遠羅天釜 / 『遠羅天釜』黄金を届ける男の譬え
譬ば茲に何百兩の黃金あらんを人をして守護せしめんに室を閉扉を鎖して其傍らに坐し守て人にも取られず奪れずて中々氣力有んずる者の手柄とも働きとも申さるべき事にし非ず是を二乘聲聞の自了偏枯の修行に比す又一人有り群盜蜂の如くに起り凶黨蟻の如くに馳廻らんず中をかの金を持して何某の處まで贈り屆けよと命ぜられたらんに彼男膽氣あつて大劍を挾み脛高く褰げかの金を取て棒頭に突掛け打傾て一交もせで彼所へ贈り屆けて少しも恐るゝ氣色なくんば天晴甲斐〱しき働らき大丈夫の氣象とも稱嘆すべき事なりこれを圓頓菩薩の上求菩提下化衆生の眞修に比す何百兩の黃金とは正念工夫堅固不退の大志を云へり群盜蜂の如く凶黨蟻の如しとは五蓋十纏五欲八邪の妄念を云へり彼男とは眞正參禪圓頓究竟の上士を云へり何某の處とは常樂我淨の四德具足大寂彼岸の寶所を云へり所以に言ふ眞正參玄の衲子聲色堆裏に向つて坐臥すべしと往々に古の二乘聲聞なりとて輕しむれども見道の力も智德の光りも今の世の人々の及ぶべき事にし侍らず只修行の趣向あしく空閑の處をのみ好みて都で菩薩の威儀を知らず佛國土の因緣なき故に如來は疥癩野干の身に比し淨名は焦芽敗種の部類なりと呵責し玉ひき三祖大師の宣はく欲趣一乘勿惡六塵と是又六塵を數奇好めとには非ず水鳥の水に入ども少しも翼の濕ざる如く平生六塵の上に於て取らず捨てずして間斷なく正念工夫相續せよとの心にて侍り若又一向に六塵を避八風を恐れば覺へず二乘の臼窠に墮して永く佛道を成せじとなり永嘉大師は在欲行禪知見力火裏生蓮終不壞と宣ひき是亦五欲に耽着せよとの心には侍ず五欲六塵の上へに在ても蓮の泥土に汚されざるが如く純一に受用せよとの心にて侍り
新字:譬ば茲に何百両の黄金あらんを人をして守護せしめんに室を閉扉を鎖して其傍らに坐し守て人にも取られず奪れずて中々気力有んずる者の手柄とも働きとも申さるべき事にし非ず是を二乗声聞の自了偏枯の修行に比す又一人有り群盗蜂の如くに起り凶党蟻の如くに馳廻らんず中をかの金を持して何某の処まで贈り届けよと命ぜられたらんに彼男胆気あつて大剣を挟み脛高く褰げかの金を取て棒頭に突掛け打傾て一交もせで彼所へ贈り届けて少しも恐るゝ気色なくんば天晴甲斐〱しき働らき大丈夫の気象とも称嘆すべき事なりこれを円頓菩薩の上求菩提下化衆生の真修に比す何百両の黄金とは正念工夫堅固不退の大志を云へり群盗蜂の如く凶党蟻の如しとは五蓋十纏五欲八邪の妄念を云へり彼男とは真正参禅円頓究竟の上士を云へり何某の処とは常楽我浄の四徳具足大寂彼岸の宝所を云へり所以に言ふ真正参玄の衲子声色堆裏に向つて坐臥すべしと往々に古の二乗声聞なりとて軽しむれども見道の力も智徳の光りも今の世の人々の及ぶべき事にし侍らず只修行の趣向あしく空閑の処をのみ好みて都で菩薩の威儀を知らず仏国土の因縁なき故に如来は疥癩野干の身に比し浄名は焦芽敗種の部類なりと呵責し玉ひき三祖大師の宣はく欲趣一乗勿悪六塵と是又六塵を数奇好めとには非ず水鳥の水に入ども少しも翼の湿ざる如く平生六塵の上に於て取らず捨てずして間断なく正念工夫相続せよとの心にて侍り若又一向に六塵を避八風を恐れば覚へず二乗の臼窠に堕して永く仏道を成せじとなり永嘉大師は在欲行禅知見力火裏生蓮終不壊と宣ひき是亦五欲に耽着せよとの心には侍ず五欲六塵の上へに在ても蓮の泥土に汚されざるが如く純一に受用せよとの心にて侍り
書き下し
譬ば茲に何百兩の黃金あらんを人をして守護せしめんに室を閉扉を鎖して其傍らに坐し守て人にも取られず奪れずて中々氣力有んずる者の手柄とも働きとも申さるべき事にし非ず是を二乘聲聞の自了偏枯の修行に比す又一人有り群盜蜂の如くに起り凶黨蟻の如くに馳廻らんず中をかの金を持して何某の處まで贈り屆けよと命ぜられたらんに彼男膽氣あつて大劍を挾み脛高く褰げかの金を取て棒頭に突掛け打傾て一交もせで彼所へ贈り屆けて少しも恐るゝ氣色なくんば天晴甲斐〱しき働らき大丈夫の氣象とも稱嘆すべき事なりこれを圓頓菩薩の上求菩提下化衆生の眞修に比す何百兩の黃金とは正念工夫堅固不退の大志を云へり群盜蜂の如く凶黨蟻の如しとは五蓋十纏五欲八邪の妄念を云へり彼男とは眞正參禪圓頓究竟の上士を云へり何某の處とは常樂我淨の四德具足大寂彼岸の寶所を云へり所以に言ふ眞正參玄の衲子聲色堆裏に向つて坐臥すべしと往々に古の二乘聲聞なりとて輕しむれども見道の力も智德の光りも今の世の人々の及ぶべき事にし侍らず只修行の趣向あしく空閑の處をのみ好みて都で菩薩の威儀を知らず佛國土の因緣なき故に如來は疥癩野干の身に比し淨名は焦芽敗種の部類なりと呵責し玉ひき三祖大師の宣はく欲趣一乘勿惡六塵と是又六塵を數奇好めとには非ず水鳥の水に入ども少しも翼の濕ざる如く平生六塵の上に於て取らず捨てずして間斷なく正念工夫相續せよとの心にて侍り若又一向に六塵を避八風を恐れば覺へず二乘の臼窠に墮して永く佛道を成せじとなり永嘉大師は在欲行禪知見力火裏生蓮終不壞と宣ひき是亦五欲に耽着せよとの心には侍ず五欲六塵の上へに在ても蓮の泥土に汚されざるが如く純一に受用せよとの心にて侍り
現代語訳
たとえば、ここに何百両もの黄金があって、それを人に守らせるとして、部屋を閉じ扉に鍵をかけ、その傍らに坐って守り、人に取られも奪われもしなかったとしても、それはなかなか気力ある者の手柄とも働きとも言えることではない。これを二乗・声聞の、自分だけ悟って片寄った修行に比べる。また、ここに一人がいて、群盗が蜂のように起こり、凶徒が蟻のように駆け回っている中を、あの金を持ってどこそこの所まで届けよ、と命じられたとしよう。その男が胆力があって大剣を腰に挟み、すねを高くからげ、その金を棒の先に引っかけて担ぎ、一合も交えずにそこへ届けて、少しも恐れるようすがなければ、天晴れ甲斐甲斐しい働きで、大丈夫の気象とたたえるべきことである。これを円頓の菩薩が上は悟りを求め下は衆生を救う、真の修行に比べる。何百両の黄金とは、正念工夫の堅固で退かない大志をいう。群盗が蜂のよう、凶徒が蟻のようとは、五蓋・十纏・五欲・八邪の妄念をいう。あの男とは、真正に参禅する円頓究竟の上士をいう。どこそこの所とは、常楽我浄の四徳を具え、大いに静かな彼岸の宝所をいう。だから、真に玄を参究する僧は、声色の渦の中に向かって坐臥すべきである、と言うのである。往々にして、昔の二乗・声聞だといって軽んじるが、その見道の力も智徳の光も、今の世の人々の及ぶところではない。ただ修行の向け方が悪く、閑静な所ばかりを好んで、まったく菩薩の威儀を知らず、仏国土を築く因縁がないので、如来は彼らを疥癩の野干の身にたとえ、維摩居士は焦げた芽、腐った種の類だと叱責された。三祖大師が言われた「一乗に趣かんと欲するなら、六塵を悪むことなかれ」とは、これも六塵を好んで求めよというのではない。水鳥が水に入っても少しも翼が濡れないように、平生、六塵の上で、取らず捨てずして、絶え間なく正念工夫を続けよ、という意味である。もしひたすら六塵を避け八風を恐れるなら、知らぬ間に二乗の古巣に落ちて、永く仏道を成就できないというのである。永嘉大師は「欲にありて禅を行ずるは、知見の力なり。火中に蓮を生ずれば、ついに壊れず」と言われた。これも五欲に耽り執着せよという意味ではない。五欲六塵の中にあっても、蓮が泥に汚されないように、純一に受け用いよという意味である。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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遠羅天釜・『遠羅天釜』無事禅の戒めと遠くない道此上猶又怠り給はずは禪門にいはゆる左手を握て中指を咬等の心地も次第に明かなるべし今時往々に道參禪無益なり話頭了じて什麼かせん即心即佛の直指なれば念の起るをも愁ず念の止たるをも喜ばず山賤の白木の合子只生れ付たる自性の儘なるがよきぞ漆つけねば剝色こそ無れとて日々徒に盲龜の空谷に入が如し去て以て足りとす此は是天竺の自然外道の所見なり恁麼にして佛心向上の宗旨なりと稱せば七村裏の土地も亦掌を撫して大笑すべきぞかし何が故ぞこれ總に長沙の謂ゆる識神を認得する底の凝人ならずや楞嚴に賊を認て子となす終に元淨明の體を知事能はずと呵せられしは此等の部類なり殊にしらず如來は四果の聖者の諸漏已盡し我法の眞理に達し神通具足し名稱普く聞へ給ふをさゑ禪を知りとは許可し給はず故に經曰我弟子大阿羅漢不能解此義唯有大菩薩衆應解此義とも說給へるものを見性の功さへなくて妄に自ら尊と稱す是何の心ぞや人は只兎もあれ萬緣を抛擲して唱るに越たる事はなき事なり去ながら題目ばかりの利益なりと偏執し給ふべからず眞言に限らず淨土に限らず何れも優劣あるべからず淨家の人々は專唱稱名の功力に依て是非〱一回唯心の淨土己身の彌陀の妙相を見屆けでや置べきと決烈の大志を憤起し頭然を救ふが如く間もなく唱へ進みたらんに佛も去此不遠と說給ひたる者をなどや七重の寶樹八功德池の有樣を見屆けずやはあるべき眞言の人々は陀羅尼微妙の威力に依て是非とも阿字不生の大日輪を拜し奉るべしと禪門に於て一則の話頭を擧揚するが如く精進勇猛の憤志を震つて繰たらんに高野大師も不轉肉身と唱へ給ひたる者をなどかは彼金剛不壞の正體を磨出さずや有べき何れも死後を待て利益に預んと打延し給ふは不覺油斷の至り覺束なきものぞかし遠き事とな歎給ひぞ八重の潮路を隔てたる唐土天竺の事を見給へ聞給へと云にこそ遠き事とは歎くべけれ自心を以て自心を見る吾瞳を以て吾瞳を見るより近き事には侍らずや深き事とな恐れ給ひそ九淵の潭の底千尋の海の中なる物を見給へ聞給へと云にこそ深き事とは恐るべけれ吾心を以て吾心を見る吾鼻を以て吾鼻を嗅より近き事には侍らずや世は末世なれども法は更々末世ならず末世なりとて打捨顧み給はずば寳の山に入ながら自ら飢凍を苦しむが如し末世には去事は及ばぬ事とな恐れ給ひぞ遠くは惠心院の僧都近くは赤澤の即往山城の圓悉何れも稱名の力に依て右の素懷を遂給ひたるぞかし法然上人も此望は深くおわしけれども先達なき故に翼短ふして長空に翔らざる心地なりと宣ひき