遠羅天釜 / 『遠羅天釜』四十年の工夫と名利への戒め
老僧十三歲にして此事ある事を信じ十六歲にして娘生の面目を打破し十九歲にして出家三十五歲にして此山に遯居す今年六十五に向とす中間四十年萬事を放下し世緣を杜絶し專一に相守て漸く五六年來眞箇正念工夫の相續は得たりと覺ゑるぞ檀那施主に輕薄追從し利養名聞を希望貪求しながら參禪工夫せんとは寔に片腹痛き事なり往々に師學ともに常住の潤澤を榮耀とし多衆閙熱を宗風とし辨才、利口を智慧と思ひ衣食の結搆を佛道に充つ尊大美麗を道德とし人の信仰を法成就の時なりとす悲みても尙悲むべきは得難き人身を名聞の奴婢に責使ひ上もなき佛心をば妄緣の塵埃に吹埋ませて此の招請彼この供養には似合ぬ綾羅絹帛を惜げもなく着飾り得もせぬ禪道佛法を會釋もなく說散し無智の白衣に對しては孔明子房か辯口を逞ふし苦汗の財施を掠め取には目連鶖子の神通を得たり暫時の名利を偸み求めて因果を信せず報應を恐れず臘月三十日孤燈獨照半生半死の際に到つて泣うめき七顚倒八狂亂手脚の置處なくあがき死にして弟子門徒の面ぶせになり給はんは違ひはあるまじきぞ今の人々の心ばゑにて禪道修行の人といはゞ何國の誰か佛祖ならざるもの有べきぞ不思議の因緣にてかゝる物すごき處に來りて一夏をも明し給ふ者を何しに惡き事敎へ申すべきや世間は知ず老僧が破屋の內には甘く心易き佛法はなき事なれぞ只兎にも角にも修行者は吾身を高ぶり吾身を重んじ吾身を贔負する程惡き事はなき事なるぞや
新字:老僧十三歳にして此事ある事を信じ十六歳にして娘生の面目を打破し十九歳にして出家三十五歳にして此山に遯居す今年六十五に向とす中間四十年万事を放下し世縁を杜絶し専一に相守て漸く五六年来真箇正念工夫の相続は得たりと覚ゑるぞ檀那施主に軽薄追従し利養名聞を希望貪求しながら参禅工夫せんとは寔に片腹痛き事なり往々に師学ともに常住の潤沢を栄耀とし多衆閙熱を宗風とし弁才、利口を智慧と思ひ衣食の結搆を仏道に充つ尊大美麗を道徳とし人の信仰を法成就の時なりとす悲みても尚悲むべきは得難き人身を名聞の奴婢に責使ひ上もなき仏心をば妄縁の塵埃に吹埋ませて此の招請彼この供養には似合ぬ綾羅絹帛を惜げもなく着飾り得もせぬ禅道仏法を会釈もなく説散し無智の白衣に対しては孔明子房か弁口を逞ふし苦汗の財施を掠め取には目連鶖子の神通を得たり暫時の名利を偸み求めて因果を信せず報応を恐れず臘月三十日孤灯独照半生半死の際に到つて泣うめき七顛倒八狂乱手脚の置処なくあがき死にして弟子門徒の面ぶせになり給はんは違ひはあるまじきぞ今の人々の心ばゑにて禅道修行の人といはゞ何国の誰か仏祖ならざるもの有べきぞ不思議の因縁にてかゝる物すごき処に来りて一夏をも明し給ふ者を何しに悪き事教へ申すべきや世間は知ず老僧が破屋の内には甘く心易き仏法はなき事なれぞ只兎にも角にも修行者は吾身を高ぶり吾身を重んじ吾身を贔負する程悪き事はなき事なるぞや
書き下し
老僧十三歲にして此事ある事を信じ十六歲にして娘生の面目を打破し十九歲にして出家三十五歲にして此山に遯居す今年六十五に向とす中間四十年萬事を放下し世緣を杜絶し專一に相守て漸く五六年來眞箇正念工夫の相續は得たりと覺ゑるぞ檀那施主に輕薄追從し利養名聞を希望貪求しながら參禪工夫せんとは寔に片腹痛き事なり往々に師學ともに常住の潤澤を榮耀とし多衆閙熱を宗風とし辨才、利口を智慧と思ひ衣食の結搆を佛道に充つ尊大美麗を道德とし人の信仰を法成就の時なりとす悲みても尙悲むべきは得難き人身を名聞の奴婢に責使ひ上もなき佛心をば妄緣の塵埃に吹埋ませて此の招請彼この供養には似合ぬ綾羅絹帛を惜げもなく着飾り得もせぬ禪道佛法を會釋もなく說散し無智の白衣に對しては孔明子房か辯口を逞ふし苦汗の財施を掠め取には目連鶖子の神通を得たり暫時の名利を偸み求めて因果を信せず報應を恐れず臘月三十日孤燈獨照半生半死の際に到つて泣うめき七顚倒八狂亂手脚の置處なくあがき死にして弟子門徒の面ぶせになり給はんは違ひはあるまじきぞ今の人々の心ばゑにて禪道修行の人といはゞ何國の誰か佛祖ならざるもの有べきぞ不思議の因緣にてかゝる物すごき處に來りて一夏をも明し給ふ者を何しに惡き事敎へ申すべきや世間は知ず老僧が破屋の內には甘く心易き佛法はなき事なれぞ只兎にも角にも修行者は吾身を高ぶり吾身を重んじ吾身を贔負する程惡き事はなき事なるぞや
現代語訳
老僧は十三歳で、この事のあることを信じ、十六歳で生まれながらの面目を打ち破り、十九歳で出家し、三十五歳でこの山に隠れ住んだ。今年六十五になろうとしている。その間四十年、万事を放ち捨て、世の縁を絶ち、ひたすらこの工夫を守って、ようやくここ五、六年来、まことの正念工夫の持続を得たと思える。ところが、檀那や施主に軽薄に追従し、利益や名声を望み貪りながら、参禅の工夫をしようとは、まことに片腹痛いことである。このごろは、師も弟子もともに、寺の暮らしの潤いを栄耀とし、多くの人の賑わいを宗風とし、弁舌の巧みさを智慧と思い、衣食の立派さを仏道に当て、尊大で華美なことを道徳とし、人から信仰されるのを法が成就した時だとしている。悲しんでもなお悲しむべきは、得がたい人の身を名聞の奴婢として使役し、この上ない仏心を迷いの縁の塵埃に吹き埋めさせて、あちらの招請、こちらの供養に、似合わぬ綾や絹をおしげもなく着飾り、会得してもいない禅道仏法を遠慮なく説き散らし、無智の俗人に対しては諸葛孔明や張良のような弁舌をふるい、苦労の汗の施しを掠め取るには、目連や舎利弗の神通を得たかのようである。束の間の名利を盗み求めて、因果を信じず、報いを恐れず、臘月三十日、孤灯に独り照らされて、半ば生き半ば死ぬ間際になって、泣きうめき、七転八倒、八狂乱、手足の置き所もなくあがき死んで、弟子や門徒の面汚しになられることは、間違いないのだ。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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