遠羅天釜 / 『遠羅天釜』験者の呻きと一念成仏
又或眞言家の驗者なりと聞へ給ふ法印の御房の重き傷寒を惱給ひて夜晝の分ちもをわさでうなりごめき給ひけるを弟子の小法師の小點氣なるが打聽てあの御房の日頃の氣情にも似給はず吾等を呵責し給へる時の言葉にも似給はであのうなり叫び給ふ事よとて打笑ひければ上人も打笑てやをれ小法師よ三日巳前のうめきは叫喚泥犁の苦痛三日巳後のうめきは最大微妙の法音なるぞ慢り笑ひて誹謗正法の御罸を蒙るべきぞと云はれければ小法師かへして左許り早く手の裏翻す如くに成佛ばし仕給へるに社と申しければさればとよ佛も懈怠の衆生の爲には涅槃三祇にわたり勇猛の衆生の爲には成佛一念に在と說給へるぞや去し頃病苦の堪難くて次第に性體もなく惱み行まゝに來生の業苦を恐れ生前の行相を悔て泣明しけるが思ひ直して大日不二の觀念に入目を閉齒を切りて間もなく勤め進みたれば貴やないつしか病惱は搔拭ひたる如く打消病臥たる、形骸は瑜伽微妙の寶印と現じ圖らずも金剛不壞の正體を成就し此うなりごめく聲は三密不思議の大陀羅尼と冥合し寢たる床は毘盧本有の大道場と打成四重圓壇の大漫荼羅は心上に嚴然として目前に粲爛たり嬉しや忽ち有情非情同時成道草木國土悉皆成佛の素懷をとげたるぞや小法師原が聞知べき事にしあらねどかく有難き惠日に逢たる目出度さに物語りはするぞかしとて嬉し泣に打泣〱語られけるが後には道業比類もなくをはしける山其外異國にも殊宏の湯厄蒙山の痢疾何れも病に依て道心進み給ひける人々は間多きぞかし和僧達は左許りの小病にけぎたなく云甲斐もなき有樣かななどかは昔しの人々にも劣るべきや只今死なんずとも正念工夫目出度て死に給んには眞の佛祖の兒孫たるべきぞかくいへばとて重病受んを待て參禪工夫せよとにはあらずけなげに健かならんずる人々も日夜に怠らず彼人々の如く用心したらんには十人は十人百人は百人ながら學道成就せざる事はあるまじきぞ
新字:又或真言家の験者なりと聞へ給ふ法印の御房の重き傷寒を悩給ひて夜昼の分ちもをわさでうなりごめき給ひけるを弟子の小法師の小点気なるが打聴てあの御房の日頃の気情にも似給はず吾等を呵責し給へる時の言葉にも似給はであのうなり叫び給ふ事よとて打笑ひければ上人も打笑てやをれ小法師よ三日巳前のうめきは叫喚泥犁の苦痛三日巳後のうめきは最大微妙の法音なるぞ慢り笑ひて誹謗正法の御罰を蒙るべきぞと云はれければ小法師かへして左許り早く手の裏翻す如くに成仏ばし仕給へるに社と申しければさればとよ仏も懈怠の衆生の為には涅槃三祇にわたり勇猛の衆生の為には成仏一念に在と説給へるぞや去し頃病苦の堪難くて次第に性体もなく悩み行まゝに来生の業苦を恐れ生前の行相を悔て泣明しけるが思ひ直して大日不二の観念に入目を閉歯を切りて間もなく勤め進みたれば貴やないつしか病悩は搔拭ひたる如く打消病臥たる、形骸は瑜伽微妙の宝印と現じ図らずも金剛不壊の正体を成就し此うなりごめく声は三密不思議の大陀羅尼と冥合し寝たる床は毘盧本有の大道場と打成四重円壇の大漫荼羅は心上に厳然として目前に粲爛たり嬉しや忽ち有情非情同時成道草木国土悉皆成仏の素懐をとげたるぞや小法師原が聞知べき事にしあらねどかく有難き恵日に逢たる目出度さに物語りはするぞかしとて嬉し泣に打泣〱語られけるが後には道業比類もなくをはしける山其外異国にも殊宏の湯厄蒙山の痢疾何れも病に依て道心進み給ひける人々は間多きぞかし和僧達は左許りの小病にけぎたなく云甲斐もなき有様かななどかは昔しの人々にも劣るべきや只今死なんずとも正念工夫目出度て死に給んには真の仏祖の児孫たるべきぞかくいへばとて重病受んを待て参禅工夫せよとにはあらずけなげに健かならんずる人々も日夜に怠らず彼人々の如く用心したらんには十人は十人百人は百人ながら学道成就せざる事はあるまじきぞ
書き下し
又或眞言家の驗者なりと聞へ給ふ法印の御房の重き傷寒を惱給ひて夜晝の分ちもをわさでうなりごめき給ひけるを弟子の小法師の小點氣なるが打聽てあの御房の日頃の氣情にも似給はず吾等を呵責し給へる時の言葉にも似給はであのうなり叫び給ふ事よとて打笑ひければ上人も打笑てやをれ小法師よ三日巳前のうめきは叫喚泥犁の苦痛三日巳後のうめきは最大微妙の法音なるぞ慢り笑ひて誹謗正法の御罸を蒙るべきぞと云はれければ小法師かへして左許り早く手の裏翻す如くに成佛ばし仕給へるに社と申しければさればとよ佛も懈怠の衆生の爲には涅槃三祇にわたり勇猛の衆生の爲には成佛一念に在と說給へるぞや去し頃病苦の堪難くて次第に性體もなく惱み行まゝに來生の業苦を恐れ生前の行相を悔て泣明しけるが思ひ直して大日不二の觀念に入目を閉齒を切りて間もなく勤め進みたれば貴やないつしか病惱は搔拭ひたる如く打消病臥たる、形骸は瑜伽微妙の寶印と現じ圖らずも金剛不壞の正體を成就し此うなりごめく聲は三密不思議の大陀羅尼と冥合し寢たる床は毘盧本有の大道場と打成四重圓壇の大漫荼羅は心上に嚴然として目前に粲爛たり嬉しや忽ち有情非情同時成道草木國土悉皆成佛の素懷をとげたるぞや小法師原が聞知べき事にしあらねどかく有難き惠日に逢たる目出度さに物語りはするぞかしとて嬉し泣に打泣〱語られけるが後には道業比類もなくをはしける山其外異國にも殊宏の湯厄蒙山の痢疾何れも病に依て道心進み給ひける人々は間多きぞかし和僧達は左許りの小病にけぎたなく云甲斐もなき有樣かななどかは昔しの人々にも劣るべきや只今死なんずとも正念工夫目出度て死に給んには眞の佛祖の兒孫たるべきぞかくいへばとて重病受んを待て參禪工夫せよとにはあらずけなげに健かならんずる人々も日夜に怠らず彼人々の如く用心したらんには十人は十人百人は百人ながら學道成就せざる事はあるまじきぞ
現代語訳
またある真言宗の験者として聞こえた法印の御房が、重い傷寒を患い、昼夜の区別もなくうなり呻いておられたのを、弟子の小法師の小賢しい者が聞いて、あの御房が、日頃の気性にも似ず、私たちを叱りつけられた時の言葉にも似ず、あのようにうなり叫ばれることよ、と笑ったところ、上人も笑って、これ小法師よ、三日前の呻きは叫喚地獄の苦痛、三日後の呻きは最も微妙な法の音である。侮り笑って、正法を誹謗した罰を受けるぞ、と言われた。小法師が言い返して、そのように早く、手のひらを返すように成仏なさったとは、と申すと、そうなのだ。仏も、怠け者の衆生のためには、涅槃に至るまで三阿僧祇劫を要すると説き、勇猛な衆生のためには、成仏は一念にあると説かれているのだ。先ごろ、病苦が堪え難く、次第に正気もなくなるほど悩むままに、来世の業苦を恐れ、生前の行いを悔いて泣き明かしたが、思い直して大日不二の観念に入り、目を閉じ歯を食いしばって間もなく励み進めたところ、ありがたいことに、いつしか病苦はかき拭ったように消え、病み臥した体は瑜伽の微妙な宝印と現れ、思いがけず金剛不壊の正体を成就し、このうなる声は三密不思議の大陀羅尼と冥合し、寝た床は毘盧遮那本有の大道場となり、四重円壇の大曼荼羅は心の上に厳然として、目の前にきらびやかに現れた。嬉しや、たちまち有情非情が同時に成道し、草木国土ことごとく成仏するという年来の願いを遂げたのだ。小法師どもの理解できることではないが、このように有り難い恵みの日に逢えた嬉しさに語るのだ、と言って、嬉し泣きに泣き泣き語られたが、後には道業は比類なくおいでになったという。そのほか異国でも、殊宏の湯の災難や、蒙山の痢病など、いずれも病によって道心を進められた人々は多い。お前たち僧は、これしきの小病に見苦しく、言いようのない有様ではないか。どうして昔の人々に劣ることがあろうか。今すぐ死ぬとしても、正念の工夫がめでたくて死ぬならば、真の仏祖の子孫である。こう言ったからといって、重病を受けるのを待って参禅工夫せよというのではない。健やかなうちから昼夜怠らず、あの人々のように心がけたなら、十人は十人、百人は百人とも、学道を成就しないことはあるまい。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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