おもひで草 / 以筆換桴・筆をとる文人も武士と同じ覚悟
文人の筆握るは武士の桴揮るに均しく得止べからぬ時の事也、抑武士たらん者の桴握りて軍の塲に立走る時は、身を棄て命を捨て家を顧みず、さらば文人の筆握りて世中の利害得失を記さんも亦同じ心搆なるべきを、身を懷ひ命を惜みて君の爲國の爲に言はで止まじき事もえいはず、記さでおくまじき事も得書さで、ひたふるに默止しのみ居らんは、彼の軍の塲に在りながら、身を懷ひ命を惜て家を顧る隱れ者の比類とぞ言はまし、さはいへど柴の編戸のくるとあくと、ともすれば他人のうへのみ言貶しつゝ、其道彼敵のよしやあしやを論はんは、事なき時に兵器をもて扱ひて、身を棄命を捨て家を顧みぬ物狂の屬とぞ言はまし、
新字:文人の筆握るは武士の桴揮るに均しく得止べからぬ時の事也、抑武士たらん者の桴握りて軍の塲に立走る時は、身を棄て命を捨て家を顧みず、さらば文人の筆握りて世中の利害得失を記さんも亦同じ心搆なるべきを、身を懐ひ命を惜みて君の為国の為に言はで止まじき事もえいはず、記さでおくまじき事も得書さで、ひたふるに黙止しのみ居らんは、彼の軍の塲に在りながら、身を懐ひ命を惜て家を顧る隠れ者の比類とぞ言はまし、さはいへど柴の編戸のくるとあくと、ともすれば他人のうへのみ言貶しつゝ、其道彼敵のよしやあしやを論はんは、事なき時に兵器をもて扱ひて、身を棄命を捨て家を顧みぬ物狂の属とぞ言はまし、
書き下し
文人の筆握るは武士の桴揮るに均しく得止べからぬ時の事也、抑武士たらん者の桴握りて軍の塲に立走る時は、身を棄て命を捨て家を顧みず、さらば文人の筆握りて世中の利害得失を記さんも亦同じ心搆なるべきを、身を懷ひ命を惜みて君の爲國の爲に言はで止まじき事もえいはず、記さでおくまじき事も得書さで、ひたふるに默止しのみ居らんは、彼の軍の塲に在りながら、身を懷ひ命を惜て家を顧る隱れ者の比類とぞ言はまし、さはいへど柴の編戸のくるとあくと、ともすれば他人のうへのみ言貶しつゝ、其道彼敵のよしやあしやを論はんは、事なき時に兵器をもて扱ひて、身を棄命を捨て家を顧みぬ物狂の屬とぞ言はまし、
現代語訳
文人が筆を握るのは、武士が撥(ばち)を振るうのと同じで、やむをえないときのことです。そもそも武士たる者が撥を握って戦場を駆け回るときは、身を捨て命を捨て家を顧みません。それならば、文人が筆を握って世の中の利害得失を記すのも同じ心構えであるはずなのに、身を惜しみ命を惜しんで、君のため国のために言わずにはおけないことも言えず、書き記さずにはおけないことも書けず、ひたすら黙って止まっているだけなのは、あの戦場にいながら身を惜しみ命を惜しんで家を気遣っている隠れ者(臆病者)の仲間と言うべきでしょう。とはいえ、粗末な柴の戸を開けたり閉めたりする暮らしの中から、ともすれば他人の身の上ばかりを悪く言い、その道の敵の善し悪しを論じるのは、何事もないときに武器を振り回して、身を捨て命を捨て家を顧みない物狂いの類と言うべきです。
解説
この章句が説くこと
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『省諐録』第2条人此に有り。君父の疾病を憂へて、之を藥に求む。幸にして之を得、且つ其の必ず效有るを知る。則ち其の品の貴賤、名の美惡を問はず、必ず之を君父に請はん。君父其の名を惡みて許さず。則ち多方に之を謀り、竊かに之を進むること有らんか。抑も亦坐して其の手足を啓くを俟たんか。臣子至誠惻怛の情、固より其の病患を坐視すべからず。則ち後に其の怒りに逢ふを知ると雖も、亦豈竊かに進めざるを得んや。
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『講孟余話』離婁下 第四章十一月十一日。去徙は皆其の国を去りて他国に徙るを云ふ。是れ游仕の人に就いて云ふ。世禄の士、国と休戚を同じうする者の如きは、豈に禍を免れて自ら其の智に誇ることを得んや。人臣たる者、時の不淑に遇ひて諫諍死を致す、固より正義なり、何ぞ遽かに去徙することを得んや。然れども諫め行はれず言聴かれず、君子の道消し小人の道長じたらんには、官を辞し身を退き、一身の覚悟を全うし、緩急のみ用に立たんことを計るも、亦是れ一義にして即ち去徙の意なり。
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史記 張丞相列伝帝、太子を廃して、戚姫の子如意を立てて太子と為さんと欲するに及び、大臣固く之を争へども、能く得る莫し。上、留侯の策を以て即ち止む。而して周昌廷に之を争ふこと彊し。上其の説を問ふ。昌は人と為り吃(ども)りにして、又盛んに怒りて曰く、「臣の口は言ふこと能はず。然れども臣期期として其の不可なるを知る。陛下太子を廃せんと欲すと雖も、臣期期として詔を奉ぜず」と。上欣然として笑ふ。既に罷むるや、呂后東箱に耳を側てて聴き、周昌を見て、為に跪きて謝して曰く、「君微(な)かりせば、太子幾(ほと)んど廃せられん」と。是の後戚姫の子如意、趙王と為り、
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