岩院主僧,得一青磁碗,攜帰,折花供仏前,明日花満其中。更置少米,経宿,米亦満;銭及金銀皆然。自是院中富盛。院主年老,一日過江簡田,懐中取碗擲於中流。弟子驚愕,師曰:「吾死,汝輩寧能謹飭自守乎?棄之,不欲使汝增罪也。」〔出呉淑〈秘閣聞談〉。淑,宋初人。〕沈万三家有聚宝盆,類此。高皇取試之,無験,仍還沈。後築京城,復取此盆鎮南門下,因名聚宝門云。
書き下し
華歆、王朗、船に乗りて難を避く。一人の附せんと欲する有り。歆之を難しとし、朗曰く、「幸いに尚お寛し、何為れぞ不可なる」と。後に賊追い至り、王は携うる所の人を舎てんと欲す、歆曰く、「本と疑う所以は、正に此の為のみ。既に其の自ら托するを納れしに、寧ぞ急を以て相棄つべけんや」と。遂に携え拯うこと初めの如し。巴東の下岩院の主僧、一つの青磁の碗を得、携え帰りて花を折りて仏前に供す。明日、花は其の中に満つ。更に少しく米を置けば、宿を経て米も亦た満つ。銭及び金銀も皆然り。是より院中は富み盛んなり。院主は年老い、一日、江を過りて田を簡し、懐中より碗を取りて中流に擲つ。弟子驚愕す。師曰く、「吾が死せば、汝輩は寧ぞ能く謹飭して自ら守らんや。之を棄つるは、汝をして罪を増さしめざるを欲すればなり」と。〔呉淑の〈秘閣聞談〉に出づ。淑は宋初の人。〕沈万三の家に聚宝盆有るは、此に類す。高皇取りて之を試すに、験無く、仍お沈に還す。後に京城を築くに、復た此の盆を取りて南門の下に鎮め、因りて聚宝門と名づくと云う。
現代語訳
華歆と王朗が船に乗って難を避けていたとき、乗せてほしいという人がいた。歆はためらったが、朗は「幸いまだ余裕がある。なぜいけないのか」と言った。後に賊が追いついてきたとき、王朗は乗せた人を見捨てようとした。歆は言った。「最初にためらったのは、まさにこのことを恐れたからだ。だが一度その人が身を託すのを受け入れたのだ。急場になったからといって見捨てられようか」。そこで最初のとおり連れて助けた。巴東の下岩院の住持の僧が、青磁の碗を手に入れ、持ち帰って花を折り仏前に供えた。翌日、花が碗いっぱいに満ちていた。さらに米を少し入れると、一晩で米も満ちた。銭や金銀も皆そうなった。それ以来、院は富み栄えた。住持が年老いたある日、川を渡って田を見分けに行き、懐から碗を取り出して川の中流に投げ捨てた。弟子たちは驚いた。師は言った。「私が死んだら、おまえたちは慎んで自分を守っていられるだろうか。これを捨てるのは、おまえたちに罪を重ねさせたくないからだ」。〔呉淑の『秘閣聞談』に出る。淑は宋初の人。〕沈万三の家に聚宝盆があったのは、これに似ている。高皇(朱元璋)が取り寄せて試したが、効き目はなく沈氏に返した。後に京城を築くとき、再びこの盆を取り、南門の下に埋めて鎮めとし、そこから聚宝門と名づけたという。
解説
この章句が説くこと
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