遠羅天釜 / 『遠羅天釜』病床を深山とする工夫
寔に妄念は虎狼より恐ろしきものなり虎狼は戸牖さしたる內ゑは入事は叶はぬものなり妄念の狼は坐禪靜慮の床の上へ七條九條の袈裟の中ゑも亂れ入奴なり或病人はほろ〱と打泣て吾等程薄福なる者はなきぞとよ偶に受難き人身を受貴き僧形を得ながら辨道の功をも積ず佛道の光をも見ずして朽果んずる事の口惜さよなど泣口說たるは殊勝に愛らしけれども是も懈怠油斷の大不覺者のなれの果なるべし大凡辨道工夫の爲には病中程よき事はこれあるべからず古來賢達の人々の嚴谷に身をよせ深山に形を隱し給ふ事は世緣を遠ざけ塵務を捨離れて道業純一にはげみ勤んが爲なり然るに病中を除ひて別の山谷なく病中を去て外の深山はあるべからず病中の人は托鉢作務の勞倦を遁れ使僧知客の應對も省き廣衆雜話の喧噴もなく僧堂の治亂を知らず常住の豐儉を見ず死活は天運に投かけ饑寒は看病の人に打任せて只狗猫など惱伏たる體にて何の合點もなく何の了簡もなく只一向に蒲團上の事を忘却せず自己の正念を打失せざるを第一として生も亦夢幻死も亦夢幻天堂地獄穢土淨刹悉く抛擲下して一念未興己前萬機不到の處に向つて是何の道理ぞと時々に點檢して正念工夫の相續を肝心とせばいつしか生死の境を打越悟迷の際を超出して金剛不壞の正體を成就せん事これ眞箇不老不死の神仙ならずや人界に出生したる思ひ出ならずや圓顱方袍の威德ならずや佛道微妙の靈驗ならずや眞正參禪の人の前には吉凶榮辱逆緣順緣盡く道業を助る糧となり懈怠惰弱の人の前には假初の塵事芥子許りの病氣も夥しき障りに仕なして果は宿業のわざなり般若に緣こそなけれなど種々の道理をつけて遠からぬ般若を遠ざけ根もなき業障を種そだてゝ一生を錯る程の苦々しく情なき事はなきぞとよ
新字:寔に妄念は虎狼より恐ろしきものなり虎狼は戸牖さしたる内ゑは入事は叶はぬものなり妄念の狼は坐禅静慮の床の上へ七条九条の袈裟の中ゑも乱れ入奴なり或病人はほろ〱と打泣て吾等程薄福なる者はなきぞとよ偶に受難き人身を受貴き僧形を得ながら弁道の功をも積ず仏道の光をも見ずして朽果んずる事の口惜さよなど泣口説たるは殊勝に愛らしけれども是も懈怠油断の大不覚者のなれの果なるべし大凡弁道工夫の為には病中程よき事はこれあるべからず古来賢達の人々の厳谷に身をよせ深山に形を隠し給ふ事は世縁を遠ざけ塵務を捨離れて道業純一にはげみ勤んが為なり然るに病中を除ひて別の山谷なく病中を去て外の深山はあるべからず病中の人は托鉢作務の労倦を遁れ使僧知客の応対も省き広衆雑話の喧噴もなく僧堂の治乱を知らず常住の豊倹を見ず死活は天運に投かけ饑寒は看病の人に打任せて只狗猫など悩伏たる体にて何の合点もなく何の了簡もなく只一向に蒲団上の事を忘却せず自己の正念を打失せざるを第一として生も亦夢幻死も亦夢幻天堂地獄穢土浄刹悉く抛擲下して一念未興己前万機不到の処に向つて是何の道理ぞと時々に点検して正念工夫の相続を肝心とせばいつしか生死の境を打越悟迷の際を超出して金剛不壊の正体を成就せん事これ真箇不老不死の神仙ならずや人界に出生したる思ひ出ならずや円顱方袍の威徳ならずや仏道微妙の霊験ならずや真正参禅の人の前には吉凶栄辱逆縁順縁尽く道業を助る糧となり懈怠惰弱の人の前には仮初の塵事芥子許りの病気も夥しき障りに仕なして果は宿業のわざなり般若に縁こそなけれなど種々の道理をつけて遠からぬ般若を遠ざけ根もなき業障を種そだてゝ一生を錯る程の苦々しく情なき事はなきぞとよ
書き下し
寔に妄念は虎狼より恐ろしきものなり虎狼は戸牖さしたる內ゑは入事は叶はぬものなり妄念の狼は坐禪靜慮の床の上へ七條九條の袈裟の中ゑも亂れ入奴なり或病人はほろ〱と打泣て吾等程薄福なる者はなきぞとよ偶に受難き人身を受貴き僧形を得ながら辨道の功をも積ず佛道の光をも見ずして朽果んずる事の口惜さよなど泣口說たるは殊勝に愛らしけれども是も懈怠油斷の大不覺者のなれの果なるべし大凡辨道工夫の爲には病中程よき事はこれあるべからず古來賢達の人々の嚴谷に身をよせ深山に形を隱し給ふ事は世緣を遠ざけ塵務を捨離れて道業純一にはげみ勤んが爲なり然るに病中を除ひて別の山谷なく病中を去て外の深山はあるべからず病中の人は托鉢作務の勞倦を遁れ使僧知客の應對も省き廣衆雜話の喧噴もなく僧堂の治亂を知らず常住の豐儉を見ず死活は天運に投かけ饑寒は看病の人に打任せて只狗猫など惱伏たる體にて何の合點もなく何の了簡もなく只一向に蒲團上の事を忘却せず自己の正念を打失せざるを第一として生も亦夢幻死も亦夢幻天堂地獄穢土淨刹悉く抛擲下して一念未興己前萬機不到の處に向つて是何の道理ぞと時々に點檢して正念工夫の相續を肝心とせばいつしか生死の境を打越悟迷の際を超出して金剛不壞の正體を成就せん事これ眞箇不老不死の神仙ならずや人界に出生したる思ひ出ならずや圓顱方袍の威德ならずや佛道微妙の靈驗ならずや眞正參禪の人の前には吉凶榮辱逆緣順緣盡く道業を助る糧となり懈怠惰弱の人の前には假初の塵事芥子許りの病氣も夥しき障りに仕なして果は宿業のわざなり般若に緣こそなけれなど種々の道理をつけて遠からぬ般若を遠ざけ根もなき業障を種そだてゝ一生を錯る程の苦々しく情なき事はなきぞとよ
現代語訳
まことに妄念は虎や狼よりも恐ろしいものである。虎狼は戸や窓を閉ざした家の内へは入れないが、妄念の狼は、坐禅静慮の床の上へも、七条九条の袈裟の中へも乱れ入ってくる奴である。ある病人はほろほろと泣いて、私ほど薄福な者はない。せっかく得難い人の身を受け、貴い僧の姿を得ながら、修行の功も積まず、仏道の光も見ずに朽ち果てるのが口惜しい、などと泣き言を言った。殊勝でいじらしくはあるが、これも怠け油断した大うつけ者の成れの果てである。そもそも修行工夫のためには、病中ほど良い機会はない。昔の賢人たちが厳しい谷に身を寄せ、深山に姿を隠したのは、世の縁を遠ざけ、雑事を捨て離れて、道業にひたすら励むためであった。ところが、病中を除いて別の山谷はなく、病中を措いて他に深山はない。病中の人は、托鉢や作務の疲れを免れ、使僧や接客の応対も省かれ、大勢の雑談の喧噪もなく、僧堂の治乱も知らず、寺の暮らし向きの豊かさ乏しさも見ず、生死は天運に投げ、飢えや寒さは看病の人に任せて、ただ犬や猫が病み伏しているような様子で、何の理屈も思案もなく、ひたすら蒲団の上での工夫を忘れず、自己の正念を失わないことを第一とし、生もまた夢幻、死もまた夢幻、天堂も地獄も、穢土も浄土もことごとく投げ捨てて、一念がまだ起こらない以前、あらゆる働きの及ばないところに向かって、これは何の道理かと折々に点検し、正念工夫の持続を肝心とするなら、いつの間にか生死の境を打ち越え、迷いと悟りの際を超え出て、金剛不壊の正体を成就するであろう。これこそまことの不老不死の神仙ではないか。人間に生まれた甲斐ではないか。出家の威徳ではないか。仏道の微妙な霊験ではないか。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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