おもひで草 / 君臣名義・血統を貴ぶ皇国の君臣の名義
園の木柴に飛翔りて、贄刺す鶪の韓聲の、言譟ぐなる西土は、彼の仁義てふ物をもて行ひもて勸めて、其を二なき道として貴ぶとか、此の浦安の皇大皇國はしも、唯血統を亂らぬを貴しとす、氏を宇遲と訓むも産血の意、脉を須遲と訓むも清血の義、道を美知と訓むも國土の道路を人身の血脉にたとへたるにて、眞血の義なると明らけし、かく血統を貴ぶ國風潔白に相分れてめでたき習俗なりしを、既くより君臣相婚ぎ異姓相婚ぐ樣になりて、血統の正しからずなりぬるは、いと〱不足事也けり、故西土は仁義をのみ貴ぶが故に、仁義をだに行へば卑しき夷も王に成り上り、仁義を失へば尊き王も忽に賤奴になり降りて、君臣の分位長に定まらず、世人の情姦しくて國治りがたし、故加羅國といふ、加羅は空虛の義、無實の義、辛苦の義、また不毛の義也、皇國は血統を貴ぶ。故に君は長に君にて千萬御世の御末の御世までも、天照御神の御子にませり、臣は長に臣にて當昔高天原より陪從し、五部の神伴を初として、其餘天下の蒼生にいたるまで皆かけまくも、可畏天神地祇の裔孫なり、かれいかさまに仁義を行ひて他人を懷け得たりとも、臣たる者の王位に登らんとかけてもなく、
新字:園の木柴に飛翔りて、贄刺す鶪の韓声の、言譟ぐなる西土は、彼の仁義てふ物をもて行ひもて勧めて、其を二なき道として貴ぶとか、此の浦安の皇大皇国はしも、唯血統を乱らぬを貴しとす、氏を宇遅と訓むも産血の意、脉を須遅と訓むも清血の義、道を美知と訓むも国土の道路を人身の血脉にたとへたるにて、真血の義なると明らけし、かく血統を貴ぶ国風潔白に相分れてめでたき習俗なりしを、既くより君臣相婚ぎ異姓相婚ぐ様になりて、血統の正しからずなりぬるは、いと〱不足事也けり、故西土は仁義をのみ貴ぶが故に、仁義をだに行へば卑しき夷も王に成り上り、仁義を失へば尊き王も忽に賤奴になり降りて、君臣の分位長に定まらず、世人の情姦しくて国治りがたし、故加羅国といふ、加羅は空虚の義、無実の義、辛苦の義、また不毛の義也、皇国は血統を貴ぶ。故に君は長に君にて千万御世の御末の御世までも、天照御神の御子にませり、臣は長に臣にて当昔高天原より陪従し、五部の神伴を初として、其余天下の蒼生にいたるまで皆かけまくも、可畏天神地祇の裔孫なり、かれいかさまに仁義を行ひて他人を懐け得たりとも、臣たる者の王位に登らんとかけてもなく、
書き下し
園の木柴に飛翔りて、贄刺す鶪の韓聲の、言譟ぐなる西土は、彼の仁義てふ物をもて行ひもて勸めて、其を二なき道として貴ぶとか、此の浦安の皇大皇國はしも、唯血統を亂らぬを貴しとす、氏を宇遲と訓むも産血の意、脉を須遲と訓むも清血の義、道を美知と訓むも國土の道路を人身の血脉にたとへたるにて、眞血の義なると明らけし、かく血統を貴ぶ國風潔白に相分れてめでたき習俗なりしを、既くより君臣相婚ぎ異姓相婚ぐ樣になりて、血統の正しからずなりぬるは、いと〱不足事也けり、故西土は仁義をのみ貴ぶが故に、仁義をだに行へば卑しき夷も王に成り上り、仁義を失へば尊き王も忽に賤奴になり降りて、君臣の分位長に定まらず、世人の情姦しくて國治りがたし、故加羅國といふ、加羅は空虛の義、無實の義、辛苦の義、また不毛の義也、皇國は血統を貴ぶ。故に君は長に君にて千萬御世の御末の御世までも、天照御神の御子にませり、臣は長に臣にて當昔高天原より陪從し、五部の神伴を初として、其餘天下の蒼生にいたるまで皆かけまくも、可畏天神地祇の裔孫なり、かれいかさまに仁義を行ひて他人を懷け得たりとも、臣たる者の王位に登らんとかけてもなく、
現代語訳
園の木の柴に飛び回り、贄を刺す百舌鳥のように、やかましく言い立てる西の国(中国)は、あの仁義というものを行い、人に勧めて、それを二つとない道として貴ぶそうですが、この浦安の皇大御国(日本)はただ血統を乱さないことを貴びます。氏を「うぢ」と訓むのも産血の意、脈を「すぢ」と訓むのも清血の意、道を「みち」と訓むのも国土の道路を人の体の血脈にたとえたもので、真の血の意であることは明らかです。このように血統を貴ぶ国風が潔白に分かれていてすばらしい習俗であったのに、早くから君と臣が婚姻を結び、異姓同士が婚姻を結ぶようになって、血統が正しくなくなったのは、まことに不足なことでした。西の国は仁義ばかりを貴ぶので、仁義さえ行えば卑しい夷も王にのし上がり、仁義を失えば尊い王もたちまち賤しい奴に落ちて、君臣の身分がいつまでも定まらず、世の人の心がやかましくて国が治まりにくいのです。それゆえ「加羅国(から・くに)」といい、「加羅」は空虚の意、実のないこと、辛苦の意、また不毛の意です。皇国は血統を貴びます。それゆえ君はいつまでも君であって、千万代の末の御代までも天照大御神の御子でいらっしゃいます。臣はいつまでも臣であって、昔、高天原から陪従した五部の神伴をはじめ、その他天下の民に至るまで、みな恐れ多い天神地祇の子孫です。ですから、どんなに仁義を行って他人を手なずけたとしても、臣たる者が王位に登ろうなどとは少しも思わず、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『おもひで草』・君臣名義・将軍と朝廷、陪臣と陪従の区別いか樣に暴く無道く在すとも天皇命の其位を退らせ給ひて、臣下の列に降らせ給はんとかけてもなし、かく君臣の分位天地の共定まりて、動くとなく變移ふとなき大御國風なるが故に世人の情穩しくのどかにて、國も亦治り安し、西土人の、君子國、禮義鄕等、賞美たるにても知るべし、かれ其所謂君臣も名は外國と同樣なれど其さすところの物實は異なり抑君は掛卷も可畏、天皇命、唯御獨りを申奉る稱にて餘の公卿大夫等にはかけてもいはず、臣は天下の上中下の天皇命に對ひ奉る時の名にて、將軍にまれ大臣にまれわが私の主に對ひていふ名にあらず、されば陪臣てふ名も天皇命に對していふ名にて、己が私の主なる將軍等に對ひていふ名にあらず、もし將軍執政等に對はど陪從といふべし、陪臣とはいふべからず、所謂將軍家譜代の大名てふ者も其元朝廷の近臣陪臣等なりしを、征夷將軍の職務を補佐んとて且く朝廷を散けさせて將軍に陪從せさせ給へるなり、朝散太夫などいへるにて其義をさとるべし、かれ將軍勅命を奉りて能く其職を勤めよく世をまつりごてば、長に陪從して忠情を盡すべし、(故朝廷より各々其位官を賜へるものぞ)もし勅命に背き奉りて朝廷邊に射向ひ奉らば速に幕府を去てもとの朝廷にかへるべし(天下の總君主なるが故なり)此は止事なき君臣の大義にて我皇國のみにもて行はるゝ大道なるを、
-
『おもひで草』・君臣名義・陪臣の名義をめぐる柴野彦助の逸話世人既くより實なき唐山の書にのみ讀耽りて、皇國君臣の大義を忘れたるが故に、彼北條足利などいへる奴の忌々しき大事は起しゝなり、今は昔常陸國領しゝ殿に西山公といへる在して、太く逞しき大和魂を振興し、厚く神祇を敬ひ深く朝廷を重じつゝ、大日本史てふ大相なる御典等を著し給ひて、世に許されませる名將なりしかど、尙此名義をふとしも忘れましゝにや、將軍家臣傳など記させ給ひしは彼卿の和魂確なるに併せてはいと心得がたき一節なりけり、去し文政といふ年の頃幕府の儒士に柴野彦助といへる男あり、それが大和國の國形見にものしける時、畝火山の東北なる神武天皇の御陵に詣でゝ、其所にて作りし詩を、かへりて後幕府に奉りけるに陪臣柴彦助と書せるを見咎め給て、いたうふづくませ給ひしを、奧州白河の殿御前に候らはして、畏けれど天皇命に對ひ奉りては己等も正しく陪臣にて侍り、况て彦助がごとき者をやと、啓させしかば、やがて諾かせ給ひしとぞ、白河の殿も彦助もよく君臣の名義を知れる人也、其時の幕府は後に文恭院殿とおくりなたてまつりき、
-
『おもひで草』・文武左右・文武の左右と、武を軽んじない国風西土は文を右にして武を左にす、皇國は武を左にして文を右にす、其は皇國は其國躰外國と同じからず、當時神漏岐神漏美命の青海原を畫成給ゐし天之瓊矛の滴より生出たる國なれば、自然いひしらぬ武德を具へたり、かれ世々の神號王稱等にも、常に建武てふ語を多く用給て、長に武道を宗とし在り、此大御國風をよくさとり在るにや、近頃水戶景山老公の弘道館の碑文に、東照神祖の御事を稱る條に、吾東照宮、撥亂反正、尊王攘夷、左武右文、以開太平之基、と記させ給へるは、和漢の差別潔白に見へわかれて目覺る心地す、さるを近頃の文人等□□貴ぶ方に泥て、ともすれば武道を卑めつゝ己が文事の下草にせんとするは、皇國の古風を知らぬ妄言也、さはいへど文人は尙許さるゝ方も有りなんを、武士の武を餘氣に思ひためるはいかにぞや、此頃家定卿の鷹三百首の歌を見しに、「はし鷹のみよりたゞさかはるらんもろこし人は右にすゑつゝ」といへる歌あり、此は正しく和漢左右の違へる例なり、みよりは身依にて鷹の右の羽をいひ、たゞさきは臂先にて左の羽根をいふたりとぞ、
-
『おもひで草』・忠逆反名・守屋と馬子に見る忠逆の分かれ守屋大連は、皇國固有の神祇を尊びて蕃神を忌嫌たりき、此は內本外末の人也、蘇我馬子は神祇を蔑にする方は更にもいはず、言卷くも可畏天皇命を弑し奉りて、却て固有の神祇を輕りき、此は外本內末の人也、かく本を外にすると本を內にすると忠逆の分際いとけさやかに分れたるを、世のえせ法師等なほあらしに言論ひて守屋の大連を忌惡つゝ、却て馬子の上の惡逆をしも知らぬ顏すなるはそもいかなる曲意ぞも、此は唯己に伴ふものを喜び己れにそむける人を惡めるにて、公ならぬ私情ぞかし、なほいはゞ守屋は國の爲に忠なるにて、法師はたゞ佛の爲に忠なる也、かくいひてもなほ其理のわきがたくば且らく此論はおきて、先近頃公私ともにかの外國の夷と睦親つゝ打しきりものかへすなるにつきて、終には彼國の邪法の我國內にもて行はれんとを、またたきに怖て汝法師等種々慷慨言すなるとか、此はあらぬ外國の敎のさらに參來て、固有の佛敎の其が爲に亡び失なんとを歎けるにて、得止べからぬ眞情なるを、且く其己がえやむべからぬ眞情をもて、守屋の外敎を忌惡みし眞情にひそかにたくらべみて、事の理非を辨へ知るべし、大連も法師も本を尊びて末を嫌ふ眞情は露ばかりも違ふ理あらじをや
-
『新論』國體上昔や国造・伴造、世々祖業を承けて、其の祀を墜さず。中ごろや王族廷臣、宗族を緝合して、以て其の爵位を保つ。下りて近古に及びても、武夫猛将、猶ほ能く総領を重んじて、以て家衆を管轄す。夫れ既に自ら血属を重んずれば、孰か敢へて天胤を敬せざらん。故に一世を挙げて皆天位の犯すべからざるを知る。逆順既に明かなれば、則ち大逆なる者は固より世の与せざる所にして、将に天地に容るる無からんとす。亦悪くんぞ醜類を鳩聚して以て其の姦を逞しくするを得んや。故に国歩の時に或は艱難有りと雖も、天胤の尊は自若たり。上は則ち乗輿或は播遷すれども、未だ嘗て一人も敢へて神器を朶頤する有らず。下は則ち陪臣世々天下の権を擅にすれども、亦敢へて其の主位を簒はず。
-
『直毘霊』天つ神の御心を大御心として天の下には荒ぶる神もなく、まつろわぬ人もなく。幾万代を経とも、誰しの奴か、大皇に背き奉らむ、あなかしこ。御代御代の間に、たまたまもまつろわぬ穢き奴もあれば、神代の古事のまにまに、大御稜威を輝かして、たちまちに打ち滅ぼし給う物ぞ。千万御世の御末の御代まで、天皇命はしも、大御神の御子とましまして。御世御世の天皇は、すなわち天照大御神の御子になも大坐します。故、天つ神の御子とも、日の御子とも申せり。天つ神の御心を大御心として。何わざも、己命の御心もてさかしだち賜わずて、ただ神代の古事のままに、行いたまい治め賜いて、疑い思ほす事しある折は、御卜事もて、天つ神の御心を問わして物し給う。神代も今も隔てなく。ただ天津日嗣の然ましますのみならず、臣・連・八十伴緒に至るまで、氏姓を重みして、子孫の八十続き、その家々の職業を受け継がいつつ、祖神たちに異ならず、ただ一世の如くにして、神代のままに仕え奉れり。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る