忍経 / 得金不認
張知常在上庠日,家以金十兩附致於公,同舍生因公之出,發篋而取之。學官集同舍檢索,因得其金。公不認,曰:「非吾金也。」同舍生至袖以還公,公知其貧,以半遺之。前輩謂公遣人以金,人所能也。倉卒得金不認,人所不能也。
新字:張知常在上庠日,家以金十両附致於公,同舎生因公之出,発篋而取之。学官集同舎検索,因得其金。公不認,曰:「非吾金也。」同舎生至袖以還公,公知其貧,以半遺之。前輩謂公遣人以金,人所能也。倉卒得金不認,人所不能也。
書き下し
張知常上庠に在りし日、家金十兩を以て公に附致す。同舍生公の出づるに因りて、篋を發きて之を取る。學官同舍を集めて檢索し、因りて其の金を得たり。公認めずして、曰く「吾が金に非ざるなり」と。同舍生袖にして以て公に還すに至る。公其の貧しきを知り、半を以て之に遺る。前輩謂ふ、公の人に遣るに金を以てするは、人の能くする所なり。倉卒に金を得て認めざるは、人の能はざる所なり、と。
現代語訳
張知常が太学(国の最高学府)で学んでいたころ、実家から金十両が送られてきました。同じ宿舎の学生が、公の外出中に箱を開けてそれを盗みました。学官が同室の学生を集めて調べたところ、その金が見つかりました。しかし公はそれを認めず、「私の金ではありません」と言いました。同室の学生は(恥じて)ついに袖に入れて公に返しに来ました。公はその学生が貧しいことを知っていたので、半分を与えました。先輩たちはこう評しました。「人に金を与えることは、誰にでもできる。とっさの場で見つかった金を自分のものだと認めないことは、誰にもできることではない」。
解説
盗まれた金が見つかった瞬間に、自分のものではないと言った張知常の話です。認めれば同室の学生は盗人として処分されます。張知常はとっさにそれを避け、相手が自ら返しに来ると、貧しさを思って半分を与えました。先輩たちが感心したのは、あとで施すことより、その場で認めない判断のほうでした。考える時間がない場面で人を守る選択ができるのは、ふだんから相手の事情を見ていたからでしょう。反射的な一言にこそ、その人の度量が出ます。とっさのときに人を追い詰める言葉が出ないよう、日ごろの心の置き方を整えておきたいものです。
この章句が説くこと
恕度量施しとっさ張知常
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