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おもひで草 / 一朝一夕・一朝一夕の語が招く不忠不孝

易の文言傳てふものに臣弑君子弑父非一朝一夕之所以といへり、此は斯く言ひて、かの湯武の其君上を弑したるをさすがに快くはおもはぬものから、尙其惡しきを敝して、いよゝ聖人にせんとにや、凡て此文辭よかの佛家に所謂前世の宿業などいへることを思ひて書るにや、はた容易ならぬ所以有りてなどいふべきことをかく文なして書るにや、いたうあやしき文躰ながら、よもかの宿業の所感などいへることにおもひよれるにはあらじとおもはるゝを、もし不容易の所以有りてなどいふ心ばへにてかけるならば、我れ問べし、もし一朝一夕の所以にあらずば、弑君弑父ても强て咎むべきわざにあらじとにや、もし爰に腹黑なる奴有りて、强て善事の極みをなして上なく善き人ぞと他人におもはせおきて、さて己が君を弑し父を弑して、實は容易ならぬ所以有り、一朝一夕の所以にはあらざりけりなどいひて、他人を欺かんに他人是をきゝて許さんや、よしや弑さずとも此一朝一夕の語を口實にして君を竄し父を困めるは、其をいかにして誡んとにや、天下の蒼生を引率して不忠不孝に陷し入るゝものは、必此一朝一夕の語なりけり、

新字:易の文言伝てふものに臣弑君子弑父非一朝一夕之所以といへり、此は斯く言ひて、かの湯武の其君上を弑したるをさすがに快くはおもはぬものから、尚其悪しきを敝して、いよゝ聖人にせんとにや、凡て此文辞よかの仏家に所謂前世の宿業などいへることを思ひて書るにや、はた容易ならぬ所以有りてなどいふべきことをかく文なして書るにや、いたうあやしき文体ながら、よもかの宿業の所感などいへることにおもひよれるにはあらじとおもはるゝを、もし不容易の所以有りてなどいふ心ばへにてかけるならば、我れ問べし、もし一朝一夕の所以にあらずば、弑君弑父ても強て咎むべきわざにあらじとにや、もし爰に腹黒なる奴有りて、強て善事の極みをなして上なく善き人ぞと他人におもはせおきて、さて己が君を弑し父を弑して、実は容易ならぬ所以有り、一朝一夕の所以にはあらざりけりなどいひて、他人を欺かんに他人是をきゝて許さんや、よしや弑さずとも此一朝一夕の語を口実にして君を竄し父を困めるは、其をいかにして誡んとにや、天下の蒼生を引率して不忠不孝に陥し入るゝものは、必此一朝一夕の語なりけり、

書き下し

易の文言傳てふものに臣弑君子弑父非一朝一夕之所以といへり、此は斯く言ひて、かの湯武の其君上を弑したるをさすがに快くはおもはぬものから、尙其惡しきを敝して、いよゝ聖人にせんとにや、凡て此文辭よかの佛家に所謂前世の宿業などいへることを思ひて書るにや、はた容易ならぬ所以有りてなどいふべきことをかく文なして書るにや、いたうあやしき文躰ながら、よもかの宿業の所感などいへることにおもひよれるにはあらじとおもはるゝを、もし不容易の所以有りてなどいふ心ばへにてかけるならば、我れ問べし、もし一朝一夕の所以にあらずば、弑君弑父ても强て咎むべきわざにあらじとにや、もし爰に腹黑なる奴有りて、强て善事の極みをなして上なく善き人ぞと他人におもはせおきて、さて己が君を弑し父を弑して、實は容易ならぬ所以有り、一朝一夕の所以にはあらざりけりなどいひて、他人を欺かんに他人是をきゝて許さんや、よしや弑さずとも此一朝一夕の語を口實にして君を竄し父を困めるは、其をいかにして誡んとにや、天下の蒼生を引率して不忠不孝に陷し入るゝものは、必此一朝一夕の語なりけり、

現代語訳

『易』の文言伝に「臣が君を弑し、子が父を弑するのは、一朝一夕の理由ではない」とあります。これはこう言って、あの湯武が君主を殺したことを、さすがに快くは思わないものの、なおその悪を覆い隠して、いよいよ聖人にしようとするのでしょうか。およそこの文辞は、あの仏家でいう前世の宿業ということを思って書いたのでしょうか。あるいは、容易ならない理由があって、などと言うべきことをこのように文章にして書いたのでしょうか。たいへん奇妙な文体ですが、まさかあの宿業の感応ということに思い寄ったのではないだろうと思われるものの、もし容易ならない理由があってという気持ちで書いたのなら、私は問いたいのです。もし一朝一夕の理由でなければ、君を殺し父を殺しても、強いて咎めるべきことではないというのでしょうか。もしここに腹黒い者がいて、強いて善事の極みを行い、このうえなく善い人だと他人に思わせておいて、さて自分の君を殺し父を殺して、実は容易ならない理由があって、一朝一夕の理由ではなかったのだ、などと言って他人を欺こうとして、他人がこれを聞いて許すでしょうか。たとえ殺さなくても、この一朝一夕の語を口実にして君を追い払い父を苦しめることを、どう戒めるというのでしょうか。天下の民を引き連れて不忠不孝に陥れるものは、必ずこの一朝一夕の語なのです。

解説

『易』の一文が、君主や父を害する行為の言い訳に使われかねないと批判する箇所です。長い経緯があるから仕方ない、という論理は、どんな不正でも正当化に転用できてしまうという指摘です。現代の職場でも、「長年の慣行だから」「複雑な事情があるから」といった言葉が、不祥事やハラスメントの黙認につながることがあります。管理職は、背景の理解と責任の免除を分けて、問題は問題として対処する姿勢を持つ必要があります。

この章句が説くこと

おもひで草伴林光平易経文言伝一朝一夕正当化

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