おもひで草 / 君臣名義・将軍と朝廷、陪臣と陪従の区別
いか樣に暴く無道く在すとも天皇命の其位を退らせ給ひて、臣下の列に降らせ給はんとかけてもなし、かく君臣の分位天地の共定まりて、動くとなく變移ふとなき大御國風なるが故に世人の情穩しくのどかにて、國も亦治り安し、西土人の、君子國、禮義鄕等、賞美たるにても知るべし、かれ其所謂君臣も名は外國と同樣なれど其さすところの物實は異なり抑君は掛卷も可畏、天皇命、唯御獨りを申奉る稱にて餘の公卿大夫等にはかけてもいはず、臣は天下の上中下の天皇命に對ひ奉る時の名にて、將軍にまれ大臣にまれわが私の主に對ひていふ名にあらず、されば陪臣てふ名も天皇命に對していふ名にて、己が私の主なる將軍等に對ひていふ名にあらず、もし將軍執政等に對はど陪從といふべし、陪臣とはいふべからず、所謂將軍家譜代の大名てふ者も其元朝廷の近臣陪臣等なりしを、征夷將軍の職務を補佐んとて且く朝廷を散けさせて將軍に陪從せさせ給へるなり、朝散太夫などいへるにて其義をさとるべし、かれ將軍勅命を奉りて能く其職を勤めよく世をまつりごてば、長に陪從して忠情を盡すべし、(故朝廷より各々其位官を賜へるものぞ)もし勅命に背き奉りて朝廷邊に射向ひ奉らば速に幕府を去てもとの朝廷にかへるべし(天下の總君主なるが故なり)此は止事なき君臣の大義にて我皇國のみにもて行はるゝ大道なるを、
新字:いか様に暴く無道く在すとも天皇命の其位を退らせ給ひて、臣下の列に降らせ給はんとかけてもなし、かく君臣の分位天地の共定まりて、動くとなく変移ふとなき大御国風なるが故に世人の情穏しくのどかにて、国も亦治り安し、西土人の、君子国、礼義郷等、賞美たるにても知るべし、かれ其所謂君臣も名は外国と同様なれど其さすところの物実は異なり抑君は掛巻も可畏、天皇命、唯御独りを申奉る称にて余の公卿大夫等にはかけてもいはず、臣は天下の上中下の天皇命に対ひ奉る時の名にて、将軍にまれ大臣にまれわが私の主に対ひていふ名にあらず、されば陪臣てふ名も天皇命に対していふ名にて、己が私の主なる将軍等に対ひていふ名にあらず、もし将軍執政等に対はど陪従といふべし、陪臣とはいふべからず、所謂将軍家譜代の大名てふ者も其元朝廷の近臣陪臣等なりしを、征夷将軍の職務を補佐んとて且く朝廷を散けさせて将軍に陪従せさせ給へるなり、朝散太夫などいへるにて其義をさとるべし、かれ将軍勅命を奉りて能く其職を勤めよく世をまつりごてば、長に陪従して忠情を尽すべし、(故朝廷より各々其位官を賜へるものぞ)もし勅命に背き奉りて朝廷辺に射向ひ奉らば速に幕府を去てもとの朝廷にかへるべし(天下の総君主なるが故なり)此は止事なき君臣の大義にて我皇国のみにもて行はるゝ大道なるを、
書き下し
いか樣に暴く無道く在すとも天皇命の其位を退らせ給ひて、臣下の列に降らせ給はんとかけてもなし、かく君臣の分位天地の共定まりて、動くとなく變移ふとなき大御國風なるが故に世人の情穩しくのどかにて、國も亦治り安し、西土人の、君子國、禮義鄕等、賞美たるにても知るべし、かれ其所謂君臣も名は外國と同樣なれど其さすところの物實は異なり抑君は掛卷も可畏、天皇命、唯御獨りを申奉る稱にて餘の公卿大夫等にはかけてもいはず、臣は天下の上中下の天皇命に對ひ奉る時の名にて、將軍にまれ大臣にまれわが私の主に對ひていふ名にあらず、されば陪臣てふ名も天皇命に對していふ名にて、己が私の主なる將軍等に對ひていふ名にあらず、もし將軍執政等に對はど陪從といふべし、陪臣とはいふべからず、所謂將軍家譜代の大名てふ者も其元朝廷の近臣陪臣等なりしを、征夷將軍の職務を補佐んとて且く朝廷を散けさせて將軍に陪從せさせ給へるなり、朝散太夫などいへるにて其義をさとるべし、かれ將軍勅命を奉りて能く其職を勤めよく世をまつりごてば、長に陪從して忠情を盡すべし、(故朝廷より各々其位官を賜へるものぞ)もし勅命に背き奉りて朝廷邊に射向ひ奉らば速に幕府を去てもとの朝廷にかへるべし(天下の總君主なるが故なり)此は止事なき君臣の大義にて我皇國のみにもて行はるゝ大道なるを、
現代語訳
どんなに乱暴で無道でいらっしゃっても、天皇がその位を退いて臣下の列に降りられようなどとは少しも考えません。このように君臣の身分が天地とともに定まり、動かず変わらない御国のならわしであるので、世の人の心は穏やかでのどかであり、国もまた治まりやすいのです。西の国の人が「君子国」「礼義の郷」などとほめたたえたことからも分かります。その、いわゆる君臣も、名は外国と同じようですが、指すところの実質は異なります。そもそも「君」とは、恐れ多い天皇ただお一人を申し上げる称で、その他の公卿・大夫などには決して言いません。「臣」とは、天下の上中下の者が天皇に対し奉るときの名で、将軍であれ大臣であれ、自分の私の主君に対して言う名ではありません。ですから「陪臣」という名も天皇に対して言う名で、自分の私の主君である将軍などに対して言う名ではありません。もし将軍や執政などに対するなら「陪従」と言うべきで、「陪臣」と言ってはなりません。いわゆる将軍家譜代の大名という者も、もとは朝廷の近臣や陪臣であったのを、征夷将軍の職務を補佐させるため、しばらく朝廷から分かれて将軍に陪従させられたのです。「朝散大夫」などという呼び名で、その意味はさとれるでしょう。将軍が勅命を奉じてよくその職を務め、よく世を治めるなら、いつまでも陪従して忠情を尽くすべきです。(だから朝廷からそれぞれの位や官を賜っているのです。)もし勅命に背いて朝廷に弓を引くことがあれば、すみやかに幕府を去って、もとの朝廷に帰るべきです(天下の総君主であるからです)。これは動かしがたい君臣の大義で、わが皇国にだけ行われる大道ですのに、
解説
この章句が説くこと
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『おもひで草』・君臣名義・血統を貴ぶ皇国の君臣の名義園の木柴に飛翔りて、贄刺す鶪の韓聲の、言譟ぐなる西土は、彼の仁義てふ物をもて行ひもて勸めて、其を二なき道として貴ぶとか、此の浦安の皇大皇國はしも、唯血統を亂らぬを貴しとす、氏を宇遲と訓むも産血の意、脉を須遲と訓むも清血の義、道を美知と訓むも國土の道路を人身の血脉にたとへたるにて、眞血の義なると明らけし、かく血統を貴ぶ國風潔白に相分れてめでたき習俗なりしを、既くより君臣相婚ぎ異姓相婚ぐ樣になりて、血統の正しからずなりぬるは、いと〱不足事也けり、故西土は仁義をのみ貴ぶが故に、仁義をだに行へば卑しき夷も王に成り上り、仁義を失へば尊き王も忽に賤奴になり降りて、君臣の分位長に定まらず、世人の情姦しくて國治りがたし、故加羅國といふ、加羅は空虛の義、無實の義、辛苦の義、また不毛の義也、皇國は血統を貴ぶ。故に君は長に君にて千萬御世の御末の御世までも、天照御神の御子にませり、臣は長に臣にて當昔高天原より陪從し、五部の神伴を初として、其餘天下の蒼生にいたるまで皆かけまくも、可畏天神地祇の裔孫なり、かれいかさまに仁義を行ひて他人を懷け得たりとも、臣たる者の王位に登らんとかけてもなく、
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『秘本玉くしげ』下 朝廷を畏れる然るに朝廷は、今は天下の御政をきこしめすことなく、おのづから世間に遠くましますが故に、誰も心には尊き御事は存じながらも、事にふれて自然と敬畏のすぢなほざりなる事もなきにあらず。抑本朝の朝廷は、神代の初より殊なる御子細まします御事にて、異国の王の比類にあらず、下万民に至るまで格別にありがたき道理あり。此事別巻に委しく申せるが如し。されば一国一郡をも治め玉はん御方々は、殊さらに此子細を御心にしめて忘れ玉ふまじき御事也。これすなはち大将軍家への第一の御忠勤也。いかにと申すに、まづ大将軍と申奉るは、天下に朝廷をかろしめ奉る者を征伐せさせ玉ふ御職にましまして、是ぞ東照神御祖命の御成業の大義なれば也。さて又御武運長久、御領内上下安静、五穀豊登の御祈祷にも、これに過たる御事あるべからず。その子細は、朝廷を畏れ尊み奉り玉ふは、天照大御神の大御心に叶ひ玉ふ御事にて、天神地祇の御加護厚かるべければ也。
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『翁問答』上卷之本軍忠を以て論ずれば、二心無く身を棄て、礼儀正しく情深く、英雄の心を取り、軍兵を懐け謀を帷幄の内にめぐらし、勝つ事を千里の外に決し、百戦百勝の功を立つるを大忠と云ふ、是は軍の大将の忠節なり、二心無く身を棄てさきがけをして、鑓を突き首を取るを小忠と云ふ、是は半武者の忠節なり、扨又庶人を棘草の臣と云ふ、其国に産業を勤め、生理を遂ぐるは主君の恩沢なる故に、扶持を被らざれ共、臣下と云ふなり、其国の仕置法度を能く守り、其職分を能く勤めて、年貢公役を懈怠せず、一心に国君を恐れ、敬ことは庶人の忠節なり、君は仁礼の徳に従て臣下を使ひ、臣下は忠敬の道を守つて、君に事へて、君臣交泰する道理、天命の本然自から有る義なる故に、五教第二君臣有義と説給へり、
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