遠羅天釜 / 『遠羅天釜』旧友の難詰と凶年の修行者
老夫裁此草書畢竊看讀時有一僧在予傍是予舊友僧也讀到法華眞面目處長呼曰師復掃止啼金葉那予勃如曰何謂哉儞以吾草書爲黃葉乎是金也非黃葉矣如此書汲法華本文大意書儞指以爲黃葉非是謗法華者哉誹謗正法罪累無所容懺悔儞指那處乎以爲黃葉耶僧低頭曰今近遠住菴諸子各懷英豪才忘枯淡坐抛軀命修借舊宅潛廢社十年五歲者甘師惡毒苦乳不忍分離者也今歲狂浪洗田園不留粒米民家各欲携妻孥竊往佗方予杳嗟悼已哉鵠林住菴緇侶無一箇留錫禪苑荒蕪不可過之矣近有一僧曰探佗煖慕閙熱朝秦暮楚底庸常下劣族閣不論眞實辨道求透過底舊參上士者一箇不去其精進勇銳十陪前月五箇爲黨十箇結伴此水邊彼林下不食不寢者或五日或十日盡言此是守凶年飢歲佛法格式叢社古實也瘦者如喪考妣人衰者似羅重癎人凍餒困苦鬼神亦可落淚波句亦可合掌今時諸方叢林佛閣高貴僧舍嚴麗二輪並轉四事重備而不顧何心哉在貧困飢凍窮餓交煎巷耳所聞師惡言苦罵口所投佗粟麥粃糠可心底事一滴亦無矣彼亦非所以無所容五尺身軀是今時叢林頭角上士也只各急求透過其餘總不顧者也
新字:老夫裁此草書畢窃看読時有一僧在予傍是予旧友僧也読到法華真面目処長呼曰師復掃止啼金葉那予勃如曰何謂哉儞以吾草書為黄葉乎是金也非黄葉矣如此書汲法華本文大意書儞指以為黄葉非是謗法華者哉誹謗正法罪累無所容懺悔儞指那処乎以為黄葉耶僧低頭曰今近遠住菴諸子各懐英豪才忘枯淡坐抛躯命修借旧宅潜廃社十年五歳者甘師悪毒苦乳不忍分離者也今歳狂浪洗田園不留粒米民家各欲携妻孥窃往佗方予杳嗟悼已哉鵠林住菴緇侶無一箇留錫禅苑荒蕪不可過之矣近有一僧曰探佗煖慕閙熱朝秦暮楚底庸常下劣族閣不論真実弁道求透過底旧参上士者一箇不去其精進勇鋭十陪前月五箇為党十箇結伴此水辺彼林下不食不寝者或五日或十日尽言此是守凶年飢歳仏法格式叢社古実也痩者如喪考妣人衰者似羅重癎人凍餒困苦鬼神亦可落涙波句亦可合掌今時諸方叢林仏閣高貴僧舎厳麗二輪並転四事重備而不顧何心哉在貧困飢凍窮餓交煎巷耳所聞師悪言苦罵口所投佗粟麦粃糠可心底事一滴亦無矣彼亦非所以無所容五尺身躯是今時叢林頭角上士也只各急求透過其余総不顧者也
書き下し
老夫、此の草書を裁し畢り、竊かに看讀する時、一僧有り、予が傍らに在り。是れ予が舊友の僧なり。讀みて法華眞面目の處に到り、長く呼びて曰く、師、復た止啼の金葉を掃ふ那、と。予、勃如として曰く、何をか謂ふや。儞、吾が草書を以て黃葉と爲すか。是れ金なり、黃葉に非ず。此くの如く法華の本文の大意を汲みて書す。儞の指して以て黃葉と爲すは、是れ法華を謗ずる者に非ずや。正法を誹謗する罪累、容るる所無し。懺悔せよ、儞の指すは那の處ぞ。以て黃葉と爲すか、と。僧、頭を低れて曰く、今、近遠の住菴の諸子、各々英豪の才を懷き、枯淡に坐するを忘れ、軀命を抛ちて修す。舊宅を借りて潛かに社を廢し、十年五歲なる者は、師の惡毒苦乳に甘んじ、分離するに忍びざる者なり。今歲、狂浪、田園を洗ひ、粒米を留めず。民家各々妻孥を携へて、竊かに佗方に往かんと欲す。予、杳かに嗟悼す。已んぬるかな。鵠林の住菴の緇侶、一箇の錫を留むる無し。禪苑の荒蕪、之に過ぐべからず、と。近ごろ一僧有りて曰く、佗の煖を探り閙熱を慕ひ、朝には秦、暮には楚なる底の庸常下劣の族は閣きて論ぜず、眞實に辨道して透過を求むる底の舊參の上士は、一箇も去らず。其の精進勇銳、前月に十陪す。五箇、黨を爲し、十箇、伴を結び、此の水邊、彼の林下に、食らはず寢ねず、或いは五日、或いは十日。盡く言ふ、此れは是れ凶年飢歲を守る、佛法の格式、叢社の古實なり、と。瘦せたる者は考妣を喪ふが如く、衰へたる者は重癎に羅れる人に似たり。凍餒困苦、鬼神も亦た淚を落とすべく、波旬も亦た合掌すべし。今時諸方の叢林、佛閣高貴にして僧舍嚴麗、二輪並び轉じ、四事重ねて備はれども顧みざるは、何の心ぞや。貧困飢凍窮餓の交ごも煎るに在りて、巷耳に聞く所は師の惡言苦罵、口に投ぜらるる所は佗の粟麥粃糠、心に可なる底の事は一滴も亦た無し。彼も亦た五尺の身軀を容るる所無きに非ず。是れ今時の叢林の頭角の上士なり。只だ各々急に透過を求めて、其の餘は總べて顧みざる者なり、と。
現代語訳
老夫(私)がこの草稿を書き終え、ひそかに読み返していたとき、私の傍らに一人の僧がいた。私の旧友の僧である。読んで法華の真面目のところに来ると、声を長く上げて言った。「師はまたも、泣く子をなだめる金の葉(実は黄葉)を持ち出すのか」と。私はむっとして言った。「何を言うか。お前は私の草稿を黄葉だと言うのか。これは金であって黄葉ではない。このように法華の本文の大意を汲んで書いたのだ。お前がこれを黄葉だと指すのは、法華を謗る者ではないか。正法を誹謗する罪の積み重ねは、容れる所がない。懺悔せよ。お前が指すのはどこだ。これを黄葉だと言うのか」と。僧は頭を垂れて言った。「いま、近くや遠くの庵に住む諸子は、それぞれ英豪の才を抱きながら、枯淡に坐することを忘れ、身命を投げ打って修行しています。古い家を借りて、ひそかに世を離れ、十年、五年と修行する者は、師の悪毒で苦い乳にも甘んじ、離れるに忍びない者たちです。今年、荒波が田畑を洗い、一粒の米も残りませんでした。民家はそれぞれ妻子を連れて、ひそかに他所へ去ろうとしています。私は深く嘆き悼みました。どうしようもありません。鵠林のあたりの庵に住む僧は、一人として錫を留める者がなく、禅苑の荒れ果てることは、これに過ぎるものはありません」と。「近ごろ、ある僧が言うには、他所の暖かさを探り、にぎわいを慕い、朝は秦、夕は楚と渡り歩く凡庸下劣の輩はさておき、真実に弁道して透過を求める古参の上士は、一人も去りません。その精進勇猛は、先月の十倍です。五人で徒党を組み、十人で連れ立ち、こちらの水辺、あちらの林の下で、食わず眠らず、あるいは五日、あるいは十日。みな言います、これは凶年飢饉の年を守る、仏法の格式、叢林の古来の定めである、と。痩せた者は親の喪に服するようで、衰えた者は重い癎病にかかった人のようです。凍え飢えて苦しむ姿は、鬼神も涙を落とし、波旬(魔王)も合掌するほどです。いま諸方の叢林は、仏閣が高貴で僧舎は壮麗、二輪を並び転じ、四事(衣食住薬)を重ねて備えながら、これを顧みないのは、どういう心でしょうか。貧困・飢え・凍え・窮乏に代わる代わる責められ、耳に聞くのは師の悪言苦罵、口に投じられるのは粟や麦の粃・糠で、心にかなうことは一滴もありません。彼らもまた、五尺の身を置く所がないわけではありません。これこそ今の叢林の頭角を現す上士です。ただそれぞれ急いで透過を求めて、その余はすべて顧みない者たちです」と。
解説

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